執念のシミュレーション!不老不死描く『Arc アーク』の裏側、石川慶監督が語る
現在公開中の芳根京子の主演映画『Arc アーク』。ポーランドで映画制作を学び、『愚行録』『蜜蜂と遠雷』などで注目を浴びた石川慶監督が、SF作家ケン・リュウの短編小説「円弧(アーク)」を映画化した本作では、芳根演じる「人類で初めて永遠の命を得た女性」の物語が描かれる。人類にとって永遠の夢である「不老不死」の世界を描くにあたってどのような取り組みをしたのか。石川監督に話を聞いた。
【動画】プラスティネーションって何?『Arc アーク』本編映像
物語は、生まれて間もない息子と生き別れ放浪生活を送っていたリナ(芳根)が、人生の師となるエマ(寺島しのぶ)と出会い、遺体を生前の姿のまま保存できるように施術(プラスティネーション)する「ボディワークス」を制作する仕事に就くところから始まる。やがて、エマと同じ組織「エターニティ社」に属するエマの弟・天音(岡田将生)はその技術を発展させ、ストップエイジングによる不老不死の技術開発に成功することとなる。
石川監督は理系出身とあって「いつかはSFに挑戦したかった」というが、短編小説を2時間以上の映画に膨らませることもあり、未来のイメージを感覚的に作ることを避け、設定の一つ一つを綿密に定義していく必要があった。「身の丈に合うスケール感で、自信をもってお客さんに見せられるSFを作りたいと。時代によってデザインが著しく変わりそうな、パソコン、携帯、車、時計といったものはほとんど映していませんし、新しく作り上げたものはないんです。最初の脚本には東京という地名や時代設定もあったのですが、最終的にはなくなりました。日本の近未来というよりもパラレルワールドに少し近いというか、なるべく現実から離れすぎないようにと脚本を作っていました」。なお、原作ではアメリカを舞台にしている。
そして、映画の肝となる「不老不死」の世界。石川監督は「人間が死ななくなったら?」ではなく、「人間の生きる時間が長くなったとしたらどうなるのか?」とシミュレーションし、世界観を作り上げていった。
「不老不死を描いた作品は多くありますが、自分としては単に死なないということに終始した話にはそこまで興味がなくて。だけど、ケン・リュウさんの原作を読んだときに不老不死の話というより、生きている時間が引き延ばされた今の自分たちの話、という印象を受けた。自分の親世代を見ても、人生の歩みが少し遅くなっている感じがするというか、いろんな科学技術が発達したことによって寿命も延び、高齢出産も可能になり、だけど年金はなかなかもらえない。大体、人間の体は20代でピークを迎えてあとは衰えていくけれど、より長く生きなくてはならないのが今の自分たちなんだと。それに目をつぶって生きているような感じもするんです」
では、実際に「人間の寿命が延びた世界」にどのようにアプローチしたのか。石川監督は不老不死にまつわるさまざまな書物、「ヒトはどうして死ぬのか 死の遺伝子の謎」(田沼靖一著)、「破壊する創造者 ウイルスがヒトを進化させた」(フランク・ライアン著)、「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」(福岡伸一著)などを読み、リサーチ。さらにケン・リュウが肉体すら不要になった不老不死の世界を描いた短編「波」も参考に、本作では「細胞が自滅していくプロセスを止めることで不老不死が可能になった」「体は老いないけれども病気や事故死はありうる」と定義。そのうえで、主演の芳根と共に30歳の体のまま永遠の人生を生きる女性像を模索していった。
「この話は、シンプルにいうと初めは心と体が同じ位置にあった人物が、ある時点で体の成長を止めたことで心と体が離れていってしまい、それがアークを描いて最終的に元に戻っていくという話なんじゃないかと捉えていて。一般的には、老いというのは身体的な老いをイメージしていることが多く、心だけ老いていく状態というのはイメージしづらいですよね。ですから芳根さんにも理詰めで心だけが90歳などと考えても無駄だろう、絶対答えはわからないだろうからといつもとは違う役作りを提案しました」
そこで行ったのが、ダンサー、振付師の三東瑠璃とのワークショップだった。「その時にはまだ深く突っ込んだことはやっていなくて、『もし体が若いままでも、中身がもう少し年を取ったときにはこういう動きになっていくのかな』という感じで、心の加齢に合わせて動きを手繰り寄せていきました。メイクや衣装を抜きに考えたときに、体は老いない設定なので見た目で加齢を表現することはできないのですが、必ず座り方や歩き方など所作に表れてくるのではないかと。例えば劇中、風吹ジュンさんのセリフにもありますが『年を取ると足音が違ってくるんじゃないか』とか。服を選ぶ時に天候や気温、TPOを考えて悩んでいたのが、短時間で決断するようになるのではないか。実際に表現するのはすごく難しいと思うんですけど、芳根さんにはそういうことを糸口に少しずつ積み重ねながら年をとっていってもらいました」
不老不死というキーワードを抜きにしても、近未来を描くのには膨大な定義を要した。「例えば眼鏡の問題。不老不死が可能になったのに近眼が治らないなんてありうるだろうかと。そう考えると眼鏡は必要なくなるんだけれども、サングラスは必需品になると考えました。200年、300年、体をメンテナンス、維持していかなくてはならないと考えると、紫外線の影響って今よりも全然大きな問題なのではないか。陽射しが強い時にはサングラスをするのではないかと、劇中でも芳根さんにサングラスをかけてもらっています。という具合に、何か一つ決めるごとに『ちょっと待って、これって未来の話だよね』という議論をスタッフ間で行っていましたが、そういったところがSFの醍醐味だと楽しんでいました」
撮影に関しても、これまでタッグを組んできた大学時代の旧友でもあるポーランドの撮影監督ピオトル・ニエミイスキと共に「SFっぽさ」を意識しない方法を選んだ。「例えば、プラスティネーションの装置など未来的なものが部屋にあったとして、それをフレームの中に収めようとしたときに、自分たちからするとプラスティネーションというのはすごく新しいのでそこにフォーカスしてぐっと寄ったり、それを中心にフレームを作ろうとすると思うんです。でも、この作品ではプラスティネーションが当たり前になった世界の話をしているんだから、なるべく当たり前のように撮りたいねと。後半はモノクロになっていくんだけれども、未来だからファンタジーのような撮り方というわけではなく、どちらかというとドキュメンタリーのように撮っていこうという話をしました」
美術、衣装、撮影、どれをとっても完璧な調和がとれた近未来の世界。石川監督がスタッフと共に自問自答しながら追求した近未来の世界は、スクリーンの大画面、音響で味わってこそ体感できる。(編集部・石井百合子)