35年に渡りイランと日本映画を結んだ女性プロデューサーの貢献!
イラン出身日本在住のショーレ・ゴルパリアンさんがプロデュースを務めた、イラン出身ナグメ・シルハン監督の日本・アメリカ合作映画『Maki マキ』が11月17日に公開される。ショーレさんはアッバス・キアロスタミ監督『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012)の日本ロケを実現させるなど約35年に渡って日本とイランの架け橋を担い、その活動が讃えられ今夏には平成30年度外務大臣表彰を受賞した。ショーレさんの足跡を振り返りつつ、改めて両国の映画史を振り返る。
外務大臣表彰は、日本と諸外国の友好親善関係に多大な貢献をした個人・団体を讃えるもので、本年度は元大相撲の把瑠都など205個人と49団体が授与した。ショーレさんは、モフセン・マフマルバフ監督『サイクリスト』(1989)の字幕監修を皮切りに、イラン・日本合作『風の絨毯』(2002)やアミール・ナデリ監督『CUT』(2011)の制作、『沈まぬ太陽』(2009)のイラン・ロケのコーディネーターなど多数の作品に携わっており、その貢献度は計り知れない。
「1979年の来日当初、在日イラン人は約300人。私がイラン出身だと言うと日本人から返ってくる言葉は石油、ホメイニー師、戦争くらい。さらにニュースで報じられるのはイラン人による犯罪で、決して良いイメージでは見られていなかった。それがキアロスタミさんなどイラン映画が普及されるにつれて、私たちの文化や心が伝わるようになった。本当に、映画に感謝です」と、ショーレさんは映画への思いを語る。
ショーレさんの人生は、映画に負けず劣らず劇的だ。幼少時代からペルシャ語に訳された日本の昔話の本に親しみ、大学在学中は日本企業でアルバイトをした。そこで日本人と恋に落ち、彼を追って母の猛反対を振り切って来日。だが間もなくイラン・イラク戦争(1980年~1988年)が勃発し、今度は母親から「今は帰って来ないで」と諭された。そしてその日本人男性とは破局。失恋をバネに、昼は在日イラン大使館などに勤務しながら、夜は日本語学校で文法や公文式教室で漢字を学んで日本語を習得した。
このとき身に付けた知識と経験が、今に生かされることになる。停戦後の1989年に帰国すると、イラン・イスラム共和国放送に勤務し、買い付けられた日本のドラマや映画の字幕翻訳を担当することになったのだ。手がけた作品はアニメ「一休さん」シリーズにはじまり、「まんが 水戸黄門」(1981~1982)、NHK朝の連続テレビ小説「はね駒」(1986)、ドラマ「北の国から」シリーズ、西田敏行主演のドラマ「泣いてたまるか」(1986)など。
実に多彩な作品がイランのお茶の間に届けられていたことに驚いていると、ショーレさんが補足する。「イラン革命(1979年)のときなんて、テレビでは一日中、黒澤明、小津安二郎、溝口健二の映画を放送していたんですよ。それまでイランで製作されていた商業映画もハリウッド映画も露出が多く、歌や踊りも満載だったが、(イスラムの戒律に反するなどと)上映できなくなってしまった。そこで重宝されていたのが健全な日本映画。なので映画を通してイラン人は日本のことをよく知っているんです」と説明する。
そんなショーレさんの日本愛を見て、イランで結婚した夫が「日本へ行こう」と1992年に再来日した。日本ではちょうど、アッバス・キアロスタミ監督『友だちのうちはどこ?』(1987)が初めて商業ベースで1993年に公開され、イラン映画が注目されはじめたところだった。NHK情報センターで通訳として働きはじめたショーレさんの元へイラン映画の仕事が舞い込むようになる。
キアロスタミ監督がカンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した『桜桃の味』(1997)やサミラ・マフマルバフの初監督作『りんご』(1998)など字幕監修から、来日時の通訳など。日本でイラン映画が紹介されるときには必ずショーレさんの姿があると言われるほど多忙を極め、1999年には会社を立ち上げるまでに至った。ショーレさんも思わず「こんなに日本にイラン映画が入ってくるとは思わなかった」と運命のいたずらを笑う。
その仕事は多岐に渡り、釜山国際映画祭とマレーシア映画祭のアドバイザー、広島イラン愛と平和の映画祭のプログラマー、さらに2014年からは東京藝術大学グローバルサポートセンターの特任助教に就任し、イラン出身の監督らを講師に招いての特別講義などの人事交流を行っている。またイランのテレビ局へ、日本映画やドラマの売り込みも行っており、山田洋次監督『たそがれ清兵衛』(2002)など40本ほど紹介。2017年には功績が認められ、イラン国際映画祭で特別表彰を受けた。
ただイランでは政府の検閲があり、日本作品のどれもがイランで上映できるというワケではない。「日本では今、高校生の恋愛ものが流行していますが、女性のスカートが短いのでイランでは全部上映できません。アニメ『この世界の片隅に』(2016)もベッドシーンがあるからダメ。なので検閲を通す前に、私がチェックした段階である程度判断して作品をイランに持っていくようにしています」と言う。
ショーレさんの存在が単純に日本とイランだけではなく、イラン革命や政治的な理由で他国に亡命したイラン人監督たちとの架け橋にもなっていることも意義深い。『Maki マキ』のシルハン監督も、イラン革命の前年に家族と共にアメリカに移住し、その後、イラン・イラク戦争が起こったことから、そのまま米国に永住したと言う。今、イランはアメリカの経済制裁を受けるなど国際情勢は厳しい局面に置かれているが、ショーレさんは母国への変わらぬ思いを語る。
「私は日本も大好きですけど、今も、年に何回もイランに戻ってますし、私の心は常にイランにあります。勝手にイランと日本を結ぶ文化大使だと思っているので、これからも今までと変わらぬ活動を続けていきたい」
2019年は日本・イラン外交関係樹立90周年にあたる。ショーレさんは現在、新たな日本・イラン合作映画を企画していると言う。(取材・文:中山治美)
映画『Maki マキ』は11月17日よりユーロスペースほか全国順次公開