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「どうする家康」最終回で描いた家康の「一番見たかった光景」 演出・村橋直樹が裏側明かす

最後はえびすくいで!最終回「神の君へ」より家康の息子・信康と信長の娘・五徳の祝言
最後はえびすくいで!最終回「神の君へ」より家康の息子・信康と信長の娘・五徳の祝言 - (C)NHK

 松本潤が徳川家康役で主演を務める大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜夜8時~NHK総合ほか)の最終回(17日放送)の演出を務めた村橋直樹が、同エピソードの裏側を語った。 

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 15分拡大で放送された最終回「神の君へ」では、家康にとって最後の戦となる「大坂の陣」、そして臨終を迎える家康の回想シーンとして、息子・信康と織田信長(岡田准一)の娘・五徳との祝言の内幕が描かれた。

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 「大坂の陣」では、「この戦は徳川が汚名を着る戦となる」と話していた家康が、徳川から政の実権を取り戻そうとする秀吉(ムロツヨシ)の側室・茶々(北川景子)と息子・秀頼(HiHi Jets作間龍斗)らを相手に70代にして自ら戦場に赴いた。これまで乱世に終止符を打つために桶狭間、三方ヶ原、関ヶ原と多くの戦に挑んできた家康だが、「大坂の陣」ではかつての勢いはなく信長や信玄(阿部寛)、秀吉ら亡き名将たちに「乱世の亡霊たちよ、わしを連れて行ってくれ」とつぶやく場面もあり、生きる気力を失っている様子だった。このシーンについて、村橋は「常人には理解できない大きな重責を負った家康の苦悩」の表れだと話す。

 「台本上では死にたかったという描き方ですよね。家康は大坂冬の陣、夏の陣という最後の大仕事をして死んでいくわけですけど、 この頃の家康は“この後、自分はどう救われるだろうか”っていうことに、すごく執着していたそうなんです。あの時代は輪廻転生の思想が一般的だったと思うんですけど、 これだけリアリストな家康でさえ、そういう形跡が残っている。現世の自分は指を動かすことで何千人、何万人の命を奪ってきて、もはや個としては抱えきれないところまで追い込まれていたんじゃないかと。家康がひたすら南無阿弥陀仏を写経したとされていて、その心境は僕ら常人には理解できないもの。“これが終われば自分は死ねるんだ、全部終わるんだ”みたいな気持ちってなかなか想像つかないと思うんですけど、そこを脚本としても演出としてもちゃんと描きたかったですし、追体験していただくことが大河ドラマの意義だと思うんです」

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戦場に落ちていた六文銭

 なお、戦いが終わったのち、真田家の家紋にも用いられている六文銭が戦場に落ちている描写があるが、これは「戦国時代の終焉」を象徴するものだいう。「意図でいうと真田信繁(日向亘)が死んで戦が終わったことの象徴ですよね。真田家は、いわば戦国の残り火、まだ戦国を捨てられない人たち。信長が逝き、信玄が逝き、秀吉が逝き、そして最後に茶々と秀頼、信繁。「大坂の陣」は、戦国を終わらせようとしてる人たちと、戦国でしか生きていけない人たちの最後の戦いみたいな意味合いで描いているので、その終焉を表すものです」

 最終回ではその「大坂の陣」と、家康が幸福だった頃の思い出として五徳と信康の祝言の日に起きたハプニングが描かれた。信長から贈られた大切な鯉が何者かに食べられてしまったことが祝言当日に発覚し、青ざめた家康が信長の到着前に必死で事態収拾に奔走するという面白おかしいエピソードだ。実は家康が家臣たちにかつがれていたというオチも含め軽妙に描かれるが、重い展開が続く「大坂の陣」との緩急も課題だったと村橋は振り返る。

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 「大坂冬の陣、夏の陣っていうのは、家康が今までためてきた澱、業みたいなものを背負って終える戦なので、まあ、ものすごい息詰まり方というか重たさですよね。セリフが極端に少ない、言葉のない世界がひたすら繰り広げられるなかで、唐突にこの軽妙な鯉のエピソードが始まるので、おそらく視聴者の方々も“一体何を見せられていたんだ”と思われるかもしれません。ですが、実はこれが晩年の家康の心の中を知るために大事なシーンだったことがわかる仕組みになっているので、その表現にはかなり苦心しました」

 このエピソードについては、第36回「於愛日記」で、側室・於愛の方(広瀬アリス)に正室・瀬名(有村架純)と息子・信康の思い出話をせがまれた家康が、信康と五徳の祝言のことを語り始める描写があったり、いくつかの回に伏線が張られていた。瀬名や信康、家臣の酒井忠次(大森南朋)、石川数正(松重豊)、本多忠勝(山田裕貴)、榊原康政(杉野遥亮)ら家康が愛した者たちが集合する大団円ともいうべき展開となったが、村橋は家康にとって「一番見たかった光景」だと解釈を語る。

 「実は2年前ぐらい前の初期段階で古沢良太さんが書かれたプロットにすでにあったんです。撮影も最終回の台本が完成する前に行っていて、第40回とか第41回ぐらいの時期、8月末に全員集合のシーンだけ撮っているんです。お忙しい方々に集まっていただいたので、そういう意味で言うと大変でした。僕らからするとこのエピソードのために第47回までを作ってきたようなもので、家康の生涯でこの祝言の日が一番幸せだったかもしれない。あるいは、彼が73歳、74歳まで生きて初めて、これが自分の一番見たかった光景だと気づいたのかもしれない」と意図を話し、「この鯉の話を観ない限りは家康の本質ってわからないですよね、という使命感を持って撮っていました」と最終回に込めた思いを語っていた。(取材・文 編集部・石井百合子)

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