まほのハリウッド日記19
路上教習の悪夢…in LA |
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これまでのお話でも分かるように、ロスでは、とにかくどこへ行くにも、バス、バス 、バス。ふつうに、車持ってれば、フリーウェイにのって、ポンポーンと目的地に着けるのに、20メートルごとに止まるバスのお陰で、クルマラーの2倍は、かかって 目的地に着く…という過酷なバスラー生活の日々。 こんなんじゃ-仕事もとれやしねーってわけで、私は、ついに、マイカーを持つこと にしたのです。 でもその前に、必要なのは、免許。21歳以上でしか、国際免許を持てないロスで、 当時19の私は、一から、免許をとるはめに…。 早速DMVっていう、免許をとれる ところにいって、まずは、筆記試験から。(余談ですがアメリカには、教習っていう
ものはありません。いきなり筆記試験受けて、路上受けておしまい。)久々の、試験
っちゅーことで張り切って、一夜漬けしたかいもあり、一発合格!! イエーイ。 ってちがーーーーう!! 右ハンドル、日本とは、反対車線のこの国で、一回も運転 したことがないのに受かるわけないじゃん!! むろん練習が、必要な私は、即座に 、ドライビングスクールに入学したわけです。ドライビングスクールっていっても、 この場合、日本の教習所みたいなんでは、なくて、先生が、教習車に乗って、お家ま で、来てくれて、運転の練習を短期間でやるっていうチョー効率のイイもの。 とりあ えず、私は、いっちばん安い(なんと全部で150ドル!ステキッ)、試験の3日前 からの、3日間集中講座に申し込んだ。 レッスンは、グループで、みんなで、和気あいあいって言いたいとこだけど…全 然。私のグループは、ぽっちゃりした、高校生の男の子(15)と、メキシカンのサッチーみたいなおばちゃん。運転経験が、あるのは、私のみ…。 レッスンは、まさにこの世の地獄だった…。まだ私や、少年が、運転してる時は、 いいのよ。二人とも慎重だったから。 問題は、メキシカンサッチー。もうほんとに恐い! 「私は、いったいいつ運転できんのよ!」 車内に、轟く罵声。おびえる少年。 「あと15分ですから、ちょっと待ってて下さいね」 と優しくなだめる教官に、おばちゃんは、猛獣のように吠えまくる。しかもスペイン 語と英語がグチャグチャで、全く意味不明。私は、あまりの恐怖に、意味もなく、お ばちゃんの背中をさすり続けていました。(一応、ドウドウってつもり…だった んだと思う)。 恐怖の15分が過ぎて、ようやくおばちゃんの番が、回ってきた。青ざめた少年が、
私の隣に座る。っもう、ほんとに可哀想な少年。目で、あんたも大変だったねーって
サインを送る。 おばちゃんの運転は、サイテーだった。 とりあえず、出発して五分後にピロピロ鳴り続けていた、ケータイにでやがった。下手な癖に、片手で運転しながら、どこぞのメキシカンとしゃベくるおばちゃん。おい
おい…。 「あんたねー、横見てみなさい! どいつもこいつ もケータイで、喋りながら電話してるじゃない! しかる前に、電話しながら、運転する方法教えなさいよ!!」 ばかな、教官…。これ以上彼女を刺激しないでおくれ。おばちゃんは、怒りながら 、フリーウェイに突入した。あまりの怒りに、入った瞬間加速しすぎて、後ろからく る車に激突しそうになる。 隣で、「ひあああ」みたいな変な声を出す少年。 「次の出口で、出ましょう」 という教官の言葉に、なぜかスピードをあげるおばちゃん。たまにフワッッと浮く車 体。 ようやく次の出口に差しかかった時、 「アッッ。混んでるから次の出口にしよう」 これは、教官の言葉では、ありません。私が、記憶しているのは、ここまで。 (人は、本当に嫌な記憶を、自分の脳から抹消するといいますね。それですそれ。)
そういえば、おばちゃん、自分の番が終わったあと、うちらを振り返って、「上手で
しょ??」プラス笑顔。 森田まほ 来週に続く… |