「どうする家康」今川義元が家康に甲冑を贈った理由は?
松本潤主演の大河ドラマ「どうする家康」(NHK総合ほか)の時代考証を担当する小和田哲男氏。1996年の「秀吉」をはじめ数々の大河ドラマに携わり、主に戦国時代の研究をしてきた歴史学者の小和田氏が、8日放送の第1回に登場した駿河の戦国大名・今川義元(野村萬斎)と徳川家康(松本潤)の関係について語った。
本作は「リーガルハイ」や「コンフィデンスマンJP」シリーズなどの古沢良太のオリジナル脚本により、三河の田舎大名だった徳川家康が、さまざまな重責を負い選択を迫られる中で成長していく物語。第1回「どうする桶狭間」では、今川義元のもとで人質として暮らしていた若き松平次郎三郎元信(のちの家康)の日々、そして今川軍と織田信長(岡田准一)率いる軍が激突する「桶狭間の戦い」が描かれた。
「桶狭間の戦い」では、家康は義元から大高城への兵糧入れのミッションが下される。はじめは「お米を運ぶだけ」と余裕の表情をみせていた家康だが、それを成し遂げるには城を包囲する砦を撃破せねばならないことが発覚。家康の家臣たちから「危ない役目はいつも三河衆におしつけられる」「我らは捨て駒だ」と不満が噴出する。このミッションは実際、どのぐらいの難易度なのか。
「大高城は今川方のお城で鵜殿長照という今川の家臣が守っていたのですが、徐々に織田信長の包囲が厳しくなって城が丸根砦と鷲津砦という二つの砦で囲まれてしまうんですね。何もないところ、敵がいないところで兵糧を入れるなら楽だと思っていた家康が、実は近くに敵の砦が二つもあることを知る。そこからの攻撃を避けながら入れるわけですからこれは大変なミッションだったと思います」
家康や家臣たちはこの危険な役目に躊躇するが、事態を丸く収めたのが義元だ。義元は、家康を鼓舞するために金の甲冑を贈った。義元は戦のない世にするには自分の力だけでは及ばない、自身と息子・氏真(溝端淳平)を支えてほしいと家康に発破をかけ、家康は俄然やる気になるが、これは史実なのか。
「義元が、家康がまだ松平元康と名乗っていたころに甲冑を贈ったことは確かです。現在、実物が静岡の浅間神社に保管されています。これは今回の義元と家康の関係における、まさに肝になる部分だと思います。義元にとって家康は人質だったわけですが、どうしても人質というといつか命を狙われるんじゃないかという不幸なイメージがあります。しかし、このドラマでは元康が義元にかわいがられて恵まれた子供時代を送っていたという解釈が採用されている。義元が元康に甲冑をプレゼントしたというのは面白い出来事だと思うので、それを取り上げてくれたのはうれしいですね」
では、義元が元康に金の甲冑を贈ったのにはどんな意図があるのか。「義元の息子・氏真と家康は歳が近く、ある意味ではライバルにもなりそうな関係なんですが、義元から見て元康の方が頭がよさそうだなと期待をした。例えば、大河ドラマ『天地人』(2009)に登場した、上杉景勝とその執政・直江兼続のような関係でしょうか。義元は自分の息子がちょっとふがいなさそうなので、元康が息子を支えるいわば右腕になるよう目をかけようと、そういう意図があったのではないでしょうか」
なお、萬斎ならではの見どころとして、義元が「桶狭間の戦い」に向かう兵の士気を高めるために舞を披露する場面があった。実際に、義元は舞に長けた人物だったのか?
「義元はそれこそ観世流ですね。義元の何代も前の先祖が観阿弥を駿府に招いて舞ってもらっている歴史があるんです。以来、今川家は観世流をひいきにしている。義元自らも観世流の舞を舞っていたというのは史実です。実は家康も舞が好きで観世流も応援していた一つ。戦国大名・今川氏は戦国三大文化の一つで、駿府の今川文化(静岡)、大内文化(山口)、越前一乗谷の朝倉文化(福井)があります。義元が京都からお公家さんを多数招いています。そういった意味では京都風公家文化が地方の都市に根をおろしていった。能楽、茶の湯など今川は文化度は非常に高いという歴史がありますので、そういった点もドラマの端々で描かれるのではないかと期待しています」
小和田氏はいつか今川義元を主人公にしたドラマが作られたらと、義元への思い入れの深さを語り「これまでは武将としては軟弱な描かれ方だったのが、ここ数年の大河で少しずつ変わってきているように思います。例えば『麒麟がくる』(2000~2001)では片岡愛之助さんがいかにも武将らしい義元を演じてくれましたし、今回は野村萬斎さんですからどういう義元になるのか楽しみにしています」と萬斎ならではの義元に期待を込めた。(編集部・石井百合子)