吉岡秀隆『男はつらいよ』新作は怖かった
1996年に他界した俳優・渥美清さん。その翌年に劇場公開されたシリーズ第49作目『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』から22年たった2019年に、新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』は劇場公開を迎えた。物語の軸となるのは渥美さん演じる寅さんの甥っ子・諏訪満男。演じるのは吉岡秀隆だ。久々の『男はつらいよ』の撮影現場、吉岡の胸にはある怖さがあったという。
吉岡が『男はつらいよ』シリーズに参加したのは、1981年に公開された第27作『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』から。倍賞千恵子演じるさくらと、前田吟ふんする博の息子・満男として登場し、16年に渡り同役を務めた。山田洋次監督は「満男の成長ぶりをまとめてみると実に面白い」と話していたが、吉岡にとっても『男はつらいよ お帰り 寅さん』は集大成とも言える作品になっているのではないだろうか。
そんなことを聞かれた吉岡は「正直こんなにつらい仕事はなかったですね」とつぶやく。そこには渥美さんという存在の大きさが垣間見える。「この作品に携わるということは、僕にとって渥美さんがいなくなってしまったということを再認識させられる仕事なんです。渥美さんがいてくださって、僕を受け止めてくれて初めて満男という人物が成立する。その方がいないということが、どんなことなのか見えない部分が多くて怖かったんです」と真情を吐露する。
この言葉通り、満男の側には常に伯父さんがいた。特に1989年公開の第42作『男はつらいよ ぼくの伯父さん』以降、物語に大きく関わっていく吉岡にとって、常に側にいて見つめてくれている渥美さんの存在は非常に大きなものだったというのは、容易に想像できる。そんな渥美さんが「いなくなってしまった」というのは想像できない感覚だったようだ。
しかし、山田監督が書き上げた台本に目を通したとき、吉岡は「山田監督自身が、寅さんに会いたいんだな」という思いが強く伝わってきたという。そして現場にいるスタッフ、さらに倍賞や前田、後藤久美子、夏木マリ、浅丘ルリ子ら共演者、そして山田監督の後ろ姿を見ていると「その先に渥美さんがいるような気がしてきたんです」と撮影を振り返る。
「吉岡秀隆としては、渥美さんがいないという現実を知ることでつらい思いをしましたが、役者として、魂として常にそこに寅さんがいるんだという感覚を味わえたことは、とても良い経験だったと思います」
渥美さんとの思い出は枚挙にいとまがないが「かしこまってエピソードを聞かれても、すぐには思い出せない。思い出しては消えていく」と語った吉岡。本作でまた渥美さんに出会えた喜びと、もう会えないんだという寂しさをかみしめながらの撮影だったのかもしれない。(取材・文:磯部正和)