現代の恋愛描く『四月になれば彼女は』の裏側 俊英・山田智和が長編監督デビュー
佐藤健主演の映画『四月になれば彼女は』(公開中)で長編監督デビューを果たした山田智和(36)。宇多田ヒカル、サカナクション、米津玄師、あいみょん、藤井風などのミュージックビデオや、NIKE、PRADAなどの広告映像を手掛け、輝かしいキャリアを築いてきた彼が挑んだのは、「恋愛しなくなった」昨今を反映した現代的なラブストーリー。映画プロデューサー、小説家の川村元気の累計発行部数45万部を突破する同名小説を原作とした本作の裏側を、原作からの改変を中心に語った(※一部ネタバレあり)。
映画『四月になれば彼女は』は、精神科医の藤代(佐藤)、結婚直前に失踪した藤代の婚約者・弥生(長澤まさみ)、藤代の初恋の相手・春(森七菜)の10年にわたる愛と別れを描くストーリー。ウユニ、プラハ、アイスランド、東京など世界各地で撮影を行い、弥生はどこへ行ってしまったのか? 春はなぜ手紙を送ってきたのか? 藤代が二つの謎を追い求めていくさまを追う。
原作小説のタイトル「四月になれば彼女は」は、サイモン&ガーファンクルが恋人たちの半年間の恋をつづった曲から。映画の企画自体は、2016年に小説が発刊された際、川村に佐藤健から感想のメッセージが届いたことから始まり、川村の希望により山田監督に白羽の矢が立てられた。山田監督はアオイヤマダ主演の『Somewhere in The Snow』(2021)などのショートフィルムも制作しているが、長編映画はこれが初。木戸雄一郎、川村と共同で脚本にも参加しており、初めて原作を読んだ時の印象をこう語る。
「恋愛の輝かしい部分も描かれてはいるんだけど、どちらかというと皆が目をそらしたくなるような現実を描いた作品だなと。そこがすごく挑戦しがいがあるなと思ったんです。というのも、かつての恋愛映画のフォーマットと、現代の恋愛事情が少しずれてきている感覚があって。要は恋愛しない、結婚しない選択をすることが普通になってきた。なので、新しい試みができるチャンスのように感じて。加えて、小説の主人公が僕と同年代だったので、彼が今どういうことに向き合わなければいけないのかっていうところに、自分事として共感できたところも大きかったです」
~以下、映画のネタバレを含みます~
映画化に当たって原作からアレンジされたのが、藤代が大学時代の恋人だった春と破局したきっかけとなる人物がOBから春の父親に変わった点、弥生の妹・純のキャラクター設定、ラストシーンなど。いずれも藤代と弥生、春の3人によりフォーカスするための改変となっているが、弥生の失踪が物語の後半から前半に変わった点については、山田監督が原作を読んだ際に抱いた疑問が発端となった。
「原作の中でいろいろな印象的なキーワードがあったんですけど、特に残ったのが(藤代の友人タスクの)“人間ってのは本当に怖いですよ。憎んでいる人より、そばにいて愛してくれる人を容赦なく傷つけるんだから”、そして弥生の“愛を終わらせない方法”という言葉。加えて、弥生の言う“失ってしまったもの”って何だろうと。原作者の川村さんとも相談して、その答えを映画を通して見つけていくのが、1つのテーマになった。そうすると必然的に弥生を原作以上に掘り下げることになり、弥生の失踪を頭に持ってくるかたちになりました。そうすることで、藤代が追いかけるべきものの輪郭もはっきりする。そこは綿密にブラッシュアップしたところかもしれないですね」
弥生は藤代の元患者で、動物園に勤める獣医。映画の冒頭、藤代と弥生は結婚の準備を進める一方で、寝室が別々であったり“問題”を抱えていることがわかってくる。そしてある日、弥生は藤代に「愛を終わらせない方法、それはなんでしょう?」という意味深な言葉を残し、姿を消してしまう。突然の事態に混乱する藤代だが、友人のタスク(仲野太賀)、職場の同僚(ともさかりえ)、弥生の妹・純(河合優実)らは弥生よりも藤代に問題があるかのような反応を見せ、藤代は一層頭を悩ませることになる。山田監督は藤代をどう見たのか。
「不器用だとは思います。彼は精神科医として人を分析しているけれど、自分のことはわかってない。そういう人って多いと思うんですけど、うまく自分の感情を表現できないし、しようともしない。春との過去に囚われて前進していないように見えるかもしれないけれど、弥生と出会ったことで変わってはいるんですよね。でもそれに気付いていない」
そんな藤代が向き合うべき問題の手がかりとして描かれたのが、弥生が思い出の詰まったワイングラスを割ってしまう映画オリジナルのシーン。動揺し、ショックを受けた様子の弥生に対し、藤代は冷静にグラスのかけらを集めて片付ける。よくある日常の中のアクシデントのように見えるが、藤代と弥生の決定的なすれ違いを示すシーンとなっている。山田監督は、本シーンが生まれた経緯や意図をこう語る。
「脚本会議の時に川村さんと話していた時に出たアイデアだったと思います。2人の思い出や記念日を忘れていたり、ないがしろにしてしまう瞬間ってすごくつらいよねと。そして引き金となるのは、例えば洗面台の排水溝が詰まっているとか、自分たちの手が届く大切なモノや事柄の積み重ね。そこに、藤代が向き合うべき問題のヒントがあるんじゃないかというのが僕と川村さんがたどり着いた一つの答えでした。もちろんそれが全てではないですが、このシーンは、その象徴として取り入れた感じです」
なお、世界各地を旅する春のウユニ、プラハ、アイスランドでの撮影は、日本のクルーに加え現地スタッフを動員して実施。「とにかく移動が大変だった」と言い、とりわけウユニ塩湖は鏡面が出るかどうか運頼みだったこともあり「春のセリフじゃないけど、見えないものを撮りに行くような感覚だった」と山田監督。「この作品ではウユニ塩湖もアイスランドも、始まりであり終わりでもある場所。なので単なる絶景に終わらず、登場人物の感情が押し寄せてくるようなものにしたかった。実際に原作を執筆する前に川村さんが旅した場所でもあるのでその時の気持ちや、春がどういう気持ちでこの地を訪れたのかが伝わったら」と願いを込めていた。(取材・文:編集部 石井百合子)