映画監督・石井隆さん死去、75歳 『ヌードの夜』『GONIN』シリーズなど多数の名作
映画『死んでもいい』や『ヌードの夜』『GONIN』シリーズなどで知られる映画監督の石井隆(本名:石井秀紀)さんが5月22日19時53分に亡くなった。享年75歳。癌による闘病生活の末、息をひきとった。
東出昌大とともに監督作『GONIN サーガ』について語る石井隆監督【写真】
石井監督が設立した有限会社ファムファタルは「弊社 映画監督 石井隆(本名:石井秀紀)は癌によるかねてよりの闘病生活の末、令和4年5月22日19時53分、享年75、自宅にて永眠いたしました。本来であれば早々にお知らせ申し上げるべきところ、ご通知が遅れましたことを深くお詫び申し上げます」と発表。「数々の映画作品を通して、石井隆監督を応援してくださった多くの皆様に深く感謝し、謹んでご報告申し上げます」とコメントし、葬儀は故人の意向を汲み近親者のみにて執り行ったという。
石井監督は1946年、仙台市出身。高校時代に愛読していた映画雑誌「映画芸術」で知った早大映画研究会に入るために早稲田大学に入学。アルバイトで日活末期の撮影現場で監督助手を体験するも、撮影所のセットの土埃で持病の喘息を悪化させるなどして、映画の道を断念。直後に小学校時代の初恋の女性と結婚、在学中から画力を生かして劇画を生活の糧とした。大学卒業の3年後に「天使のはらわた」(「ヤングコミック」1977)を発表すると一躍人気作家となり、数多くの文化人や評論家たちの評論の対象となった。
「天使のはらわた」はにっかつロマンポルノとして映画化され、2作目のヒット作『天使のはらわた 赤い教室』(曾根中生監督)では脚本家としてデビュー。以降、劇画家として活躍するかたわら、多数のシナリオを執筆し、1988年には『天使のはらわた 赤い眩暈』で映画監督デビューを果たす。一般作デビューとなった『死んでもいい』(1992)、『ヌードの夜』(1993)、『GONIN』(1995)などの話題作で話題を呼び、国内外で映画賞を受賞。1997年には制作プロダクション有限会社ファムファタルを設立し、映画『黒の天使 vol.1』『vol.2』『フリーズ・ミー』『花と蛇』『花と蛇2 パリ/静子』『人が人を愛することのどうしようもなさ』『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』を製作協力。2013年には『フィギュアなあなた』『甘い鞭』を連作し、2015年には『GONIN サーガ』を発表した。(編集部・大内啓輔)