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「阿修羅のごとく」昭和のドラマが今も人気の理由 勝又&滝子カップル、なぜ支持される?

Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」より長女・綱子(宮沢りえ)、四女・咲子(広瀬すず)、次女・巻子(尾野真千子)、三女・滝子(蒼井優)
Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」より長女・綱子(宮沢りえ)、四女・咲子(広瀬すず)、次女・巻子(尾野真千子)、三女・滝子(蒼井優)

 Netflixで1月9日より配信中のドラマシリーズ「阿修羅のごとく」(全7話)が話題を集めている。昭和を代表する脚本家・向田邦子の名作を、是枝裕和監督がさりげなくも大胆なアレンジを全編に施して、フルリメイク。オリジナルのドラマは1979年、1980年に放送され、その後、映画化や舞台化があったものの、再ドラマ化作品としては、実に46年ぶりとなる。昭和のホームドラマが、なぜ令和の現代人にこれほど響くのか。主人公である四姉妹を取り巻く男性キャラにも注目しながら、その理由を考えてみたい(※一部ネタバレあり)。(石塚圭子)

【画像】「阿修羅のごとく」場面写真

勝又&滝子カップル、なぜ人気?

恋愛に不器用な勝又(松田龍平)と滝子(蒼井優)

 現在、Netflix作品で国内のTV番組トップ10の10位にランクインしている本作(※1月20日時点)。物語の時代設定は1979年(昭和54年)。今回のドラマを観た視聴者の間で、特に好感度の高いキャラクターとして人気を得ているのが、松田龍平演じる、三女・滝子(蒼井優)に恋心を抱く興信所の調査員・勝又だ。SNS上では「勝又、理想の夫過ぎる」「松田龍平の演じる勝又、すごく魅力的だった」「リメイクでも勝又くんは癒しだったな」「滝子と勝又はそのまま幸せであってくれ…という願望」「勝又、めっちゃいいヤツだなぁ…」といった反応が寄せられている。傍から見ると、ちょっと冴えない、いかにも気の弱そうな彼は、本作の中で、柔軟性のある男性として描かれる。

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 惚れた弱みとはいえ、人付き合いは得意ではないのに、滝子の老齢の父・恒太郎(國村隼)との同居の提案を受け入れてくれる。食事時には自然に台所に立って料理をする。滝子を抱きたいと思っても、無理強いすることはなく、彼女が本当にそういう気持ちになるまで待ってくれる。滝子の心を気づかい、それでいて彼女と意見が違うときには、はっきりと自分の考えを伝える。そんな彼の姿に癒され、恋人時代も結婚後も変わらず対等な2人の関係に憧れる視聴者が多いのは当然だろう。こういう現代的なキャラクターを、昭和54年のドラマで、すでに登場させていたところが向田邦子のすごさだ。

 とはいえ、他の男性キャラたちが、女性を大切にしていないわけではない。長女・綱子(宮沢りえ)の恋人・貞治(内野聖陽)は優しいし、次女・巻子(尾野真千子)の夫・鷹男(本木雅弘)は、仕事で多忙な中、巻子の家族の悩みを親身になって聞き、何かと巻子をサポートする。四女・咲子(広瀬すず)の同棲相手で後に夫になる陣内(藤原季節)は、咲子が母親・ふじ(松坂慶子)を亡くした後、母は男の子がほしいから無理して自分を生んだのではないかと気に病んでいるのを察し、「おまえはちゃんと望まれて生まれてきたんだよ」と彼女の生そのものを肯定する。みんなそれぞれ、彼女たちが好きになるのももっともだと思わせる人間的な魅力がある。

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 では、勝又と彼以外の男性キャラとの決定的な違いは何か。それは勝又以外の男たちが、四姉妹の父親・恒太郎を含め、全員、パートナーの女性を裏切っているということだ。恒太郎には小学生の息子がいるシングルマザー・友子(戸田菜穂)という7年越しの愛人がいる。貞治は料亭を切り盛りする妻・豊子(夏川結衣)の目を盗みながら、綱子と密会を続け、修羅場になると逃げ腰だ。鷹男には秘書の赤木(瀧内公美)との不倫疑惑がある。陣内は同棲時代、咲子がバイトでいない間にアパートに女を連れ込んで、その浮気がバレてしまう。

 食卓シーンを通して、親子やきょうだいの絆を描くのと同じくらいの比重で、日常生活のさまざまなシーンや会話を通して“性”を描くのが向田作品の特徴だ。少々多すぎるようにも感じる浮気や不倫のエピソードは、向田が“家族”の最小単位であり、親子やきょうだいと違って血のつながらない“夫婦”を描く上で切り離せない要素だった。とりわけ「阿修羅のごとく」には性の気配が濃密に漂い、それは今回のドラマ化でも鮮明に表現されている。

今も変わらない男女の性愛における意識

一見、平穏に見える里見家だが……

 そんな本作において際立つのが、勝又が恒太郎に伝える「もしも結婚したら、あの人、大事にしますから。一生、浮気、しないすから」というシンプルなセリフのインパクト。そして、これと対照的なのが、浮気していた父・恒太郎を泣きながら責める巻子に対し、鷹男が「誰にも迷惑かけず、少しだけ人生のツヤを楽しむのが、そんなにいけないのか」と言うシーン。そこには夫の不倫に人知れず苦しむ女性への寄り添いは見られない。義父をかばいつつ、自分を含む世の男たちの不倫を正当化するセリフなのだが、現代でも彼の言葉に密かに同調する男性は案外多いような気がする。

 母親ふじと巻子の間で交わされる「女はね、言ったら、負け」というセリフ。当時理想とされた良妻賢母は、夫の浮気も見て見ぬふりをし、口に出さないのが鉄則だった。本作は、つらい状況の中でもたくましく生きる女性の強かさ、怖さを描いた作品ではあるが、そうした女性の態度が、男性を甘やかせ、つけ上がらせてきたともいえる。女性も男性も、どちらか一方が我慢しなければならない関係では幸せにはなれない。

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 オリジナルドラマの放送から6年後、1985年(昭和60年)に男女雇用機会均等法が成立されて以来、社会的、経済的な男女差は少しずつ埋まり、女性のマインドは劇的に変化した。にもかかわらず、本作の女性たちが抱えるヒリヒリした痛みは、“ノスタルジックな昔話”ではすまされない切実さをもって、観る者の胸に鋭く突き刺さる。

 ごく平凡な勝又と滝子の2人が、どうして今もこんなにまぶしく映り、理想的で幸せな夫婦に感じられるのか。それは、女性の社会的な地位が上がっても、家庭という密室の中の夫婦の関係性や、不倫を含めた男女の性愛において、特に男性側の意識が昭和の頃から、実はさほど変わっていないことの証ではないだろうか。もともと男女には、感じ方、考え方にギャップがあり、令和の現代になっても、両者の間にはまだまだ大きな溝が横たわっている。

 劇中、巻子の長男である高校生の宏男(城桧吏)が、お菓子を指にはめて食べながら、のんきに漫画を読んでくつろいでいるちょうどその頃、妹の洋子(野内まる)は書店で万引きをしてしまったというシーンがある。日頃、飄々としていて、今どきの女の子に見えた洋子が、父の不倫疑惑に苦悩する母を心配し、深く傷ついていたという事実。同じ家庭で生まれ育ち、同じように両親に接してきたはずの兄妹の意識の差が対照的に描かれ、男女の感覚、価値観の違いを浮き彫りにしていたのが印象的だった。

 そんな宏男や洋子も今なら、すでに60代。孫がいてもおかしくない年代だ。巻子にとっては曾孫である。現代、そして未来を生きる彼らは、これからどんな社会を作っていけば良いのか。普遍的なテーマを重層的に持つ「阿修羅のごとく」は、今回のリメイクによって、長い時を経て、社会がどのように移り変わってきたかをとらえ、気づきを与えるという特別な役割も果たしている。

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