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上映時間とは別の時間の流れというものを 観客に感じてもらいたい |
Q |
日本よりも先に、カンヌ国際映画祭ほか海外で高い評価を受けましたね。日本と海外の評価の差というのは感じますか?
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A |
青山真治(以下A) 『EUREKA』に関しては、海外の評価と日本の評価との差はあまり感じないですね。「長い」だとか、「リアルだ」「モノクロ珍しいね」っていうのが大体最初に出てくる話なんですが、それはどちらも同じです(笑)。
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Q |
『Helpless』では暴力描写について、海外では大分物議をかもしていたようですが今回はどうでしたか? |
A |
かつては、海外では暴力性に関してはとてもうるさかった。特に『Helpless』『チンピラ』は、日本ではどちらかというと「普通じゃん」っていう感じだったんだけど、海外に行くと「なんでこんなひどいことを!」というようなことをよく言われましたね。ただし、海外だと暴力+α、サブテーマというか、映画が抱えている中心的な問題まで同時に言及してくれたりする。それが日本では逆に全くなかったりするんですよ(笑)。だからこれまでの僕の作品に関する評価は、外国では両方あるな、日本ではその真ん中あたりしかなかったなという印象でした。それが今回は、誰にでも同じに見えるようにできちゃったのか、外国人でも「こういうことは、俺のフランスの田舎であっても全然おかしくない」って言われたりして。
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Q |
そうした衝撃的なオープニングシーンは、相当に意図的なものがあったと思うのですが。 |
A |
そうですね。音楽的なもので言うと、最初に一発銅鑼をバーンと鳴らして、その余韻、反響がずーっと響いてる。だから、映画の冒頭で鳴らした銅鑼の反響が後半まで、3時間37分、ずっと続いてるという(笑)。そういう映画として作ったという感じはあります。
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Q |
確かに3時間37分は長いですね(笑)。ただ、私はその長さこそがこの映画にとって重要なものだと感じました。傷ついた人の心が癒されるには、こんなにも長い時間がかかるんだということを、観終わった後に心から実感しました。 |
A |
僕は映画を作る上で、上映時間とは別の時間の流れというものを観客に感じてもらうことができるのか、ということを一つの大命題だと思っているんです。それを例えば「人間が再生するのにこれだけ膨大な時間がかかるんだ」という風に受け取ってもらえるのが、自分にとっては一番嬉しいですね。そのためにこの長さを必要としたわけですし、それを感じとってもらえることが一番重要なことだったから。
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映画に何ができるのか。それが僕の中で 一つのテーマになっているんです。 |
Q |
この映画で訴えようとしたこと、テーマのようなものは、最初から明確に存在していたのですか? |
A |
映画に何ができるのかっていうのが、自分の中で一つのテーマになっているんです。例えば3時間37分でも描ききれないテーマはある。ポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』という、3時間9分の映画がありますよね。それを観て、僕はアダーソンが意識的なのかどうかわからないけれど、「ほんの一瞬だけでも皆が我を忘れてしまう瞬間というのがある。かといって、だから何かを解決するということはできるわけではないのだ」という物語を映画という表現方法の中でやる時に、「結局こういうことがありましたが、映像としてそれを表現することはできない」という「できなさ」をやるために3時間9分の上映時間を必要としたな、という所に結論が至ったんですね。で、僕もそうなんだよなと思ってるんです。つまりこうした事態を味わった人間の本当の内面などというものは、映像では表現し得ないだろうと。
ただし、先ほどの話に出たような「傷ついた人間が再生するということは、これほど時間がかかってこれほど大変なのだ」という感覚は、少なくとも3時間37分観終わった後の座席に座ったおしりの痛みとしては、覚えていることはできるだろうと思うわけです(笑)。ちょっと変な言い方なんですが、そのぐらいのことでなければ何か伝えるということは難しいなという気がしてたんですね。
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Q |
上映時間は企画の最初の段階から長くなりそうだったのでしょうか? |
A |
僕は常に映画というのは、その内容は別としてともあれ時間が肉体に与える影響だと思っている。脳みそで考えることっていうことは観終わった後に起こることであって、脳みその方は僕は取り合えずおいておくんです。時間というのがどこに行き当たるかというと、もちろん目とか耳とか含めるわけですが、結局は肉体なんですよ。で、何が描かれていたとかテーマとかを考えるのは脳みそ。だから身体的なものと思考的なものが一緒になって、初めて何かを感じることができるんだと思うんです。その時に僕が観客に対してまず感じて欲しいことは、「これほど大変なことなのか」という感覚。そしてそれは座ったおしりの痛みから始めていきたいなっていう気持ちは、最初からありました。
シナリオどおりにつないでいったら、最初の編集バージョンは4時間半あったんですよ。それを、ちょっとこれはいくらなんでも長過ぎないって話から、少し整理しようということになって(笑)。僕自身にも長過ぎるという感覚もあったんで、僕を含めてプロデューサー、スタッフの意見を交えて今の尺に落ち着いたんです。
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Q |
主演の役所広司さんとプロデューサーの仙頭武則さんについて聞かせてください。 |
A |
役所さんは人から紹介されたことがあって、その後に何となく「やりましょう」みたいな話になって(笑)。僕自身は役所さんで何かやれるかもって、わくわくした気持ちでしたね。現場では僕が言うことは何もありませんでした。仙頭さんは、『Helpless』以来4年ぶりだったんですが、改めて「仲良しだな、俺達は」って思いました(笑)。映画作りにおいてはって意味ですけど、本当にケンカすることもないし、不満を持つところもあんまりない。この映画は本当に偶然に上手くいってることが、自分の力の及ばぬところでそういうことがたくさんあって、奇跡的な映画だという気がしています。なんか僕はただ撮らされたに過ぎないというか(笑)。 |
Q |
今後はどのようなテーマを描いていこうと考えていますか? |
A |
あまり同じことをやりたくないタイプの人間なので、今回のこれはこれ、と思っています。ネタがある限り、違うことを毎回やって行きたいですね。ネタがなくなったら、また最初からネタをやり直せばいいかなって(笑)。『Helpless』を作ったときには、最後に生き残ったあの秋彦君が70歳になるまでこのネタは続けられるぞってっいう思いが僕の中にあって、後5年ぐらいの間に3本なり4本なりは作れるなって思ってますけど。
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