逮捕歴約70回の父から影響 エミリオ・エステヴェスの大転機
1980年代に青春映画のスターとして人気を博し、今では映画監督として活動を続けるエミリオ・エステヴェスが、監督、脚本、主演を務めた最新作『パブリック 図書館の奇跡』(公開中)と、メインストリームに背を向けた独自のキャリアについて語った。
子供のころからショーン・ペンらと映画作り
『アウトサイダー』(1983)、『ブレックファスト・クラブ』(1985)といった80年代を代表する青春映画でその名を知られるようなったエステヴェスは、名優マーティン・シーンを父親に持ち、子供の頃から弟のチャーリー・シーンや近所に住んでいたショーン・ペンらと8mmフィルムを回していたという映画業界のサラブレッド。23歳で撮った監督デビュー作『ウィズダム/夢のかけら』(1986)は、ハリウッドメジャー作の監督としては史上最年少だと話題を呼んだ。近年は寡作ながらもインディペンデントな映画作家として真摯な活動を続けている。
早くからクリエイターを目指していたことについて「俳優として仕事をする前から、自分のことはストーリーテラーだと思っていた」とエステヴェス。「10歳くらいから映画を作り始め、17歳で最初の戯曲を書いた。ベトナム戦争の後遺症がテーマだった。父が主演した『地獄の黙示録』の撮影現場にいたことで戦場PTSDに苦しむ兵士のことは知っていたからね。僕は早くから社会的な問題に関心を抱いていて、それらを心に響く物語として描きたいとずっと思っていた」
テレビで父の逮捕を見ていた少年時代
セレブな環境に育ったエステヴェスが、一貫して名もなき庶民や、社会からはじき出された人たちに視線を向け続けているのは、社会活動に熱心な父マーティン・シーンの影響が大きいという。「ウチの父親は、それこそ非暴力の抗議行動で70回は逮捕されてるからね(笑)。子供の頃は、父が手錠をかけられている姿をテレビのニュースで見ても、どうしてそこまでするのか理解できなかった。『パブリック 図書館の奇跡』は、そんな父に対する思いが反映されていて、非暴力の市民運動とはどういうものかを描いているんだ」
『パブリック』は、アメリカでは昨年4月に公開されているが、BLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動の抗議デモや人権問題に関する議論に火が付く中で「公開が一年早かったかも知れない」と言う。「自分の国だけでなく世界中でさまざまなことが起きていて、まさに今の現実を映していると思う。僕は、映画がその時々、その瞬間と繋がることができると信じていて、例えば14年前に作った『ボビー』も、今の方が時代に関連した作品になっている気がするよ」
人生の進む道を決めた興行的な大失敗
現在のインディペンデントなスタンスに舵を切る大転機になったのは、1996年に監督・製作・主演を務めた『THE WAR/戦場の記憶』だった。ベトナム戦争の帰還兵を演じたこの作品は、全米でわずか4館でしか上映されず「観客はいないに等しかった」と振り返る。「でもそのおかげで、自分が最初に俳優になった時の気持ちを思い出した。僕が俳優になりたかったのはお金や名声のためにじゃない。ストーリーを語る仕事に就きたかったんだ。それからは、自分が作る作品やキャラクターをもっと愛せるようになった。そして大金がもらえるメインストリームの仕事は辞めて、時には一銭にもならないけど、本当に作りたい映画だけをやってきたんだ」
エステヴェスは、自分が目指す映画を「グルテンフリーのチーズケーキ」に例える。「健康に気を使いつつも美味しいからね(笑)。映画に込められた社会的なメッセージは、隠されていることもあからさまなこともあるけれど、もちろん観る人が楽しめるものを作りたい。健康的だからと言って、人は毎日ケールサラダばかりは食べていられないだろう?」
若気の至りで突っ走った監督デビュー作と新作の共通点
『パブリック』で エステヴェスが演じる主人公は、道を踏み外した過去を持つ図書館職員。大寒波の日に大勢のホームレスが図書館に立てこもり、気がつけば占拠事件の首謀者にされてしまっているという役どころだ。望んだわけでなく困窮する人のために矢面に立つ展開や、主人公の名前が「GOODSON(善き息子)」と象徴的であることなど、監督デビュー作『ウィズダム』に通じる要素も多い。
エステヴェスは不承不承ながらその指摘に同意する。「関連を意識してはいなかったけれど、そのふたつの映画に共通点があるという説には賛成するよ。僕には世の中の弱い立場の人たちやアンチヒーローに入れ込む傾向があって、そういう人たちを描きたいし、演じたいという欲求があるんだと思う。逆に、宇宙に飛び出してエイリアンと戦うような映画はどう作っていいかわからないんだ(笑)」
しかし『ウィズダム』については過去に否定的な発言を繰り返してきた。その気持ちは今も同じかと訊ねると「残念ながらイエスだね」と苦笑する。「23歳であの映画を作ったこと自体は誇りに思ってるよ。ただ、『サウンド・オブ・ミュージック』のロバート・ワイズ監督がエグゼクティブプロデューサーとして参加してくれたり、ダニー・エルフマンが音楽を担当してくれたり、最高の人たちに囲まれていたのに、まだ傲慢な若僧だった僕は彼らに耳を貸さなかった。彼らの仕事は素晴らしかったし、あの映画に注がれた努力は誇らしいけど、もっといい映画にできたのにと思うんだ」
その反省は、現在の映画作りに活かされている。「コラボレーションや他人のアイデアにオープンであることが大切なんだ。いいアイデアなら誰のものでも構わない。よりよい映画に仕上がるなら大歓迎だよ。言いたいのは、拳を閉じていては何も手にすることはできないけど、手を開けば素晴らしい贈り物が得られるってこと。一見、贈り物に見えないこともあるけどね(笑)」
テレンス・マリックを激怒させた過去
自身の監督作以外では演技の仕事から離れているエステヴェスだが、過去に主演した『ヤングガン』(1988)と『飛べないアヒル』(1992)のリメイク企画には顔を出すという。さらにテレンス・マリック監督の伝説的傑作『地獄の逃避行』(1973)に出演した際のエピソードを語った。
同作は父マーティンが主演しており、ロケ地のコロラド州を訪れたエステヴェスと弟のラモンは「家の前に立っている子供」という端役をもらったという。「僕たちは70年代らしく肩まで髪を伸ばしていて、現場で僕らを見たマリック監督が激怒したんだ。時代設定は50年代だったからね。監督は周囲を見渡して代役を探し始め、ヘアメイク担当が『この子たちに5分ください』と言ってその場で散髪してくれたんだ」と明かし、危うく初めての役を逃すところだったと笑った。(取材・文:村山章)