アカデミー賞最有力候補『ノマドランド』原作者に聞く現代の遊牧民の生活
第93回アカデミー賞
第77回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、第45回トロント国際映画祭でも観客賞を獲得したアカデミー賞最有力候補の話題作『ノマドランド』(3月26日全国公開)の原作者ジェシカ・ブルーダーが、映画の基になったノンフィクション「ノマド:漂流する高齢労働者たち」の世界観について、単独インタビューで語った。
本作は、映画『ザ・ライダー』で注目を浴びたクロエ・ジャオ監督がメガホンを取り、『ファーゴ』『スリー・ビルボード』で2度のアカデミー主演女優賞を獲得した演技派女優フランシス・マクドーマンドが主演を務めた。そのストーリーは、ネバダ州で暮らす60代の女性ファーン(フランシス)は、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失い、キャンピングカーに家財道具など全てを詰め込みノマド(現代の遊牧民)生活をすることを決め、高齢者にとっては過酷な季節労働を乗り越えながら、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ねていくというもの。
ジャーナリストとして活躍し、コロンビア大学でもジャーナリズムの教鞭を執るジェシカが、いかにノマド生活をする人々に興味を持ち、ノンフィクション「ノマド:漂流する高齢者たち」を執筆したのか。
「正直、ある雑誌を読むまでは、ノマド生活をする人の存在すら知らなかった。その雑誌には、アマゾンのプログラムで働き、RV(住居用のスペースが付いた自動車)で暮らし、(貯金がなく、年金も少なくて)引退することのできない高齢者の人々が記されていたの。アマゾンのプログラムは、そんな人々のためにあるけれど、わたしはそんなプログラムがあることを聞いたことさえもなかった」
「ただ、私自身はサブカルチャーに興味があり、さらにデジタル時代と労働の接点にも興味があって、アマゾンのプログラム、Camper Force(プロダクトの配送が忙しくなる秋からクリスマス頃までの巨大倉庫での季節労働のこと)を知ったの。そこには何千以上の人々がいて、アマゾンのプロダクトをパッケージする人から、クリスマスツリー、パンプキン、花火などを売る人までいて、(あまりの衝撃に)頭が爆発しそうになった」と出発点を明かした。
その記事がきっかけで、ジェシカは実際にRVで15,000マイル(24,000キロメートル)をドライブし、3年間もかけて取材を敢行する。
「実際に取材することでフェアな観点から掘り下げた内容で、適切な文章が書けると思ったの。私には、テッド・カノーヴァーというジャーナリストの友人がいて、かつて彼があるグループの人々をインタビューした際に、自分はまるで『ハワイのTシャツを着たツーリストみたいだ』と感じたことがあったそうなの。それは、ジャーナリストとして、自分が聞きたい以上のことを聞き出せなかったからなの」と明かしその話は彼女に心に深く刻まれたという。それから全く知らない人々から掘り下げた話を聞くためには、一対一のインタビューではなく、人々の動きを観察しながら、話を聞いてみるのが良いと判断したそうだ。
ちなみに、米国のRVが白人文化として根づいているのは、RVを生産する企業が顧客のターゲットを白人の中産階級を想定してきたということと、白人であれば、路上駐車していても警察に簡単に逮捕されないという不公平な事実があるからだ。さらにジェシカは、ノマド生活をする人々を理解するために、アマゾンで1週間の体験労働をし彼らにアプローチをかけたのだという。
「実は、そのアマゾンの巨大倉庫でわたしが働く前に、Camper Force で働く人々約50人ぐらいに、すでにインタビューをしていたの。でも彼らの生活をより理解し、学べるならと思い、実際にアマゾンでも働かなければいけないと感じたの。原作では、自分以外の人々の話をノンフィクションで記しているけれど、彼ら(ノマドの人々)が通った道や彼らが見てきたことを知ることが、より豊かな体験になると思ったの」
『ノマドランド』にも出演し、ジェシカがノマド生活をしていた際に出会った女性、リンダ・メイ(リンダの半生がフランシス演じるファーンのキャラクターのベースになっている)とは、どんな人物なのか。
「わたしがリンダ・メイに会ったときは、まだ彼女はノマド生活を始めて一年にも満たない時期だったの。でも、そのこと(リンダの体験が少なかったこと)が、ある意味、自分の代理としてリンダの人生を追う機会が与えられたと思ったの。なぜなら、リンダ自身も学ぶことで、読者も彼女の体験を読みながら、まるで追体験している感覚になると思ったから。リンダには興味深い目標があって、それは、アースシップ(風と太陽で電気を賄う)というサステイナブル住宅を作ることなの。わたしもそのアイデアに、とても興味を持ったわ。わたしは彼女の会話のリズムと話し方がとても好きで、インタビューしている際も、普段の時も全く変わらなかった」とリンダの人柄に惹かれたことを明かした。
アマゾンの巨大倉庫は、アメリカのフットボールのスタジアム約2、3個分ある。高齢の労働者は、配送品をスキャンするために倉庫内の長い距離を右往左往することになるが、彼らにはどんな身体的な苦労があったのだろうか。
「私が出会った70代の男性は、このアマゾンの巨大倉庫のコンクリートのフロアを1日で約15マイル(24キロメートル)も歩いていたわ。肉体的にとても厳しい仕事なの。現場には薬剤師がいて、アドビル(頭痛、風邪、軽度の関節炎などの効く薬)などが置いてあったわ。わたしが出会った労働者は肉体的に厳しい仕事だということは理解して働いていたの」と振り返った。ちなみに、アマゾンでは高齢者の働きぶりは模範的と評価していて、彼らは基本的なルールを守り、遅刻も少ないことが、雇う側も利点であるようだ。
ジェシカは実際に撮影中にセットを訪れて、フランシスやクロエ監督に会ったそうだ。「彼らがアリゾナ州クォーツサイトで撮影中に、わたしはセットを訪れる機会があった。その時クルーは、わたしが2014年に取材したRubber Tramp Rendezous(キャンピングカーを所有する人々やノマド生活をする人々の集会)を再現したシーンを撮影していたの。その間にわたしは、(セット近くの)RVに1週間も泊まっていたこと(フランシスも撮影中にRVで暮らしていた時もあったこと)が信じられなかった。わたしの原作を読んだ人たちとフランシスの交流する姿が自然で、そんな彼女の寛大な姿を見られたのは本当に素晴らしかった。そんな自然な姿が、きっと映画内にも反映されていると思う」。
新たにノマド生活をし始めた人々は、ホームレスというラベルを貼られることを拒否し、レストランでも食事し、服装も中流階級の人々に見える。彼らのライフスタイルでジェシカが素晴らしいと思ったことは「アメリカでは長い間、一律の賃金制度があったり、シェルター(アメリカの人々が家具や荷物を収容している場所)のコストがかかるようになって、それらが、人々が快適な生活をするために必要な全てのことを困難にさせたの。すると、わたしが出会った人々は、住宅ローンや、自宅の電気代などを排除することで、そういったシステムを壊して、ノマド生活者としての道(未知の世界)を踏み出すことを決めたの。想像してみて、自分が高齢者になり、すべて自分で何もかもしなければいけない状況を。だから彼の勇気、創造性、そして(困難、苦境からの)回復力には感心させられるわ」と3年間の取材で高齢者のパワーに驚かされたことを明かした。
しかし、ノマド生活では、危険な目に遭うことが想定されるが、ジェシカからは意外な答えが返ってきた。
「ノマド生活をする多くの人々から、過去に犯罪の犠牲者になったことを聞かされたけれど、正直、(取材中の)わたしの周りでは、そんな話を聞いたこともなかった。わたしが取材を終えて、ニューヨークに戻ってきた際も、『あなたはシングルの女性でロード(道端)暮らしをしていて、怖くなかったの?』と友人から聞かれたけれど、わたしは何も危険な目に遭っていないため、あえてガッカリした口調で、友人たちに『唯一、危険だったことは、(ノマドの人々が親切で)食べ物をよく提供してくれるため、太らないことだけには気をつけたわ』と言ってやったわ(笑)」。
このパンデミックにより職を失い家賃の支払いが厳しくなっている人も多いが、今後は多くの人々がこのノマド生活を選択する機会が増えるかもしれない。
「ノマド文化はすでに発展しているし、もしこれ以上ノマドの人々が増えても、それほど驚かないと思う」とジェシカは明かし、今やノマド生活がネガティブなことではなく、ライフスタイルの選択肢の一つとして、自然に人々に受け入れられはじめていることを感じているという。
また、『ノマドランド』でも描かれていたが、1か所に定住しないノマド生活者と家族とのかかわりは、容易にいかないことが考えられ、それがノマド生活を継続することの障害になったりすることは実際にもあるらしい。
「時々、ノマド生活を送る人々を心配する家族に出会うけど、ノマド生活者のコミュニティーみたいなものがあるの。そこに家族が顔を出すことができるわ。でもノマド生活は、体験してみないとわからないから、その思いをしっかりと家族に伝えることは難しいらしいの。中には、そういったノマド生活を送る人をサポートする家族もいるけれど、そうじゃない家族もいてこれは一例にすぎないんだけど、ノマド生活をしていたマケドニア(北マケドニア共和国)出身のイスラム教徒の男性がラマダーン(断食)の時に実家に戻ったら、子供にとって彼は悪い影響を与えると言われ、家族から追い出されたの。それは、とても苦しい体験だったみたい」。
最後にジェシカが執筆した原作と、フィルムメイカーと俳優が手掛けたこの映画を通して観客に何を感じ取って欲しいのかを聞いた。
「わたしが一番したくないことは、人々の考え方に何かを考え植えつけたり、どんな体験をすべきかを押しつけるような伝え方をすることです。なぜなら、このような作品の価値は、それに没頭できるか、できないか、それだけだから。私の原作を読んだり、映画を鑑賞した人々に世界が少し広がったと感じてもらえることを願っています。そして出会った人の話に興味を持ってもらいたい。そう感じてもらえたら、ジャーナリストとしてのやりがいを感じるわ」。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)