レディー・ガガとも共演した小山田サユリ、コロナ禍のニューヨークで奮闘中
コロナ禍は多くのエンターテイナーから活躍の場を奪ったが、現在感染者が急増し続けるニューヨークで暮らす日本人女優の小山田サユリもその渦中にいる。女優である彼女が見出した活路とは意外なものだった。
日本で活躍する女優から渡米まで!
田舎育ちだったと語る小山田は、「TV、映画の世界は私には関係のないところだ」と思っていたそうだ。しかし、短大に通っていたときにモデル・女優の事務所にスカウトされたことが転機になったという。
「田舎に戻りたくなかった私にとっては、その事務所がある意味、就職のようなものでした。なぜなら、短大に行かせてもらったのも、卒業後は故郷に帰ることが条件だったからです。すでに私は幼稚園教諭免許や小学生教員免許(2種)を取得済みで、うちの父親が教育機材を売る会社を経営していたため幼稚園や小学校にはコネクションがあり、故郷に帰ったら幼稚園か小学校に就職するよう言われていたんです」。
スカウトされて入った事務所で、最初は主にCMに出演していたが、本格的に映画にシフトチェンジしたのが、ある個人事務所の社長兼マネジャーとの出会いだった。
「その方が、すごく映画が好きで、本当は男の役者を育てたいという思いが、何の因果か私を見ることになったそうです。その方と2人3脚で頑張りました。今は、その事務所はないのですが、その方のおかげで女優になることができました」
黒沢清監督の『アカルミライ』に出演し、行定勲監督の『Seventh Anniversary セブンス アニバーサリー』では主演も務め、これまで宮崎あおい、西島秀俊、緒形拳、ビートたけし等と様々なジャンルの映画で共演し映画にこだわってきた。
ところが、30歳を過ぎてある悩みにぶつかったそうだ。「それまで、女優として雰囲気だとか、透明感で、仕事をしてこられたのですが、特に30歳を過ぎると、日本の女優は、仕事をするのが急に難しくなるんです。雰囲気だとか、透明感以外に、自分には女優としてのスキルがもっと欲しいと思いだしました」。
そんな頃に、彼女の運命を変える2つの仕事に巡り合う。「1つは、ドミニカ共和国で映画『ミラクルバナナ』の撮影をし、もう1つは中国のTV局・中央電視台のドラマ「記憶の証明」(全29話)に主演させて頂いて、3か月も中国にいたんです」
それがきっかけで海外に視野を広げて、文化庁による新進芸術家海外派遣制度の面接を受けたという。その際に、ニューヨークへの想いを面接官に伝えたそうだ。「私は80年代の独立系映画が盛り上がっていた頃が好きだったことや、ニューヨークでは文化の面で、映画だけではない何かを吸収できるという直感があって、その意思を伝えました」。
結果、面接には合格し、30代半ばで念願の渡米をするものの、新天地では大きなハードルが待ち受けていた。
渡米後の苦労とレディー・ガガとの共演!
ニューヨークの映画学校に通っていた小山田は、当時をこう振り返る。「英語もろくにできずに、学校に入ること自体が挑戦で、本当に自分は無知だったと思いました。自分で自分を追い込んで、なんとかやろうと思いながらも、大変な時期でした。でもその期間は、とても吸収することが多かったんです」
日本では一流の映画監督と仕事をしてきた小山田が、もう一度、女優として別の国で一からやり直すことは、苦労を強いられたようだ。しかし、ある時期から考え方を転換させたという。
「演じることは、どこにいても一緒なんです。もちろん日本を離れてアメリカに住んで、映画業界を目指すには英語は必要不可欠ですし、ずっと学び続けますが、ネイティブにはなれないという開き直りの部分もあります。それくらいの気持ちの余裕を持っていた方が逆に自然に英語を習得できるのではないかと思っています。さらに、演技は言葉だけじゃないことも、その時にすごく実感したんです」
その頃から彼女は、言葉だけではなく、ある直感的なものを自分の売りにしていたという。それが資生堂のCMでレディー・ガガとの共演や映画出演に繋がっていく。
ガガとのタッグについて小山田は「彼女(ガガ)は、ファッション業界で有名なフォトグラファー、エレン・ヴォン・アンワースと何度も意見を交換したり、私に『私は高いヒールの靴を履いていて、あまり動けないからあなたが周りを動いてね』と指示してくれたり、こだわりを持って撮影していました。 彼女は偉ぶるという感じではなく、凛とした力強さ、パワフルさを肌で感じることができ、女性としてとても魅力的で一気にファンになりました。日本の女性には、このかっこよさやパワフルさが足りない気がします。それは日本の環境や文化とも関係しているとは思いますが、もっと『Be Yourself』でいいのではないか? と思ったんです」とガガの立ち振る舞いから周りに左右されない強い心の持ち方を知ったそうだ。そんな、ガガとの共演や夫から学んだビジネスセンスを取得したことが、コロナ禍で、女優として働けない状況下で、新たなビジネスを始めるきっかけとなった。
新たなフード・ビジネスでの奮闘!
現在、映画業界の大作は、カナダや英国で撮影し、予算の少ない独立系映画はクラスターを恐れて、ロケーションやスケジュールの確保が難しく、その多くが撮影できない。小山田もその一人だった。そんな中で、「創作おにぎり」という事業を始めることになる。
「ニューヨークがロックダウン中で、どの業界も大変だった時期に、マンハッタンで1日も休まずにグローサリーストアをオープンしていた友人に日本食を食べてもらったときに褒められたんです。そこで、その友人から『創作おにぎりを作らないか?』と提案されたんです」。
ところが、ダメもとで試験的に出したその「創作おにぎり」がアメリカ人に受け入れられ、連日完売することになった。「小さなグローサリーでしたが、1日70個コンスタントに売り切れたことから、販路を広げた方が良いと提案されたんです。やがて別のクライアントからもオファーされたことから、2か月前に会社を立ち上げ、スタッフを雇いました」と全く知らなかったフード業界に、本格的に足を踏み入れたという。
この半年間、小山田は朝5時に起き、2日間しか休まったなかったものの、全部で8種類の「創作おにぎり」と、おにぎりと寿司の中間のヘルシーなスシロールを試作しているという。
今、女優業をやりつつも、フード業界にも足を踏み入れていることについて彼女は「私は、女優業だけという考え方は、古いのではないかと思います。いろいろなことに挑戦すべきだと思っています。私が日本に居た時は、絶対にできなかったことでした。女性が新しいことをしたり、女優が違うことをすると圧がかけられているのを感じていました。女優業とフード業界は全く別なことですが、アメリカだからこそ何かにチャレンジすることができたのだと思います。女優だから、こういうフード業界に関わってはいけないこともないんです」と語る通り、ハリウッドで活躍している女優は、コスメティック関係やファッション関係の仕事にも携わっているケースが多い。
「今はフードビジネスに集中していますが、このコロナ禍が落ち着いたら、女優業に戻りたいと思っています」と語る彼女だが、アメリカのホラー映画『Bashira』の公開が今年11月に公開予定だったが、コロナ禍で延期になっている。
「いろいろな選択肢を持っていても良いと思います。誰が何を言おうが、自分が決めたら、突き進めばいい」。
フィルム・スクールでろくに英語も喋れなかった彼女は、約10年の月日を経て、ニューヨークでサバイバル・スピリッツを培い、たくましく前を見ながら生きている。(取材・文:細木信宏/Nobuhiro Hosoki)