『未来のミライ』細田守監督、アカデミー賞直後に会見 高畑勲監督追悼に万感の思い
『未来のミライ』が第91回アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされていた細田守監督が齋藤優一郎プロデューサーとともに、ロサンゼンス時間の24日夜、同賞授賞式終了直後に市内のホテルで会見を行った。
『未来のミライ』は残念ながら受賞とならなかったが、会見場に現れた細田監督はまず「(授賞式は)すごく面白かったです。3時間はあっと言う間でした」と興奮気味にコメント。「いつアニメーション部門の発表が来るのか全然わからなかったので、正直まったく緊張せずに、歌曲賞の方の演奏を楽しんでいました」と話した。
今年のアカデミー賞は、例年以上に、女性、黒人、外国人の躍進が目立つ結果となったが、細田監督は「オスカーはアメリカ社会を反映した賞」という印象を持ったという。「全体の賞の結果を考えると、メキシコ人や黒人など、白人男性ではない価値観がかなり入っているように思います。(作品賞を受賞した)『グリーンブック』もそういったお話ですし、(監督賞を受賞した)アルフォンソ・キュアロン監督と、ギレルモ・デル・トロ監督の抱擁はすごく印象的でした。映画以上に社会を反映した賞ですね、という話を先ほど是枝裕和監督ともしていました」
1月頭のゴールデン・グローブ賞からアニー賞、アカデミー賞と約2か月間、アメリカでの大きな賞を経験し、細田監督は、オスカーには他の賞にはない特別なものがあったと振り返る。「ノミネートされた人たちが一緒にランチをして讃え合う会(ノミニー・ランチョン)があったり、短編、長編アニメの(候補者たちの)食事会があったり、シンポジウムがあったり。ノミニーたちが交流し、それが次の作品に生かせるような場を準備してくれているんです。アカデミー賞には勝敗以上に大事なことを発展させてくれるものがたくさんあって、認識を新たにしました」
また、授賞式の前日に開かれたノミニーたちとのシンポジウム「オスカーウィーク:アニメイテッド・フィーチャー」では、観客の反応を見て、世界における日本のアニメの価値を実感したようだ。「CGアニメ大国のアメリカで、日本でも手描きのアニメーションが作りづらくなっている、担い手がいなくて困っているという話を率直に語ったんです。手描きの美術は、宮崎(駿)さんの新作で終わるのではないかと言われています。そして、まだ手描きでやれる作品があると思うという話をシンポジウムでしたら、拍手をいただきました。CGじゃなく、何か失ったものを取り戻すべきじゃないか、といった共感の拍手をいただいたような気がしました。日本にはまだ手で描くアニメの文化、伝統、人材がちゃんとありますし、世界で求められている自分たちの役割を強く感じました」
去年のカンヌ国際映画祭での監督週間公式上映から1年近く、海外の観客の反応を肌で感じられたことが、細田監督にとって最も意義のある経験となった。「この作品を世界のいろんな人に観てもらったことで、世界の奥深さを感じています。この作品は僕の2人の子供がモデルなんですが、そういった非常に身近なところから発想して、その旅がアカデミー賞までいきつくというのは、作っている時には全く思っていませんでした。でも、そういうプライベートなところから発想した作品だからこそ、国境を越えていろんな方に『美しい作品だ。自分の国でも起こっているような作品だ』というお褒めの言葉をいただいたと思うんです。僕らの日常は価値のないものだと思いがちですが、実は身近なことこそ、遠い国の人々の日常と響き合うと思うんです。この作品を通して、それを確認出来て嬉しく思っています」
日本勢は惜しくも受賞を逃したが、今年のアカデミー賞では日本人にとって印象に残る瞬間があった。毎年、その年に亡くなった映画人たちを追悼するメモリアルのコーナーで、映画監督の高畑勲さん、黒澤明作品の脚本家として知られる脚本家の橋本忍さんが取り上げられた。かつてスタジオジブリと接点のあった細田監督は、その瞬間に感慨深げに思いを巡らせた。
「非常にジーンとしましたね。と言うのは、この作品のお披露目がカンヌ映画祭だったんですけど(フランスの現地時間2018年5月16日)、その日は三鷹の森ジブリ美術館での高畑監督のお別れの会の日だったんです。ジブリにいたときに何度かアドバイスをいただいた経緯もあって、是非お伺いしたかったですが、カンヌ映画祭があって行けませんでした。その時の上映で、『高畑監督が亡くなったことをどう思うか?』という質問があり、高畑監督がずっと日本のアニメの歴史で積み上げてきたものを、誰かが引き継いでいかないといけないと思いました。高畑監督がやられてきたような日常を大切にした映画を、誰かが継いでいかないといけないんです。それが僕だと言うのはおこがましいですが、亡くなった時にカンヌの舞台に立っていたり、アカデミーの授賞式の中で高畑監督の名前を見てしまうと、何か自分に託されている役目のようなものを感じないわけにはいきませんでした。こういう話をすると、ちょっとウルッときてしまいますが」(取材・文:細谷佳史)