菅田将暉の何が凄いのか?黒沢清監督が驚いた二つのシーン
日本映画界の第一線を走り続け、近年も『銀河鉄道の父』『君たちはどう生きるか』(声の出演)、『ミステリと言う勿れ』(いずれも2023)など映画出演が相次ぐ菅田将暉。ミュージシャンとしても活動し、多忙を極める彼が出演オファーを即決したというのが黒沢清監督と初タッグを組んだサスペンス・スリラー『Cloud クラウド』(公開中)だ。菅田が本作で演じたのは、転売屋として「真面目にコツコツと悪事を働く」青年。撮影中、菅田の演技に「なんでそんなにうまいのか」とたびたび唸ったという黒沢監督が、菅田の演技の魅力を語った。
本作は、町工場に勤める傍ら、ハンドルネーム「ラーテル」として転売業で稼いでいた吉井良介(菅田)が集団ヒステリーに巻き込まれていくストーリー。黒沢監督が菅田と初めて顔を合わせたのは、2013年の第66回ロカルノ国際映画祭でのこと。菅田は主演映画『共喰い』(2013)で同映画祭に参加しており、黒沢監督は同作の監督を務めた青山真治から菅田を紹介されたという。黒沢監督は、その時の印象をこう振り返る。
「記憶は鮮明に残っているのですが、失礼ながらその時はまだ青山の『共喰い』も観ていませんでしたし、菅田さんのことを存じ上げなかったんです。ロカルノに行った時にたまたま菅田さんがいて“初めまして”と。 その後彼がこんなに人気者になるとは思っていなくて、“普通の若者”だなという感じで、どちらかというと引っ込み思案な印象でした。映画祭とか海外に慣れていらっしゃらないのか、あまり楽しそうには見えませんでした。それで、今回仕事で菅田さんにお会いして、その時の話をしたら“めっちゃ楽しかったです”と(笑)。ですから、完全に僕の誤解でした(笑)」
当時はまだ菅田と仕事をすることを想像していなかったが、菅田が「自身の転機となった作品」と公言もしている『共喰い』を観て、途端に見方が変わったとも。
「後に『共喰い』を観て“なるほどな”と。大人しそうな青年がこんな風になるんだと驚きました。『共喰い』で演じた役柄からして、イケメン、いい人とはかけ離れた、土着的でかなり屈折した若者ですよね。ですから、最初から菅田さんに対してはいわゆるイケメン俳優とは少し違うイメージからスタートしました。その後、みるみるうちに人気者になっていって……。俳優ってみるみる成長するんだなと」
初タッグとなった『Cloud クラウド』では、菅田から役柄をつかむための参考資料を求められ、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(1960年・ルネ・クレマン監督)のタイトルを伝えたという黒沢監督。アラン・ドロンが演じた主人公の「真面目にコツコツと悪事を働いていく」人物像を伝えるのが目的だったが、とりたてて黒沢監督が意図を説明することはなく、菅田の解釈に委ねたという。
「菅田さんが“役の参考になるような映画があったら観たい”とおっしゃったのでこの映画を観てもらって、菅田さんと1時間ぐらいディスカッションの場を設けたんですけど、そのほとんどが“『太陽がいっぱい』って面白いですね”“面白いでしょ?”“アラン・ドロン、なんであんなにかっこいいんですかね”といった他愛もない話しかしていません(笑)。菅田さんはアラン・ドロンを観て、おそらくほぼ直感的に吉井のキャラクターはこういうことなのかなとつかまれたんだと思います」
ところで、撮影中に何度も「なんでそんなにうまいんですか」と聞いてしまうほど菅田の演技に魅了されたという黒沢監督だが、菅田の何がすごいのか?
「例えば、“いいよ”の一言で、主人公のイエスともノーともつかない曖昧さみたいなものを的確に表現してくれるところ。持って生まれたものもあるんでしょうけど、“いいよ”って言いながら、半分は“弱ったな”と思っている。そんな、どっちつかずの“いいよ”です。ただ漠然と曖昧にやると、なんとも意味不明になってしまうんですけど、菅田さんが演じると“この人どっちつかずなんだな、半分は嫌なんだな”という心情が確実に伝わってくる。“ちゃんと”曖昧さを表現しているっていうところが驚異的です。普通、俳優ってわかりやすく喜怒哀楽、感情を伝えることを訓練しますけど、はっきりしない感情って相当な技術がないと表現できないもので。それをあの若さでちゃんとつかんでいらっしゃって、びっくりしました」
黒沢監督が特に目を奪われたのが、冒頭のシーン。吉井が安く買いたたいた大量の医療機器をネットで転売し、その売れ行きを見守るというシチュエーションだ。
「吉井が大量に買い占めた医療機器が完売するのをじっと見ている。素晴らしいと思いましたね。全部売れたわけですから“やった!”とあからさまに喜ぶ芝居もできなくはないんです。でも吉井は喜びつつも半分は“この先は大丈夫なんだろうか”という不安がある。とりあえず売れた、目の前の目標は達したけど、この先どうしようっていう微妙な心境みたいなものが手に取るように伝わってくるというか。普通の人ってまさにこんな感じだと思うんです。すごくいいことがあっても、手放しで喜べない微妙なニュアンスを全て含んだ菅田さんのあの表情は見事だなと思いました」
ちなみに、菅田はシネマトゥデイのインタビューで「これまでに経験したことがない」演出として同シーンを挙げていたが、黒沢監督が菅田に伝えたのは「PCから3メートルぐらい離れてほしい」という指示だったという。
「“一通りの操作をした後は少し離れて見守る”ぐらいのイメージは持っていましたが、それがどういう芝居になるのかは想像していませんでしたし、菅田さんに(商品が完売した時に)どういうリアクションをとるのかということは伝えていません。吉井の目はPCに集中しているのですが、売り時とか買い時とか、冷静な判断を要求される状況下で、あまりのめり込むと多分冷静さを見失ってしまう。ですから、一通り転売の操作をし終えたら一旦PCから離れて、少し客観的に冷静になって観察するというプランを考えていましたが、菅田さんのおかげで冒頭から極めて印象的な吉井らしさが表現できたと思います」
もう一つ、黒沢監督が全く指示をしていないにもかかわらず菅田に舌を巻いたというのが、恋人・秋子(古川琴音)とのシーン。「ネタバレになるので詳細は伏せますが、吉井が死闘を潜り抜けたあとに秋子が現れ、“秋子、良かった”とつぶやく。なんとも哀れというか、間抜けといえば間抜けとも言えるんですが、あの最後の吉井の無防備な表情は感動的です」
「いいよ」一つでさまざまな感情を表す菅田。本作は第97回米国アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表作品に選出されたことでも注目を浴びているが、菅田の真骨頂ともいえる名演が詰まっている。(編集部・石井百合子)