『ドライブ・マイ・カー』カンヌ受賞の脚本はこうして生まれた 濱口竜介監督、村上春樹作品の映画化で自ら課したルール
第74回カンヌ国際映画祭で、映画『ドライブ・マイ・カー』(8月20日公開)の脚本を共同で手掛けた濱口竜介と大江崇允が、日本人として初の脚本賞受賞の快挙を成し遂げた。同作は、村上春樹の同名短編小説に基づく「喪失と再生」を巡る物語で、メガホンもとった濱口監督にいかにして村上作品に挑んだのか、話を聞いた。
『ドライブ・マイ・カー』は、2014年に刊行された村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」所収の短編を西島秀俊主演で映画化。妻を亡くした喪失感を抱える俳優・演出家の家福(西島)が2年後、演劇祭で広島へ向かうなかで寡黙な専属ドライバーのみさき(三浦透子)と出会い、彼女と過ごすうちにそれまで目を背けていたあることに気づいていくさまを追う。
村上作品の運ばれていくような体験を再現
濱口監督が村上作品と出会ったのは大学生の時。「知人に勧められて読んだと記憶しています。初めて読んだのはおそらく(短編集の)『レキシントンの幽霊』だったんじゃないかな。あとは村上春樹さんと河合隼雄(心理学者)さんの対談本。いわゆるハルキストと呼ばれるような熱狂的なファンではなかったのですが、それを皮切りに『ノルウェイの森』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』などの長編を順々に読んで、『海辺のカフカ』あたりで新刊に追いついた感じでしょうか」と振り返る。
村上作品の魅力について、真っ先に挙げたのが「読みやすさ」。「僕はそんなに小説を読むのが得意ではないですし、読書家というわけでもないんですけど、村上春樹さんの小説は、とにかく読みやすい。文章によって最後まで運ばれていくという感じがありますよね。自然とページをめくってしまう。これは一体どういうことなんだろうと思って、文章自体の運搬能力みたいなものによって最後まで運ばれてしまうという。その体験が一番面白い」と続ける。
村上作品は『トニー滝谷』『ノルウェイの森』『納屋を焼く』など、これまで度々映画化されてきているが、濱口監督自身は実際にプロデューサーから声がかかるまで「難しいだろう」と思っていたという。映画化については濱口監督から村上に手紙を送るかたちで映画化の許諾を得たが、映画化に際してやるべきではないと決めていたことがある。
「やるべきではないと判断したのは、セリフや文章をそのまま映像に移し替えるということ。それはこの作品に限らずですが、例えば小説に書かれている通りのセリフを生身の役者さんに言ってもらうのは難しい。地の文に関しても、たとえそれが現実的なことであっても村上さんが作っている世界というものがあるのでやはり難しいと思います。ですから、映画化の許諾をいただく際のお手紙の中でもあらかじめ、それはできないとは思いますとお伝えしました。逆にやりたかったのは、村上作品に則するように、自分が感じていた運ばれていくような体験を再現することでした」
ストーリーに3つの短編を反映
上映時間は179分(2時間59分)。本作のストーリーには「ドライブ・マイ・カー」のほかに、同小説が収められた短編小説集「女のいない男たち」の中から「木野」「シェエラザード」の一部も反映している。「木野」からはあるセリフを、「シェエラザード」からは片思いする少年の家に空き巣に入る少女のエピソードを引用。短編小説を長編映画にするにあたって考案した一つの手段であり、濱口監督はその意図をこう語る。
「『ドライブ・マイ・カー』は短編で、この話自体では長編にはならないと思ったので、ではどうするのかと考えたときに、過去と未来のようなものをもう少し詳細に考える必要があると。それも村上さんの精神に則したものであることが望ましいので同じ短編集の中から探そうと。その時に引っ掛かってきたのが、2つの短編でした。特に『木野』はすごく大きかった。『木野』のセリフは、ダイレクトに、これこそ家福がたどりつくべき地点なんだろうなと明確に見えるものだった。『シェエラザード』については共同脚本家の大江さんにまずどのように組み込むのか考えていただいて。ただ、そのままでは難しいこともあって特に後半は自分でアレンジを加えていきました」
9つの言語を用いた劇中舞台の効果
そのほか、原作から大幅にアレンジされたこととして、家福が演出する舞台「ワーニャ伯父さん」(アントン・チェーホフ作)を、多国籍キャストによって多国籍言語で行うというもの。これは、当初、物語の舞台を韓国・釜山に据えていたことから生まれた設定だが、結果的にストーリーに大きく影響していくこととなった(※コロナ禍で渡航を断念し、舞台を広島に変更した)。言語には、日本、韓国、台湾、フィリピン、韓国手話など9つが用いられている。
「釜山で撮ると決めた段階で、家福が釜山に行く目的を考えた時にこれは国際演劇祭に呼ばれたということにしましょうと。じゃあ国際演劇祭に呼ばれる演出家というのは何をやっているのか、どんな演劇をやっているのかということになったときに、多言語演劇というアイデアは以前から考えていたものだったんですけど、これは使えるんじゃないかと。演出の前衛性もわかりやすく表現できるし。あとは多言語でやることによってかえってシンプルに演技ができるのではないかとも思いました。というのも、実際に劇中の舞台に参加するキャストの方々はお互いの言葉がわからないので、相手の声音をちゃんと聞き、身体を観ていないと演技ができない。逆に言えば、それができていれば、言葉から意味を理解するというよりも相手の体に起きている反応みたいなものから自分の芝居も生まれてくると、より真実らしいものが生まれやすいのではないかと。特に手話は、身体的な動きを伴った言語ということで、言葉を語ることが同時にダンスみたいなものに近くなるという印象を持っていたので取り入れました」
流行りを追わない
濱口監督の作品が、カンヌ国際映画祭のコンペティションに出品されたのは商業デビュー作『寝ても覚めても』に続いて2度目。脚本賞をはじめ、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞の4冠に輝いた。また、今年3月には『偶然と想像』(公開日未定)で第71回ベルリン国際映画祭・銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞。黒沢清監督が第77回ベネチア国際映画祭・銀獅子賞を受賞した『スパイの妻<劇場版>』では野原位と共同脚本を手掛けた。国際的な評価も高い濱口監督だが、「海外の人に届くように、ということを考えたことはない」と話す。
「単に面白いものを作ろうと思っていて、流行り廃りというものを追わなければ自然と普遍的なものに近くなると思っているので、そういうことを心がけています。面白いというのは主観的なことではありますが、僕自身が一映画ファンとして洋画邦画問わず、古今東西の映画を観てきて、これは面白いけどこれは面白くないというジャッジはあるわけですよね。そういう判断基準はあるので、それを磨きつつ、その基準にかなうように作ろうと毎回しています」
7月4日に行われた会見では、主演の西島秀俊が「架空の人物たちが架空の物語を生きていますが、真実が映っている瞬間を感じます。それは、日本の今の人たちの心の中を描いたものが、同時に世界の人たちが感じている普遍的なものにつながっているのかなぁと感じました」と作品の魅力に触れていた。(編集部・石井百合子)