大島渚賞、第2回は該当者なし 審査員長・坂本龍一らがコメント発表
「ぴあフィルムフェスティバル」(以下、PFF)が新たに創設した大島渚賞の第2回受賞者は、「該当者なし」であることが明らかになった。今回の結果に関して、審査員長を務める坂本龍一、審査員の黒沢清、荒木啓子(PFFディレクター)がコメントを発表している。
大島渚賞は、映画の未来を拓き、世界へ羽ばたこうとする若き映画監督に対して贈られる映画賞。日本で活躍する映画監督(劇場公開作品は3本程度)、さらに原則として前年に発表された作品がある監督を選考対象としており、第1回はハンガリーの巨匠タル・べーラ監督の弟子であり、『鉱 ARAGANE』『セノーテ』で高評価を得た小田香(おだ・かおり)監督が受賞した。
第2回も選考が進められていたが、審査員の総意として「該当者なし」という結果に。坂本は「もし大島渚賞などという形で大島渚が権威になるのだったら、それこそ大島渚が最も嫌ったことだろう。だから大島渚に迎合するのは絶対にだめなのだ。そうではなく大島渚を挑発し、批判し、越えていくことこそ最も大島渚賞にふさわしいと言えるのだ。そのような映画にわたしたちは出会いたい」とコメントした。
また、黒沢は「表現の極北から見出される鋭い刃物のようなクサビで、人と社会とを永遠に分断させよう。これら二つが美しく共存するというのはまったくの欺瞞だ。このような映画製作に挑む若者を探している。それは大島渚が切り開いた道であり、決して閉ざしてはならないと思うから」と若い映画監督に向けてメッセージ。荒木は、「大島渚賞の審査会議は映画についての長い熱い対話となり、思い切った決断結果となった」と今回の結果について語っている。
3月20日には、予定されていた授賞式に代わり「第2回大島渚賞記念イベント」が開催される。審査員の黒沢と荒木が登壇し、今回の決断に至った思いを伝えるほか、大島監督夫人で女優の小山明子が、大島映画の魅力を語る。また、坂本・黒沢の二名がベストワンと激賞する映画『日本春歌考』の特別上映も行われる。坂本・黒沢・荒木のコメント全文は以下の通り。(編集部・倉本拓弥)
坂本龍一(審査員長)
もし大島渚賞などという形で大島渚が権威になるのだったら、それこそ大島渚が最も嫌ったことだろう。だから大島渚に迎合するのは絶対にだめなのだ。そうではなく大島渚を挑発し、批判し、越えていくことこそ最も大島渚賞にふさわしいと言えるのだ。そのような映画にわたしたちは出会いたい。
黒沢清(審査員)
「いろいろあったけど、よかったよかった」となる映画が多すぎる。本当にいろいろあったなら、人は取り返しのつかない深手を負い、社会は急いでそれをあってはならないものとして葬り去ろうとするだろう。人と社会との間に一瞬走った亀裂を、絶対に後戻りさせてはならない。あなたがささやかに打ち込んだクサビは、案外強力なのだ。よかったよかったと辻褄を合わせる必要なんかどこにもない。「たかが映画だろう」と周りは言うかもしれない。しかし映画とは何だ? ぼんやりとみなが想像するものだけが映画ではない。表現の極北から見出される鋭い刃物のようなクサビで、人と社会とを永遠に分断させよう。これら二つが美しく共存するというのはまったくの欺瞞だ。このような映画製作に挑む若者を探している。それは大島渚が切り開いた道であり、決して閉ざしてはならないと思うから。
荒木啓子(審査員)
国内外の映画キュレイターやジャーナリストから推された新人監督たちを語りながら、映画、そして映画監督への期待のみならず、映画の可能性、喜び、を覚醒させる坂本、黒沢両氏の、映画愛、大島渚愛溢れるスリリングな時間があっという間に過ぎていった。青春映画、子供映画、恋愛映画、戦争映画、時代劇、実験映画にドキュメンタリー。そのフィルモグラフィーの多彩さ、絶え間ない挑戦に驚かされる大島渚監督は、映画の技術を会得し、映画とはメロドラマであると言い切れる人だった。いち早く海外に飛び出し、また、テレビという媒体の面白さも発見した人だった。多面体過ぎて掴むのが難しいほどのその活躍の芯にある、映画という創作。大島渚賞の審査会議は映画についての長い熱い対話となり、思い切った決断結果となった。