ポン・ジュノ監督が描く「人間が無価値な世界」とは 新作『ミッキー17』が伝える次世代へのメッセージ

映画『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督が、『TENET テネット』のロバート・パティンソンとタッグを組んだ最新作『ミッキー17』(3月28日全国公開)について、“何度も死ぬ主人公”を通じて描かれる社会風刺と若者たちへのメッセージを合同インタビューで語った。
【動画】ロバート・パティンソンが何度も死ぬ『ミッキー17』日本版予告編
死ぬ度に新たにコピーされた体へ記憶が引継がれる、“死んでも働く”仕事についた若者ミッキー(ロバート)。過酷な任務で命を落としては何度も生き返る、“使い捨て”のような日々をすごしていた彼の人生は、ある日、手違いでもひとりの自分(コピー)と出会ってしまったことから、予想外の方向へ転がりだす。
原作は、エドワード・アシュトンの小説「ミッキー7」(早川書房)。ポン・ジュノ監督は、その魅力について「原作は宇宙や未来を舞台にしていて、映画『ミッキー17』の舞台も原作を踏襲しています。でも、原作の一番の魅力は、現代社会のいろんな側面を鮮明に映し出せるところだと思います」と、あくまで現実社会を反映したストーリーを描ける点にあったと語る。
「『ミッキー17』の世界では、人間の価値がものすごく低くなっていて、彼らはプリンターで簡単にコピーされる。そんな『人間が無価値な世界』を、ミッキーという若者の目を通して描けると感じました。実際、現実の世界において、多くの若者も似たような状況にいると思うんです」
原作のタイトルは“ミッキー7”だが、映画ではさらに数が増え“ミッキー17”の受難が描かれる。『殺人の追憶』(2003)をはじめ、これまで無残な殺人を描くことも多かったポン・ジュノ監督だが、本作では「何度も殺される主人公」に惹かれたわけではないという。
「確かに私は連続殺人者や殺人者を描くことが多いですが、ミッキーは『死ぬこと』が仕事なので、これまでとはテーマが異なります。この作品では、ミッキーが死ぬたびに、周囲の人々がほっと安堵(あんど)する様子が描かれますが、それは人の臆病さゆえの安堵といえます。さまざまな危険にさらされ命を落とすミッキーを見ても『これは彼の職務なのだから』と(その死を)合理化することできるからです。こうした描写も、私たちが生きる現実世界を反映しているのです」
そんな本作の悪役と言えるのが、マーク・ラファロが演じるリーダーのマーシャルだ。ミッキーたちに過酷な使い捨て労働を強いる彼について、ポン・ジュノ監督は「独裁者や政治家の恐ろしくかつ滑稽な姿を映し出しており、かなり政治的なキャラクター」と説明する。「現実の世界でも、多くの国で悪徳な政治家に国民が虐げられています。この人物にはその世情が凝縮されているのです。そしてだからこそ、滑稽に描きたいと思いました」

宇宙や未来を舞台にしながら、どこか薄汚れたセットにも、現実が反映されているという。その狙いを、ポン・ジュノ監督は「まるで部屋の床に置かれた靴下を見るかのような感覚を喚起させたかった」と独特の言い回しで表現。「こうしたジャンルの作品には華麗で斬新なビジュアルやデザインを採用するものが多く存在しますが、その逆のアプローチを取り、薄汚れたざらついた世界にしたいと考えました。派手になりがちなこのジャンルを、あえて現実世界へ引き戻したかった。この世界では、人々が宇宙や未来といった壮大なテーマを語ります。しかし、その壮大なテーマの中に生きる人々は哀れで滑稽であり、現実の私たちと大して変わらない。そうした現実を視覚的に表現したかったのです」
人々を搾取する政治家と、そのシステムを可能にしたテクノロジーの暴走を描いたともいえる本作。「私は政治とテクノロジーどちらも信じない」というポン・ジュノ監督は「テクノロジーには私たちの生活を変える力があるけれど、同時に恐怖をも呼び覚ますものです。『私はこの技術から取り残されるのではないか?』と人々は怯えるものだから。本来ならば、政治がそれに対する抑止力として機能するべきなのに、今の世の中を見ると、政治そのものもめちゃくちゃですよね。私はもう50代半ばなのでいいですが、息子の将来を考えると心配になるし、暗澹(あんたん)たる気分になります。自分でも悲観しすぎているかもしれないと思うくらいに」
ただ、本作のミッキーは、そんなひどい状況でも、信頼するパートナーであるナーシャ(ナオミ・アッキー)と出会い、彼女と共にどん底から這い上がろうと奮闘する。「この作品を通してあらためて私が考えたのは、『ひどいことは常に起きている。それでも人間は、どんな現実に直面しても、どうにかして生き延びるすべを必ず見つける』ということです。ミッキーにとっては、ナーシャへの信頼が心の支えだった。どんなに厳しい現実でも、人は一日一日を乗り越えていく力を持っているものなんです」(編集部・入倉功一)