ゲイ・アイコンとしてのジュディ・ガーランド…LGBTQコミュニティと共に生きた伝説の人
ゲイ・アイコンと呼ばれるスターの中でも、最も有名なのはジュディ・ガーランドだ。現在公開中の『ジュディ 虹の彼方に』にも、あるゲイカップルが、ガーランドのキャリアを締めくくる存在として出てくる。あれは史実に基づいたものではなく、LGBTQコミュニティから最大のゲイ・アイコンである彼女への賛辞として登場しているといっていい。なぜ彼女はLGBTQにここまで愛されているのだろうか?(よしひろまさみち)
そもそもゲイ・アイコンとは、昔はゲイ、今ではLGBTQ全体から厚く支持される有名人のことだ。ゲイ・アイコン自身が性的マイノリティ当事者というケースもあるが(フレディ・マーキュリーやレディー・ガガなど)、ジェンダーやセクシュアリティは関係なく、別の特徴がある。それは、何かを表現する才能に長けていること、そしてひたすら豪華できらびやか、とてつもない逆境を経験しつつもそれをものともしない(もしくはしないように見せる)強い心の持ち主ということ。ファッションの祭典METガラの昨年のテーマになった「CAMP」(不自然にやり過ぎだけど最高にゴージャスで楽しい、を示すLGBTQコミュニティの言葉)にも通じる考え方だ。最近の日本で例えると、昨年末の紅白歌合戦で巨大なレインボーフラッグ前で熱唱したMISIAやそこに登場したドラァグクィーンの皆さんはCAMPであり、MISIAは日本のゲイ・アイコンである、といっていい。
さて、話をジュディ・ガーランドに戻すと、彼女がゲイ・アイコンとして認知されたのは、彼女の出世作である『オズの魔法使』の主人公ドロシー役がきっかけ。『オズの魔法使』には頭脳のないかかし男、心のないブリキ男、勇気のないライオンが旅のお供として登場する。彼らのコンプレックスの克服と、そのよき理解者で支持者でもあるドロシーにLGBTQ、主にゲイの人々が思いを重ねたことで、作品がLGBTQのマスターピースとなり、ドロシー=ジュディ・ガーランドはゲイ・アイコン化した。それを示す証拠として、昔はゲイを示す業界隠語として「Friend of Dorothy(ドロシーの友達)」という言葉が使われていた。日本で言うところのゲイという言葉を使えないシチュエーションで使っていた「組合員」「お仲間」に近い(これまた死語だが)。
少女時代からダイエットのため、そして何時間でも働けるようにと大人たちから薬漬けにされたのをはじめ、ガーランド自身が数え切れないほどの苦境に立たされても、天性の歌唱力と演技力を持った万に一人のパフォーマーだったことも、彼女が『オズの魔法使』以降もゲイ・アイコンとして支持された理由の一つ。しかも、同性愛者差別が当たり前だった時代に、ガーランドは彼らへの寛容な姿勢と理解を示していた数少ないスターだった。抑圧された人生を送っていた当時のLGBTQコミュニティの人々が彼女にシンパシーを抱いたのは自然な流れだ。
また、彼女を取り巻く人々の多くも、実はゲイやバイセクシュアルだった。彼女の父、2番目の夫でライザ・ミネリの父でもあるヴィンセント・ミネリ、4番目の夫のマーク・ヘロン、MGMお抱えの作曲家ロジャー・イーデンス、振付師のチャールズ・ウォルターズ、『スタア誕生』の監督であるジョージ・キューカーなどなど。性的マイノリティが差別された時代だけに全員が公にしていないことだが、ガーランドの人生を支えたのは華麗なるゲイ・コネクションであったことは事実だ。
ゲイ・アイコンであり、LGBTQコミュニティと共に生きた伝説の人。それがジュディ・ガーランド、ということを知った上で『ジュディ 虹の彼方に』を観賞すると、ラストシーンの重みは段違いに変わってくる。