福山雅治&石田ゆり子キスシーン秘話 『マチネの終わりに』監督明かす
シンガーソングライター、俳優の福山雅治の主演映画『マチネの終わりに』(公開中)。ドラマ・映画「ガリレオ」シリーズなどで長きにわたって福山とタッグを組んできた西谷弘監督が、本作の見せ場の一つでもあるキスシーンの裏側を明かした。
古くはドラマ「美女か野獣か」(2003)から。福山が物理学者を演じて当たり役となったドラマ「ガリレオ」(2007・2013)、その映画版『容疑者Xの献身』(2008)『真夏の方程式』(2013)などを手掛けてきた西谷監督。2014年に社会現象を巻き起こしたドラマ「昼顔~平日午後3時の恋人たち~」に続いて脚本家・井上由美子と組んだ『マチネの終わりに』では、芥川賞作家・平野啓一郎の同名小説に基づき、天才クラシックギタリスト・蒔野聡史(福山)とフランスで働く聡明なジャーナリスト・小峰洋子(石田ゆり子)の「6年の間に会ったのは3度だけ」という切ない愛の軌跡を描いた。
意外にも、福山にとって恋愛映画での主演は本作が初。西谷監督は「勿論、福山さんとの恋愛ものというのは、これまでいつだって考えられたことですし、今回ようやく叶ったわけです。福山さんの容姿で、シンガソングライターとして女心も歌っていらっしゃるわけですから、いつでも可能性があったと思います。ただ、逆に言えば、容姿が美しすぎて、私自身が照れてしまう、という部分もあって、なかなか叶わなかったのかもしれません。今回の実現は、(原作者の)平野さんの言葉を借りれば『分断と対立の時代に、しばし美しいものに浸って欲しい』という、今がその時だったのかもしれません。福山さん、石田さんは、純文学を表現するという意味で、ベストなキャスティングだったと思います」と語っている。
福山は本作で、婚約者のいる女性への道ならぬ恋に身を焦がす男にふんしているが、原作では女性への思いがモノローグで語られているのに対し、映画ではモノローグを省き、福山の表情に委ねられた。後半、ある衝撃的な事実を知った蒔野が激情を爆発させるシーンをはじめ、西谷監督は福山の演技を以下のように評している。「原作を2時間の映像に収めるために、モノローグという手法も考えましたが、原作を壊したくはなく、そしてモノローグという簡略的な説明に頼らずに、福山さんと石田さんの表情で勝負しようと思いました。あの、感情をあらわにするシーンは勿論ですが、蒔野聡史にとっての感情のオンとオフ、仕事とプライベートでの表情の違いにリアリティがあり、表現力の素晴らしさを感じました」
劇中、蒔野は洋子への思いが抑えられず、ついに洋子に会うためフランスに赴くが、洋子の自宅で繰り広げられる月明かりの中での密やかなキスシーンは、映画ならではの美しいシーンに仕上がっている。西谷監督がこのシーンで最も意識したのは「2人の距離感」だったという。
「隣あっていながらも別々のソファに座るという距離感。長い一つのソファに隣同士で座ったり、並んで立っていたりということも有り得るシチュエーションですが、すぐに抱きしめあったり、しなだれかかったりということが出来るような距離にはしませんでした。あえて、少し離れた場所に座って、そこから距離を縮められるように、ということを考えました。それが2人にとっての、時間と距離の物語ですから」
10月24日に行われた公開直前イベントでは、このシーンに対し福山が「あんなに『もっとちょうだい』という西谷さんは初めて」と振り返っていたが、西谷監督はその意図を以下のように明かした。「物語で、2人が肉体として触れ合うのは、たった一回です。結果論かもしれませんが、その一回の体の触れ合いで、その後の四年間、それぞれがその残像を引きずって生きていく。その温もりが、その瞬間が、少しでも長く続くようにという思いで『今撮ったテイク以上に求め合ってほしい』というお願いをしました」
昨今、ティーン向けのきらきらとした青春ラブストーリーがひしめくなか、40代の男女のラブストーリーというのが新鮮だ。40代の男女の恋愛を描くことの醍醐味とは、どんなところにあるのか。「10代の無力な愛というのも好きですが、恋に恋する時間を経た大人たちは、経験を積んだぶん、愛の形は変わります。相手を思いやるようにもなり、傷つくことを恐れるようにもなる。どこか愛に向かって躊躇する様が描かれるのが好きで、醍醐味でもあります。難しさは、年を追うごとに、経験を積むごとに、愛の形は千差万別になっていく中で、描く物語の何に共感してもらうべきかを選択していくことだと思います」
西谷監督と、主演の福山、脚本家・井上由美子。長きにわたって信頼関係を築いてきた2人とのコンビネーションが結実した、美しく、深い余韻を残すラブストーリーが誕生した。(編集部・石井百合子)