『ミステリと言う勿れ』整の喋りはこうして生まれた 監督が菅田将暉と議論
累計発行部数1,800万部を突破する田村由美の人気漫画を菅田将暉主演で実写化し、2022年1月期のフジテレビ月曜夜9時枠で放送された大ヒットドラマの映画版『ミステリと言う勿れ』(公開中)。本シリーズは、菅田演じる天然パーマがトレードマークで友達も彼女もいない大学生・久能整(くのう・ととのう)が、「僕は常々思ってるんですが……」から始まる膨大な知識と独自の価値観による持論を淡々と述べ、登場人物たちの悩みや事件の謎までも解き明かしていく新感覚ミステリー。ドラマでチーフ演出を務め、映画版のメガホンをとった松山博昭監督が、実写化における裏側や主人公・整を演じた菅田の魅力を語った。
全12話から成る連ドラ版は、見逃し配信で放送当時、民放ドラマ歴代ナンバーワンの再生回数を記録。2022年日本民間放送連盟賞・番組部門テレビドラマ優秀賞など数々の賞に輝き、高い評価を受けた。物語は整が殺人事件の容疑者として大隣署の刑事たちに取り調べを受けるところから始まり、この一件以来、大隣署が捜査する事件や整の周囲で偶発的に起こる事件に巻き込まれては真相を究明。そのなかでいじめ、虐待、病など日常生活の中で見過ごしてしまいそうなさまざまな問題に気を留め、展開していく持論が視聴者の共感を誘った。原作は事件の数々に加え整の持論など情報量が多く、実写化においては原作の持ち味を損なわずにいかにテンポよく見せるのかが課題となった。
「結果的には菅田さんの力によるところが大きかったと思います。彼の言葉を届ける能力は本当に凄いなと。台本もものすごい情報量なので、初めは伝わるだろうかと不安でした。整くんの喋りのシーンに関しては曲で区切ったり、喋っているイメージの別インサートを入れたり、いろいろと試したんですけれど、菅田さんが喋るときちんと心に響くんですよね。リズムや口調にも表れていると思いますが、彼が自分の中で言葉を咀嚼して、整くんとして相手にちゃんと伝えてくれているからだと思います」
撮影現場では菅田と絶えず話し合いを重ね、整についてはルールもあったという。
「思っていることをぶわーっと吐き出して、ただ相手にぶつけるという一方的な物言いにするのは避けようと。自分の思いがあって、相手が今どういう感情を持っていて、どういう状況にあるのかっていうのをわかったうえで、言葉を届けられる人に作っていこうという話はしました。吐き出すだけだと活字と一緒になっちゃうので。一見、単なる物事の説明や情報のように見えたとしても、菅田さんが整としての考え、思いを乗せて“僕はこうだからこう思うんですよ”と伝わるように話してくれているから、今のような形になったんだと思います」
演技に関しては菅田に委ねることが多かったというが、菅田とよく相談したのが「目線」だったと松山監督。
「相手を見るのか、それとも宙を見るのか、相手を見る場合はどのタイミングなのか。そうしたことで言葉の届き方が大分変わってきます。整くんは博識でいろんな考えを持ってるけれど、決して押し付けない人ですよね。ちょっとしたニュアンスで押しつけがましくなってしまうので、目線についてはよく話していました」
これは映画版にも踏襲されていると言い、松山監督は整と原菜乃華演じる少女・汐路の会話を例に挙げる。映画では、美術展に赴くため広島を訪れた整が、代々遺産を巡る争いで死者さえ出るといういわく付きの名家の遺産相続事件に巻き込まれる。汐路は遺産相続候補者の一人で、かつて絵描きの夢を挫折したという彼女に、整は“下手と思った時が伸び時”だと話す。
「汐路が幼いころに描いた絵を見ながら整と話すシーンですが、整が彼女を見て諭すように話すのか、それとも絵を見ながらあくまで自分の思いとして話すのか。どちらがいいだろうという話になって、菅田さんが両方のパターンで探ってくださったのですが、最終的に絵を見ながら、になりました。汐路の方を見て話すとやや押し付けがましく見えるかもしれないので、見ない方が整らしいのではないかと」
なお、ドラマではオリジナルの展開もあり、整が入院先の病院で出会う謎めいた患者・ライカ(門脇麦)との別れを迎えるシーンはその一つだ。彼女は解離性同一性障害の患者・千夜子の別人格で、整とあることをきっかけに絆を育んでいくが、自分が留まることで千夜子が幸せになれないと悟ったライカは、やがて整に別れを告げる。整は目を潤ませながら「さようなら、ライカさん」とつぶやき、生まれて初めて桜を誰かと見たいと願う。友達も恋人もおらず孤独に生きてきた整の成長が見て取れるシーンで、涙をこぼさない菅田の絶妙な演技が印象的だ。
「そこが連ドラの終着点でもありました。ずっと一人だった整が初めて誰かと一緒にいたいと思った、寂しいという感情を持ったというか。ただあの時点ではまだ涙を流さない方がいいと、おそらく菅田さんも思っていて。それはまだ先のことなのかなと。僕も現場で菅田さんのお芝居を見ながら、整は泣くという感情にまだ直面できていないのではないかとか、いろんなことを考えました」
菅田の演技のみならず、エピソードごとに二転三転する謎解きの展開も反響を呼んだ。Aのように見えて実はBだった、といったどんでん返しもしばしばあり、重要だったのが「伏線」の描き方。第6回・7回で展開された放火殺人を巡る「炎の天使」編では、早乙女太一演じる放火犯・井原香音人(いはら・かねと)がすでにこの世にいなかったという衝撃的な結末だったが、そこに至るまでの整を見返すと全てつじつまの合うカメラワークになっている。
「このエピソードは結構細かくやりました。映像的なことで言うと『ナメ』ですね。会話シーンでアップを撮る時、手前にいる人の肩越しに撮ることを『ナメる』と言います。これは誰に対して話しかけているかをわかりやすくするためなのですが、整から観た香音人のカットは全て、整の肩越しに撮っていないんです。つまり、香音人は現実の世界にいないという意図です。なおかつ、整は香音人と話す時に目を合わせていない。ずっと目線を外して喋っています。なぜなら香音人はそこにいないから。撮る前にそういうルールでやりましょうと菅田さんと話をして、そこは徹底していました」
ちなみに、松山監督個人として菅田のベストショットを尋ねると、第5話で入院していた整と、元刑事・牛田悟郎(小日向文世)の病にまつわる会話を挙げる。牛田が「刑事として負け、長い闘病生活のすえ病気にも負けた」と語り出した際、整は“闘病”というワードに反応する。
松山監督は「『どうして亡くなった人を鞭打つ言葉を無神経に使うんだろう』『勝ち負けがあるんだとしたらお医者さんとか医療ですよ』っていうところですね。戦って負けたから死ぬわけじゃないんだと。あのシーンの菅田さんはすごく印象に残っています」としみじみ述懐。「あとは、映画の最後で整が“セメント”のワードを用いて汐路にかける言葉はすごく好きです」と映画の見せ場にも触れている。(編集部・石井百合子)