北野武監督の死の描写はベトナム戦争から影響
「本能寺の変」を題材にした映画『首』が公開中の北野武監督が、死を描くにあたって影響を受けた体験について語った。
『アウトレイジ 最終章』(2017)以来、約6年ぶりにメガホンをとった北野監督。『首』では明智光秀役に西島秀俊、織田信長役に加瀬亮、秀吉を支える軍師・黒田官兵衛と弟の羽柴秀長に浅野忠信と大森南朋、秀吉に憧れる百姓・難波茂助に中村獅童と豪華な顔ぶれが集結。北野監督自ら演じる主人公・羽柴秀吉が策略を巡らせ、本能寺の変を引き起こしていくさまを持ち前のユーモアとバイオレンス描写と共に活写する。
北野監督が初監督作『その男、凶暴につき』から34年、貫いてきたのが「“死”をドラマにしたり、劇場型にしない」というスタンス。北野監督は、死の演出について「アメリカの海兵隊がベトコン(南ベトナム解放民族戦線)を撃ち殺す映像を見た時のショックがスゴかったからだろうね。あれを見た時に、人が人をこんなに簡単に殺すのってありかよ? って思ったし、生きている人間が考える“死”と実際には呆気ない“死”の違いを痛感して」とベトナム戦争の影響を強く受けたと語る。
「それもあって、初期の作品から“死”をドラマにしたり、劇場型にはしてこなかった。生死の問題はそれだけでものスゴいことだから、飾り立てない。映画やテレビがよくやる大袈裟な“死”はその痛さや残酷さをかえって疎外していると思っていたので、ほかのどうでもいいシーンはこってりやって、“死”は呆気なく描く。そこは昔から変わってないね」と言い、本作でもそのスタイルは受け継がれている。
このこだわりについて、プロデューサーの福島聡司は「多くの映画は斬る前に刀をいったん止めますよね。斬る側、斬られる側の寄りの顔を撮って“間”を持たせるんですけど、北野演出ではその“間”が一切ない。迷わずに一気に人を斬る。そこがスゴいんです」と劇場パンフレットの中で語っている。(編集部・石井百合子)