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『MINAMATA』美波が海外進出を目指すまで 国かパッションかの選択

ジョニー・デップとの共演はセッションのよう『MINAMATA-ミナマタ-』美波インタビュー » 動画の詳細

 ジョニー・デップが製作・主演を務めた映画『MINAMATA-ミナマタ-』(9月23日公開)で、ジョニーの相手役に抜擢された美波。オーディションで役を射止めた彼女は、水俣病に苦しむ人々にスポットライトを当てた本作に参加し、「改めて、伝えることの大切さを実感した」という。ハリウッドデビューを果たすと共にものづくりへの情熱を確かなものにし、現在は日本、フランス、アメリカを拠点に活動する美波が、国際的な女優への展望や撮影現場で目撃したジョニーのすごみを語った。

【動画】ジョニー・デップとの思い出を語る美波

出演決定までの長い道のり

映画『MINAMATA-ミナマタ-』より。アイリーン(美波)と、ユージン・スミス(ジョニー・デップ)

 本作は、水俣病の悲劇を世界に知らしめたアメリカ人の写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスが、1975年に発表した写真集「MINAMATA」を生み出す経緯を映画化した人間ドラマ。ユージン(ジョニー)が、通訳のアイリーン(美波)から水俣病に関する撮影を依頼され、彼女とともに来日。水俣の人々の窮状、抗議運動、補償を求めて活動する様子を写真に収めていく。

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 ユージンを支えたアイリーンは、現在も環境問題に取り組んでいる実在の女性。凛とした芯のある女性として、美波が好演している。役柄との出会いは、ハリウッドと日本をつなぐキャスティングディレクターとして有名な、奈良橋陽子からの1通のメールだったという。美波は「2018年の冬に、奈良橋さんから『受けてもらいたい役がある』とメールをいただいて、オーディションを受けました。受かるまではとても長い道のりでした」と振り返る。

 アンドリュー・レヴィタス監督に向けて「アイリーンのシーンを演じたテープを送った」そうだが、フランスと日本のハーフである美波は、「当時、英語がそこまで得意ではなくて。どうしてもフランス語なまりになってしまうんです」と苦笑い。「イギリスまで監督に会いに行って、お芝居を見てもらったこともあります。監督からは『君はとても役に合っていると思うんだけれど、標準英語で話してほしい。最終候補の2人で悩んでいるんだ』とお話がありました。『もし受かったら、君は完璧にこの役をやることができるか?』と聞かれて、『やることは精一杯やります』とお答えして。無事に受かることができて、(撮影地である)セルビアへ小さなスーツケース一つで向かうことになりましたが、プレッシャーは半端なかったです」と話す。

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 そこから美波は英語を猛特訓。「アクセントの先生についていただいて、毎日練習をして。撮影期間もお休みがあると、監督が毎回一緒にシーンの読み合わせをしてくださった」と熱心にレッスンに励み、「最終的には、監督が『君の発音、大丈夫だよ!』と。また映画を観たアイリーンさんご本人も『フランス語なまりってなかなか取れないのに、美波ちゃんの英語は全然大丈夫だった』と言ってくださって。ものすごくうれしかったです!」と英語をマスターするまでの道のりを思い返す。

ジョニー・デップは「どんなことも受け止めてくれる」

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 演じるのは実在の女性だが、どのような役づくりに挑んだのだろうか。美波は「アイリーンは、映画の中でユージンと水俣の人々との架け橋になる女性。またアイリーンを演じる上では、今でも環境問題に取り組んでいるアイリーンさんご本人の意志や思いを世界に向けて伝えていくという役割もあったと思います。役へのアプローチとしても、その使命をまっとうすることが大切だと思いました」と決意。アイリーン役は、「運命的な役に感じた」と続ける。

 「アイリーンさんとは撮影後に改めてお会いすることができたんですが、本当にエネルギッシュでチャーミングな方。お話ししていると、お互いに『似ていますね』と思うこともあって」とシンパシーを寄せ合ったという。

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 「ちょっと頑固なところとか、まっすぐなところ、思い立ったら突き進んでしまうところなども、わたしと似ているなと思います」とにっこり。「台本を読んでいても、『アイリーンはなぜこういうことを言うんだろう』と疑問に思うことはまったくありませんでした。またわたしが『やるしかない!』と思って本作に挑んだことと、アイリーンが水俣でやり遂げようとしていた気持ちが重なった部分もあると思います」と言い、「監督もプロデューサーであるジョニーもよく無名のわたしを選んでくださったなと思いますが、もしかしたらわたしの中にそういったアイリーンと重なる部分を感じてくれていたのかもしれません」と思いを巡らせる。

 人気、実力ともに最高のハリウッドスターとも言えるジョニーとの共演が叶った。美波は、現場で会ったジョニーは「すでにユージンになっていた」と述懐。「ジョニーには何度助けられたかわかりません」と感謝しきりだ。

 「ジョニーはアドリブもたくさんされますが、カメラがどこにあって、照明がどこにあって、どのライトに当たると一番美しく見えるかなど、本能的にすべてをわかっている。セリフを交わしながらもどんどん誘導してくれて、気づいたら一番きれいなライトが当たる位置までわたしを連れて行ってくれるんです! 本当にすごいですよ」と目を丸くし、「お芝居がうまいのはもちろんのこと、紳士だし天才」と惚れ惚れ。美波もアドリブも加えたというが、「どんなことも、ジョニーがすべて受け止めてくれた。言葉を超えた関係性が生まれたと感じることができて、本当に自由で幸せでした」と目を輝かせていた。

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パリ留学を経て人生の岐路に立つ

 美波は「監督とジョニー、撮影監督のブノワ・ドゥローム(『博士と彼女のセオリー』(2014)『永遠の門 ゴッホの見た未来』(2018)など)とも、パチっとケミストリーが合うのがわかった」と話すなど、撮影は刺激的な時間になったという。女優としても転機と言えるような作品になった様子で、「本作には3つのテーマがあると思っています。まず、水俣の問題を世界に伝えるということ。そして世界中には今でも続いている公害があり、それによって苦しんでいる方々がいるという事実を伝えること。3つ目に、フォトジャーナリズムとはどのようなもので、小さき力も世界を変えられるんだと示すこと。わたし自身、本作を通して“伝える”という意識が大きく変わったように思います」と語る。

 深作欣二監督の『バトル・ロワイアル』(2000)でスクリーンデビューしてから21年。2014年に文化庁新進芸術家海外研修制度研修員のメンバーに選出され、パリ留学も経験した美波。「海外に出ると、『自分は日本人なんだ』と強く思う。日本の良さや、日本への愛情もより感じるようになった」といい、「そんな中、日本人であることに誇りが持てるような映画を世界に発表できることが、とてもうれしい」と本作は自身の“誇り”となった。

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 現在34歳。目指すのは「国際的な女優」だ。パリ留学をした際には「父親がフランス人なので、住んでみたらとても肌に合った」というが、「フランスでは、アジア人の役が求められる機会があまりない」のだとか。「そのときに自分にとって生きやすい国に住むことを選ぶのか、『国際的な女優になりたい』というパッションを選ぶのか、悩んで。わたしはパッションを選びたいと思いました。そう感じてフランスを旅立とうとしていた矢先に本作のオーディションの話が舞い込んできたので、やりたいことを突き通そうとすれば、何か見つかるものなのだと。パッションに従って、これからも“伝えたい”という思いを発揮できるよう日々勉強していきたいです」とまっすぐな瞳で未来を見つめていた。(取材・文・撮影:成田おり枝)

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