『少年と犬』もう一人の主役・さくらの奇跡的な瞬間の数々…瀬々敬久監督が“犬中心主義”の撮影で感じたこと

第163回直木賞を受賞した馳星周の小説を実写映画化した『少年と犬』(公開中)。メガホンをとったのは、これまで『糸』(2020)、『ラーゲリより愛を込めて』(2022)など数々の人間模様を描き名作を世に送り出してきた瀬々敬久監督。そんな監督が、人間に寄り添い、生きる希望を与えてくれる“犬”を軸にした作品を撮った。いつも台本の1ページ目に作品のテーマを書くという瀬々監督が、「犬中心主義」と記した本作。瀬々監督が奇跡的だったという撮影を振り返った。
天才犬・さくら、特に凄いのは「じっとしているシーン」
東日本大震災から半年後を舞台にした物語。主人公は、高橋文哉演じる宮城県に住む和正と、西野七瀬ふんする滋賀県在住の美羽。どちらも人に言いづらい過去を持つなか、突然現れた犬・多聞と共に過ごすなか、さまざまな感情を呼び起こされていく。
高橋、西野がダブル主演として作品を引っ張っていくが、間違いなくもう一人(一匹)の主人公はシェパード犬の多聞だ。ふんするのは雌犬のさくら。劇中では人間と同等、それ以上にエモーショナルな演技を見せ、観客の心をつかむ。瀬々監督も「とにかく素晴らしかった」と絶賛するが、冷静に考えると「どうやって撮影したのか?」というシーンが多々ある。瀬々監督も「やっぱり動物ってじっとしていたり、目を閉じたまま動かないとか、かなり難しいことなんですよね」と語ると「そういう部分は本当に優秀でした」と振り返る。
瀬々監督の言葉通り、高橋や西野にぴったりと寄り添い、まるで人間の感情の機微が分かっているかのような佇まいを見せるさくら。俳優には監督が演出をつけるが、犬にはどのようにして意思を伝えるのだろうか……。
瀬々監督は「基本的にやることは決まっている。台本のト書きにも『多聞が側にいる』とか『走ってくる』と書いてあるんです。それをドッグトレーナーさんに伝え、その動作を訓練していただき、現場で練習のようにやってもらうという繰り返しです」と説明する。確かに言葉で言うのは簡単だが、相手は犬。それでも瀬々監督は「僕たちが要求していた動きは、ほぼ完ぺきにマスターしてくれていました」とさくらの優秀さに舌を巻いたという。
特に瀬々監督が驚いたというのが、多聞がじっとしているシーン。「物語の中盤で、雪のなか車が動かなくなっていたとき、車の横に座って動かないシーンや、後半に病院のベッドの上で寝ているシーンなど、結構長回しで撮っているので、途中で動いてしまうだろうな……と思っていたのですが、一切動かなかった。本当にすごい子だなと思いました。こういう動物の撮影というのは、普通何匹か用意するものですが、さくらほど完璧に演じられる犬は他にはいなかったので、一匹で演じてもらったんです。その意味で体調を崩すこともなく撮影ができたのは、本当に幸運でした」
クランクイン直前にアクシデント!さくらが救世主に

そんな天才犬・さくらだが、実は最初は別の犬で撮影する予定だったという。瀬々監督は「原作では、多聞はシェパードと和犬の雑種だったので、シェパード純血のさくらは、最初から候補に入っていなかったんです。でも当初決まっていた犬が、クランクインの2週間前ぐらいに体調も含めて難しくなって降板してしまったんです」と語ると、そこから急遽、雑種ではなく純血だった犬も候補に入れ再検討するなか、さくらが選ばれた。瀬々監督は「まさに僕らにとっては救世主。この映画を救ってくれたのはさくらだと言っても過言ではないです」と感謝を述べていた。
「基本的にドッグトレーナーさんの訓練がすべて」と語っていた瀬々監督。さくらに対して「特別な演出をしているわけではない」と話すが、一方で、常に心の中心に置いていたのが「犬中心主義」だという。「台本の一ページ目をめくったところに“犬中心主義”と書いて、常に心掛けていました。それでも、どうしても人間ドラマとしてものを見てしまう癖はなかなか抜けなかったんです」
撮影当初は高橋や西野の視点に寄りがちで、犬目線のカットを撮り逃してしまうことも多々あったという。撮影中盤に差し掛かるころになってようやく、多聞を中心に撮っていこうというプランが明確になっていったという。
また高橋や西野がさくらとコミュニケーションをとるのに対し、瀬々監督はさくらと一定の距離を保とうとしていた。その理由について「やっぱり僕が近づくと圧を与えかねない。犬と言うのは集団のなかで誰がボスなのかというのを察する生き物。そういうプレッシャーはなるべくかけないように意識していました」と語る。
映画を撮り終えて見えてきた新たな課題

「犬中心主義」という撮影を通して、瀬々監督は作品作りにおける課題が見えてきたとも。「僕は特別犬に対して演出をしたわけではないんです。でも映像の中でさくらが悲しそうな目や切なげな表情をしていたと見る方が多いわけです。実際にそうなのか、もしくは僕たちがそういうふうに見ようとしているのか、どっちなんだろう……という課題は残された気がします」と語る。
「見る側がそう感じれば、それが正解」という考え方もあれば、「演じる側が心からそう感じていなければ嘘になる」という解釈もできる。瀬々監督は「とても難しい問題。今回は犬だったのでその正解は分かりませんが、映画の秘密がそこに隠されているような気がしました。演技の本質というものを含めて、新たな疑問が湧いてきたんです」と本作を通じて映画づくりの奥深さを痛感したという。(取材・文:磯部正和)