前田敦子、過酷だった映画デビュー作に込めた成長への思い
女優の前田敦子が24日、東京・目黒シネマで行われた市川準監督特集上映「市川準の女優たち、それから。」に犬童一心監督と共に出席。この日は、前田の映画デビュー作となった『あしたの私のつくり方』が上映されたが「とにかくなにもできず怖かった記憶しかなかった。現場で固まっていた印象しかなく逃げ出したかった」と振り返った。
9月15日に第1子を妊娠中であることを所属事務所を通じて発表した前田。客席から「おめでとう」という声が上がるなか、笑顔で登壇すると、司会者からも「もうすぐママになるというなか、犬童監督のために来ていただきました」と感謝の言葉が出る。
前田にとって、2007年に公開された『あしたの私のつくり方』は、記念すべき映画デビュー作であるが、完成時に試写で観て以来、怖くて一度も観ることができない作品だという。その理由を前田は「撮影中の過酷な記憶が残っていて、どうしても観ることができないんです」と明かす。
前田が本作のオーディションを受けたのは、AKB48加入後、半年ぐらいたった2006年だったという。まだ当時はAKB48劇場での活動しか経験がなく、芝居どころか、芸能界のこともあまり理解していなかった。そんななか「すごい映画監督の作品だから」とプレッシャーをかけられながらオーディションに臨んだ。当然、ほとんどしゃべることができなかったが、市川監督は前田の素材の良さを見抜いた。
しかし、ここから前田の苦悩が始まったという。「学芸会でも演技したことないのに、いきなり映画。ハードルが高すぎますよね。案の定、撮影現場ではガチガチで緊張の毎日でした。市川監督は普段はとてもやさしいのですが、現場では本当に怖かった。『君が一番できていないんだよ! 一番足を引っ張っているのはわかっているよね』って」
前田も自分が一番足を引っ張っている自覚があったものの、とにかくなにもかもが初めてで、なにを聞いたらいいのかすらもわからない。「現場で震えることしかできなかった」と苦笑いを浮かべながら当時を述懐する。もともとなかった自信がさらに打ちのめされたという前田は「15歳の夏、本当に逃げ出したかった」という。
2008年に他界した市川監督の最後の商業映画監督作品が、前田にとってのデビュー作となった。「監督とはもう一度お会いしたかった。『大きくなったね』と褒めてもらいたいから、演じることを頑張ってきたという部分は大きいです。もうお会いできないというのはとても悔しいですね」と心情を明かしていた。
その後、前田はAKB48のエースとして大活躍をみせるが「お芝居をやりたい」という思いで、グループを卒業する。そこからは女優としてさまざまな作品に出演し、キャリアを積んでいるが「多少なりとも成長はしているのでしょうが、それでもまだ『あしたの私のつくり方』は観られないですね。自信がないです。いつかちゃんと観たいのですが……」とさらなる飛躍を誓っていた。(磯部正和)
「市川準の女優たち、それから。」は目黒シネマにて12月7日まで開催