『ドクターX』なぜ劇場版で完結なのか シリーズ生みの親が明かすファイナルへの思い
国民的医療ドラマ「ドクターX」(2012~)が、『劇場版ドクターX』(12月6日全国公開)でついに完結する。米倉涼子演じるフリーランスの外科医・大門未知子の活躍ぶりに多くの視聴者が釘付けになった人気作は、どんなふうにピリオドを打つのか。12年前にシリーズを立ち上げた内山聖子(さとこ)エグゼクティブプロデューサーが、映画化の経緯や完結作への思いを語った。
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映画でピリオドを打つ意味
新シーズンを制作する度に「やめるやめる詐欺だと言われていました」と内山は笑う。多くのヒット作を手掛け、現在もエグゼクティブプロデューサーとして「無能の鷹」「ザ・トラベルナース」などに名を連ねるヒットメーカーは、毎シーズン「ドクターXはこれで最後」と言ってきたからだ。
「『ドクターX』は、どこかからやってきた職人が、メリー・ポピンズのように病院を改革し、消えていくというファンタジーです。第1シリーズは、当然これっきりのつもりでした。ですが、思ったよりも反響が大きくて、第2シリーズは敵役を伊東四朗さんから西田敏行さんに変えて作って。そうしたら、今度は会社(テレビ朝日)が辞めるのを許してくれなくなって、私はサラリーマンなので『御意』と言ってしまいました(笑)」
最終作を映画にした理由として、内山は「米倉さんから『ピリオドの打ち方として映画という大きなスクリーンがいいのではないか』『けじめをつけたい』とご提案いただきました。私はテレビのプロデューサーなので、映画で完結という発想はなかったんですが、確かにそうだなって」と説明。「大門未知子はアニメーションではなく、生身の人間がやる以上、一区切りつけることも大切です。アスリートのようですけど、自分のピークを考えて仕事をすることも必要なんです」と米倉の決意を受けた「ファイナル」だったことを明かした。
未来につながる医療を
「あとは、どうしたら映画のお客さんが楽しんでくださるか。職人のお話として立ち上げた物語ですから、サラリーマンの中の職人のお話と、それに不可欠な師匠と弟子の話は絶対にやりたかった。この2つを軸に、物語を作りました」と続けた内山。「連ドラのときは私と中園(ミホ/脚本)さんと霜田プロデューサー(制作会社ザ・ワークス)の3人で、わりと軽やかに立ち上げて作っていましたが、今回は映画で、しかも最後でもあるので、長くご一緒してきた(田村直己)監督やキャストスタッフも交えて、いろいろな人の思いを込めました」と話し合いを重ねた。
完結編にふさわしい映画のポイントは、どんなところにあるのか。
「完璧な職人であるドクターXですが、絶対誰かに恨まれているとは、ずっと思っていました。ドクターXが復讐される話ですよね。人間、自分が調子悪くなると、医者のせいにしたくなるじゃないですか(笑)。それと、たとえその時にかなわない医術でも未来のテクノロジーが助けてくれるんじゃないか、“人を助けようという思い”は未来に継承されていくだろう、ということです。未知子は人に教えるタイプではないけれど(笑)、(岸部一徳演じる神原)晶さんから受け継いでいることは確実にあるし、何十年後の人が未知子の手術を見て、さらにプラスしてくれるかもしれない。もうドラマとしての続きはないけれど、未来に続く最後になればいいなと思いました」
大門未知子はファンタジー
未知子という存在は「大嘘ですよね(笑)。ファンタジーです」と内山は語る。「最初のころの未知子は緊張感があるし、どこか怖い感じもあります。まさにデーモンみたいでした。それが、ちょっとずつ変わってきて、自身が病気になって患者の感じる怖さもわかった。そんなふうに変化していく生身の未知子を作ってこれたのは、米倉さんという素晴らしい女優さんと向き合えたからです」と米倉に最大級の感謝を捧げた。
「ドクターX」シリーズがここまでの人気作になった理由を、どう考えているのだろうか。「恥ずかしいんですけど、本当にわからなくて。失敗した時は自分でも何となくわかるんですけどね。おそらくテレビシリーズが痛快だったからではないでしょうか。日本の9割がサラリーマンですから、未知子の啖呵は気持ちいいですよ」と内山は語る。
では、テレビシリーズの新作を立ち上げるときに心掛けていたことは何だったのか。「今の医療の問題ですね。職人が生きづらいとか、弱者が切り捨てられるとか。テレビは“今”が大事なので、バージョンアップとかよりも、そこを重視していました」
ひとりの職人が、颯爽と生き、去っていく痛快な物語。未知子のこだわり、“今”の社会の問題点や疑問点がつめこまれた最後の「ドクターX」に、内山は「これまでの感謝をこめて、笑いと涙をお約束します」と自信をのぞかせていた。(取材・文:早川あゆみ)