映像化が切望され続けた『DUNE/デューン 砂の惑星』2021年映画公開までの長い道のりとは
SF作家フランク・ハーバートが1965年に書きあげた傑作SF小説「デューン 砂の惑星」が満を持して『DUNE/デューン 砂の惑星』(10月15日公開)として映画化され公開される。「満を持して」というのは、この小説があまりにも壮大な叙事詩でありながら、その描写は世界中のクリエイターのイマジネーションをかき立て心をつかんで離さなかったにもかかわらず、その映像化を実現し成功を収めるには困難を極めたからだ。いまとなっては『スター・ウォーズ』シリーズをはじめ多くの映画や映像に影響を与えた小説なのだが、「デューン 砂の惑星」の小説本体は、なぜそれほどまでに待望されながら、映画化が難しかったのか。
「70年代にはアレハンドロ・ホドロフスキーが権利を買い、10時間の作品にするプロジェクトを立ち上げるも、挫折。1984年には、大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが『エレファント・マン』を大成功させたばかりだったデヴィッド・リンチを監督に起用して長編映画化したが、ファイナルカットの権利をもらえなかったリンチにとっては非常に不本意な映画になった上、興行的にも失敗に終わってしまった。
それから何年もして、パラマウントが権利を取得すると、ピーター・バーグやピエール・モレルに監督の声がかかる。だが年月ばかりが過ぎ、パラマウントは、ついに映画化権を手放すことに決めた」(文:猿渡由紀、FLIX special「DUNE/デューン 砂の惑星」ビジネス社刊 9月24日より引用)(※)
小説「デューン 砂の惑星」は何十年もの間、魔力のようにクリエイターたちの心を惹きつけ続けたが、ほとんどの製作会社は企画を実行に移そうとすると資金面などで頓挫してしまっていた。とはいえファンも中途半端なものは見たくはなかっただろう。しかし、このパラマウントが手放した映画化権をレジェンダリー・ピクチャーズが獲得したことで事態は一気に動き出す。本作の監督を務める『ブレードランナー2049』のドゥニ・ヴィルヌーヴは、当時を以下のように語っている。
「その頃、僕はあるインタビューで、僕の夢は『DUNE~』を作ることだと話したんだ。ちょうど権利を取得したばかりだったレジェンダリーのメアリー・ペアレントとケイル・ボルターは、僕に声をかけてくれて、僕は彼らのオフィスを訪れた。そのミーティングは、僕の人生で最も短いミーティングになったよ。『あなたはこの映画を作りたいのですよね?』と聞かれて、僕は『あなたたちもですよね?』と答えて、『じゃあ、一緒に作りましょう』となったんだ(笑)。それで終わり。素晴らしいタイミングの一致だった。僕らは、同じ時に同じ作品を作りたいと思い、しかもお互いと一緒にそれをやりたいと思ったのさ」(※)
そして製作予算、推定(非公式)1億6,500万ドル(日本円で約181億5千万円1ドル110円計算)(※) ともいわれる一大プロジェクトはついに動き出すこととなった。
デヴィッド・リンチの「デューン/砂の惑星」からは37年の月日が流れ、アメリカ 、 カナダ 、ドイツ合作のドラマミニシリーズ「デューン 砂の惑星」よりも潤沢な予算で作られたドゥニ・ヴィルヌーヴ版『DUNE/デューン 砂の惑星』はやはり傑出している。
それはIMAXで観ることの出来る初めての“砂の惑星”のリアリティーによるところが大きい。スクリーンいっぱいに広がる終わりのない荒涼とした砂漠。全身を包み込んでしまうかのような風の音は、最先端の視覚、音響効果技術とIMAXでの上映だからこそ実現している。しかし、製作自体CGにたより切っていたわけではない。ヴィルヌーヴ監督は、そのこだわりについて明かしている。
「砂漠はそれ自体が重要なキャラクターである上、登場人物たちや僕ら作り手に影響を与える存在でもある。砂漠をCGでやらないということを、僕は最初から条件にしていたんだよ。僕らはみんな、大自然からインスピレーションを受ける必要があった。できるだけ大自然に近づこうとした。そして観客にも、自分がそこにいるのだと感じてほしかった」(※)
観客は砂漠に取り残されるポール(ティモシー・シャラメ)と共鳴し、あっという間に『DUNE/デューン 砂の惑星』の世界につれていかれてしまう。1965年から多くのクリエイターやSFファンに愛され続けた傑作小説「デューン 砂の惑星」の映像化は、本作が一つの到達点といっていいだろう。(編集部:下村麻美)
(※)の引用部分はFLIX special「DUNE/デューン 砂の惑星」ビジネス社刊 9月24日より