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映画の中のキャラクターと演じているご本人とは、全く正反対のタイプであると聞きました。役作りについてと自分の実際の性格について教えてください。 |
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イ・ソンジェ:今回の作品を撮りながら、僕自身すごくカタルシスを感じたよ。パトカーを追いかけて行ったり、パトカーの下にもぐり込んだり、ガソリンスタンドの窓を思いっきり割ったりなんていうことは、普段は滅多にできないことだからね。やっぱり人間というのはみんな逸脱の心理、今の現実から逸脱したい、離れてみたいという気持ちがどこかにあると思うんだ。僕もそういった心理を持っているので、それはもちろん小さな気持ちなんだけど、この映画ではそれを拡大して演じたという感じかな。
実際の僕の性格は、映画の中のキャラクターとは違う。非常に温和で、乱暴なところは全くないよ(笑)。役作りにおいては、ノーマークという人物になりきろうと、自分自身思い込むようにした。チンピラっぽい人や不良っぽい人たちと会って話をしたりもしたよ。僕を含めて4人とも2~3ヶ月はそういった役作りをしていったので、自然に映画の中のキャラクターに近づけたんじゃないかな。
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カン・ソンジン:僕にとってこの作品は、これまでの自分のイメージを完全に変えられる一つのきっかけになったと思う。どちらかというとこれまでは、イタズラッ子っぽい、茶目っ気のあるコミカルな役が僕は多かった。ところがタンタラという役は、非常にヒステリーなところがあって性格も荒っぽく、これまでとは違ったキャラクター作りが必要だった。それについては、監督が大分手助けをしてくれたよ。僕がヒステリックになったりするように、あえて僕を怒らせるように仕向けて悪口を言ったり、罵倒するような言葉を言ったりしてくれたんだ(笑)。
実際の僕の性格は、もちろん映画の中とは全然違うよ。もし同じだったら、今ごろは俳優なんかやってないだろうし、監獄にでも入ってるんじゃないかな(笑)。さっき彼(イ・ソンジェ)が言っていたように、僕も周りにいるそういったタイプの人たちと実際に話をしたりした。また、タンタラは音楽をやっているという設定だったので、ソウルにある大学の前でアンダーグラウンドのロックをやっている人たちが演奏している場所があるんだけど、そこへ行って彼らの生活態度を観察したりしたよ。
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キム・サンジン(以下監督):ユ・ジテ以外は、映画の中のキャラクターと本人の性格が正反対だったので、役作りには苦労したよ。ユ・ジテは比較的映画の中に出てくるキャラクターと似たところがあった。
僕は1998年の『トゥ・カップス3』という作品で失敗していたので、今回はとてもシナリオに気を遣い、長い時間をかけて細かくシナリオを詰めていった。僕は元々、典型的な商業映画を作るタイプの監督なので、キャラクターを考える時にも必ずリアルなものにするということを心がけているんだ。「こういう人いるよね」と観客が受け止めてくれるような人、そしてそのキャラクーに近いスターを使いたいというのが僕の当初の願いだった。ところが、実際には全然違ったわけで(笑)。
というのも、今でこそ彼ら4人はスターだけど、当時はここまでのスターではなかったからギャランティもすごく安かったんだよね(笑)。僕はキャスティングをする時には、まず希望の俳優にABCというランクを付けていくんだ。AがダメだったらB、BがダメだったらCといった具合にしていくんだけど、イ・ソンジェの場合ははっきり言ってZぐらいだったよ(笑)。本当に彼のことは、全然頭になかったんだ。 |
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カン・ソンジン:(タバコを取り出し、通訳さんに向かって)なんで僕がタバコを吸わなきゃならないのか、ちゃんと説明してよね(笑)。 |
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監督:そんな風に、たまたまなんだけど後にスターになる人たちを起用することになった。だけど、そのおかげでキャラクターを再創造する、新しくクリエイトすることができたので逆に良かったんじゃないかな。カン・ソンジンは普段はとてもユーモアがあって楽しい人物だよ。映画の中では常に怒ったりイライラしてたけどね。演じる方はそれで大変なことも多かったと思うけど、やりがいもあったんじゃないかな。なんだか長くなっちゃったから、次からはもっと短く話しますね(笑)。 |
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この映画は、特にラスト・シーンがアメリカン・ニューシネマを彷彿とさせるものがあります。どうしてあのようなラスト・シーンにしたのですか? |
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監督:映画というのは、ラスト・シーンがとても大事だと思う。だから僕は常にさまざまなアイディアを考えるわけで、今回はこういった結末になった。この作品が、韓国映画における“ニューシネマ”の範疇にあると考えてもらって間違いはないと思う。
これまでの韓国映画をみると、メロドラマにしても歴史ドラマにしても感情面においてずっと同じような作られ方がしてきていて、あまり変わらなかった。ところが、1998~1999年にかけて、急激にそういった面に変化が見られるようになった。ちょうど『シュリ』が作られた頃だね。そのすぐ後にこの映画はできたんだけど、この時期に本当にいろいろなモチーフが映画の中に取り入れられるようになったんだ。凝り固まった規定の概念ではなく、新しい想像力によって新しい作り方がされるようになった。結末も通り一遍のものではなく、このモチーフだったらこうしようとか、映画の中で問題が提起された場合、その解決方法も映画によって異なるようになってきたんだよ。
今回のこの映画のラスト・シーンについては、沢山の人からいろんなことを言われたよ。どうしてそんなラストにしたのかって。だけど、この映画を撮りながらぼくが最初から最後まで貫こうとしたのは、この作品を通して何かを覆そう、何かを変えようということ。新しい社会に彼ら4人には旅立って行って欲しいという思いがあったので、そのような考えが反映されているラストにしたんだ。ああ、また長くなっちゃったね(笑)。
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実際の撮影時に映画の中と同じように、出演者の皆さんが暴走族とモメたことがあったそうですね? |
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イ・ソンジェ:この映画は夜に起こった出来事を描いているので、撮影は夜のうちに撮り終えなければいけなかった。そもそも映画の撮影っていうのは、さまざまな妨害要素が発生するものなんだよ。この映画でも、よくロケ現場の近くを暴走族がぐるぐる走り回ったりしてたんだ。本当なら彼らがどこかに行くまで待ってれば良かったんだけど、こっちとしては早く撮影をしなければいけなかった。彼らが走っている限り、同時録音もできないだろう? で、致し方なく、えーと誰が投げたんだったかな? とにかく誰かがボールを投げて追い返したというか、彼らにお引取り願ったことはあったよ。 |
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この映画の中で子供たちが大人たちに対して反旗を翻すというか、批判的な行動を取っています。監督自身はそういった大人社会に対してどのように考えていますか?
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監督:韓国では今の大人社会を“規制世代”と呼ぶんだ。彼らは、よくダメな子供を見ると「先が思いやられるよ」って本人に向かって言うんだよ。でも、私の経験から言うと高校生っていうのは髪も伸ばしてみたいしタバコも吸ってみたい、やりたいことがたくさんあるんだ。ところがそういうことを実際にやっている子は、大人たちに「お前は将来ロクな職業に就けない」って言われる。だけど僕の周りでそういう風に言われてた友達たちは、今ではみんなしっかり、ちゃんと生きてるんだよ。経営者になったり、結婚して子供の父親になったりね。僕はそのことを映画の中でしっかりと描いてみせたかった。どんな子供でも、彼らなりに一生懸命生きてるんだってことをね。 |
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(一度監督の話が切れて通訳が終わったところで、また監督が話を始めると、イ・ソンジェとカン・ソンジンの二人は「まだ話すの!?」という感じで顔を見合わせて笑った) |
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▲FLiX本誌を読むイ・ソンジェ |
▲FLiXムービーサイト(プリント・アウト)を見るカン・ソンジン
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監督:先ほど僕は大人たちは子供たちに対して、「ロクな職業に就けないよ」っていう話をしたよね。その言葉の裏には、実は「医者になって欲しい、大企業の重役になって欲しい」という意味があるんだ。そういう考えを持っている大人ほど、そういうことをよく言うんだよ。つまり、そういった立派な職業に就かない子供はダメだと大人は決め付けている。だから、それ以外の職業に就くことを夢見る子供たちは、そういう風に見られるとその夢を捨てなければいけない状況に追い込まれてしまうんだ。大人の考えに合わせようとしてね。
この映画の中の4人はそれが出来なかった、なかなか夢を捨てきれなかったがために心に傷を負ってしまった。だけどもう一度夢を探すということは、彼らにとってはそんなに大変なことじゃないんだと僕は思うんだ。 |
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韓国映画が日本でも沢山公開されるようになりました。そういう状況について、どう思いますか? |
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監督:正直な話をしましょうか、それとも違った話をした方がいいかな?(笑)。
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カン・ソンジン:いずれにしても短くね(笑)。 |
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監督:率直なところを言うと、きちんと採算が取れる、お金を儲けることができるから日本でも韓国映画を公開してもらえる状況になったんじゃないかな。文化的なことに対して僕はそれほど深い意識を持ってないけど、一般の人たちは韓国映画と日本映画の交流を通して、さらに文化の交流を活発にしようと考えてるんだと思う。それによって、両国がお互いに協力し合うこともできるし競争相手にもなり得る。その辺りは私よりもっと年輩の方々が考えていることで、私自身はあまり考えていない。私としては映画を一生懸命作って、配給会社の方がそれを観て「これは採算が取れる、お金を儲けることができる」と判断してもらい、日本でどんどん公開していってもらいたいと思うよ。
極端な話をしてしまったけれど、これまでの韓国映画は商業的になかなか成り立たない部分があった。それがようやくここにきて、商業ベースに乗れる作品が作られるようになってきたんだと思う。
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