クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』の物語に惹かれた理由
クリストファー・ノーラン監督が、「原爆の父」と呼ばれる理論物理学者J・ロバート・オッペンハイマーを描き、上映時間3時間、アメリカではR指定を受けながら、全世界で10億ドル(約1,500億円・1ドル150円計算)近くの大ヒットとなっている『オッペンハイマー』(3月29日全国公開)。昨年末、日本公開が決まった後に開催されたグローバル記者会見に、ノーラン監督、キリアン・マーフィー(オッペンハイマー役)、ロバート・ダウニー・Jr(ルイス・ストローズ役)、エミリー・ブラント(キティ・オッペンハイマー役)らが参加、ノーラン監督の最高作とも言われている『オッペンハイマー』の製作裏話を語った。
「『インターステラー』と『TENET テネット』で、ノーベル物理学賞受賞者のキップ・ソーンと一緒に仕事をしたこともあり、僕は量子物理学に対する興味を持って、この作品にたずさわったんだ。それが物語への入り口になった。なぜなら、オッペンハイマーと彼の同時代の人々が取り組んでいた科学的思考の変化は、アインシュタインの相対性理論に続いて、人類のあらゆる思考において最も重要なパラダイムシフトのひとつだからだよ。映画を観た後、観客がその思考の変化がどれほど急進的でパワフルだったか、わかるように感じてほしかったんだ」とノーラン監督は語る。
700ページ以上あるカイ・バードとマーティン・J・シャーウィンの名著「オッペンハイマー」(原題:American Prometheus)をノーラン監督が脚色。映画は、第2次世界大戦中、ニューメキシコ州ロスアラモスでマンハッタン計画を率いたオッペンハイマーが原子爆弾開発を進める姿を主に描くカラーパートと、戦後、赤狩りが席巻するなかで米原子力委員会委員長ストローズとの対立を描くモノクロパートが交錯しながら進んでいく。
会見で「オッペンハイマーもそうだが、監督の描く主人公にはいつも二面性があるのはなぜか」と質問されたノーラン監督は、「僕は人間的で、欠点のあるキャラクターに惹かれる。アクション映画の世界で、他のどのスーパーヒーローよりもバットマンを描くのが心地よかったのも、彼がとても人間的で多くの葛藤を抱えているからだよ。僕が手がけたすべての主人公には、さまざまな側面があると思う」と説明。
「オッペンハイマーは、公の場での発言と、その根底にある行動が必ずしも一致していない。原爆投下について彼がどう感じていたかということだけど、彼は決して謝罪しなかったし、言い訳もしなかった。常に、技術的な成功において自分が果たした役割を自負していた。でも、1945年以降の彼の行動はすべて、深い罪悪感を持ち、自分の発明が世界をどう変えてしまい、それがどれほど暗いものをもたらすのかについて、強い自覚を持つ人間のものなんだ。それは、映画のストーリーの中心に据えるのに力強い主人公だと思う」と続けた。
そんな複雑なオッペンハイマーを見事に演じたアイルランド出身のキリアンは、『ダークナイト』や『インセプション』など、これまで5作品でノーラン監督と一緒に仕事をしてきたが、主演を務めるのは今回が初めて。長年、演技派として高く評価されているキリアンは、ノーランに全幅の信頼を置いている。
「脚本を読む前にイエスと言ったんだ。クリスが僕のために役を考えてくれた時はいつもそうだよ。これは全人類にとって、歴史にとって非常に重要な物語だとわかっていた。キャリアにおいてこんな役をオファーされることは滅多にないからね」と振り返る。余談だが、CBSの人気ニュース番組「60 Minutes」に出演したキリアンは、ノーランから手渡されてその場で読んだという脚本を披露している。コピーできないように赤い紙に黒字で印刷された脚本についてキリアンは「ノーランの脚本はいつもそうだ」と語った。
引き受けるのにためらいはなかったとはいえ「とてもチャレンジングだった」というキリアンは、約13キロ減量して、リサーチに没頭。「僕にとって本当に役立ったのは、映画ではまったく触れていない彼の幼少期や人格の形成期について読んだことだよ。それが、大人になってからの彼に大きく影響していて、とても興味深かった。また、キップ・ソーンが若いころオッペンハイマーの講義に出ていたので、講義中の彼の動きや講義の仕方、パイプの持ち方などについて話を聞くことができたのも素晴らしかった。でも、最終的には脚本が主な情報源。リサーチで吸収したものはすべて、サブリミナルな形で持っていることになったんだ」
また、独特な風貌のオッペンハイマーを演じるのに、衣装の果たした役割も大きかったと言う。「ロスに飛んで、衣装や帽子のテストをした。彼は自分を強く意識して、若い頃から自分自身を神話化していた。それで帽子やパイプ、スーツすべてが必要不可欠だったんだよ」
一方、戦後オッペンハイマーと、水爆実験をめぐって対立するアメリカ原子力委員会の委員長のストローズを演じるのは、ノーランと初タッグとなったロバート・ダウニー・Jr。アイアンマン役の印象も強いだけに、劇中では一瞬ロバートだとわからないほどの変身ぶり。彼がハリウッドきっての名優だということを、あらためて認識させられる秀逸な演技を披露している。
ノーランの家で初めて脚本を一気に読んだというロバートは、「ほんの数ページ読んだだけで『これは重要だ。なんという贈り物だろう』と思ったんだ。クリスと(プロデューサーの)エマ・トーマスが、僕にこの役を演じることができるってどうしてわかったのか、今でも不思議に思うよ。時々、お互いを信頼しているからこそ、より大きな挑戦ができることがあるものなんだ。感謝の気持ちでいっぱいだよ」と真摯(しんし)に語る。
オッペンハイマーと敵対するストローズを、ロバートはどのような解釈で演じたのだろうか。「おそらく、彼にはかなり尊敬に値する資質があって、生涯国のために尽くした人だったんだ。でも、結果的にどういうことが起きたかを考えると、ちょっと悲劇だね。もし彼が、オッペンハイマーと険悪な関係にならずに仕事ができていたらどうなっていただろうかと考える。いわゆる『悪者』であることを要求されるキャラクターなので、(演じるのに)引き出せることはたくさんあったよ」
さらにロバートは、「(今作には)歴史的意義の重さがあり、僕たちが当時やっていたのは時宜を得たことだった。それを適切に描くのはすごく重要なことだと感じたんだ。特に、僕たちは(劇中で描かれた)出来事が実際に起こったプリンストン高等研究所で撮影していた。だから、歴史の重みに敬意を表しようとしたんだよ」と、もっとも大切にしたことを振り返った。
IMAXで撮影された本作の臨場感あふれる映像は圧倒的で、ゴールデン・グローブ賞は5部門、英国アカデミー賞(BAFTA)は7部門で最多受賞。そして、全米映画俳優組合賞(SAG賞)では最優秀キャスト賞、主演男優賞、助演男優賞を受賞し、さらに全米監督組合賞(DGA賞)、全米プロデューサー組合賞(PGA賞)の映画部門で受賞と賞レースを総なめ。授賞式が3月10日(米国時間)に開催される第96回アカデミー賞では、13部門でノミネートされており、最多受賞になるのは間違いないと見られている。
エマが「最高のスタッフとキャストがいたからこそ、(わずか)57日間で撮影できた」と語るように、会見に出席したメンバーだけでなく、マット・デイモン、ケネス・ブラナー、フローレンス・ピュー、ラミ・マレックなど、主役級の演技派スターが脇を固めている本作。作品賞、監督賞、脚色賞にノミネートされているノーラン、助演男優賞にノミネートされているロバートだけでなく、主演のキリアンも、『ホールドオーバーズ(仮題)』のポール・ジアマッティを抑えて、受賞の可能性が高まっており、最終的にアカデミー賞を何部門制覇することになるのか注目される。(吉川優子/Yuko Yoshikawa)
映画『オッペンハイマー』は3月29日全国公開 IMAX劇場 全国50館 同時公開