まほの[子連れ]ハリウッドへの道44
不幸のドン底から幸せに気付いた瞬間!(今年もよろしくお願いします) |
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去年の今頃私はいったい何をしていたのかしら。たとえばクリスマス。うーん。なにかしら。はっ。そうだ。私、子供産んでたんだわ。 ふと思い出して、産んで一週間で使用が停止されてる育児日誌とやらを開いてみた。 12月24日 今日も、乳首が痛い。カムイの吸引力はひどい。ねむい。つらい。沢木耕太郎が憎い。あ、今日はイブだ。 何ちゅう、味も素っ気もねーとお思いでしょ。 私は産んだあと、いきなり一日で育児ブルーになった。だってさ、あかちんはふにゃふにゃだしよ。尾てい骨は痛いしさ。吸われると乳が痛いしさ。どうすりゃいいかわかんねーんだもん! うんちとか緑ですッげーだもん!!ってな感じで。入院中はひそかに脱出計画を練ったほど毎日、不安と恐怖で人知れずおいおい泣いておった日々なのであります。 いや。ってゆーのも、私の入院してた病院って超厳しくって、24時間ずーっと、ベイべーと一緒。(普通は、結構夜中とかは預かってもらえたりする)。産んだばっかの体には、つらいっんだからあ。 それにしても何で、沢木耕太郎が憎かったか…。 あれは、イブの夜中。世間ではラブラブカップルがイヤンバカンなことをしちゃってる丑三つ時。当時20歳の、うら若き私は生まれたてのカムイを抱っこして、虚ろな目をしてラジオを聴いておりました。彼が生まれて、5日目の夜。母になった実感すらまだ湧かず、疲れと寝不足で私はふらふら。一瞬、意識を失いかけてははっと我に返るっていうのを繰り返してた。 はあ、イブだってのに一体わたしゃ何やってんだか。 そんなとき、授乳室でかかっていたのが、どっかのローカルなラジオ。J-WAVEとかなら、まだクリスマスソングとか流れてそうなもののそのラジオ番組では「深夜特急」で有名な作家の沢木耕太郎氏が、自らの放浪の旅をとつとつと語っていた。そのトーンは常にBフラットを保ち、私の眠気を増長。ううう。なんだこの番組は。 「…でですね、そこに若い白人の青年がおりまして、皆で写真を撮っているのに彼だけ、絶対に写ろうとしないんですね。彼は、心の中にどんな問題を抱えているのでしょう…。フフフフ」そりゃ、写真が嫌いなだけだって。 なんて、彼の話に軽く突っ込みを入れながら必死にそちらに集中するのだけど、だめ。もう聞けば聞くほどこっくりこっくり。最終的には腕の中にいるカムイまでポトリと落としそうになっちまう。 ああああ。眠いいい。沢木め。そんな優しい語り口だったなんて知らなかったぞ! いつしか、私のストレスはすべて沢木氏に向けられていった。もう、旅はいいからなんか音楽かけろ。なーんて思っていたら、一体どうしたことか、沢木っちが 「それじゃあ、今日はクリスマスなので、この曲を」。 そうしてかかったのが、あのころおおはやりだった「TSUNAMI」。 普段は大してサザンを聞かない私だったのに、なぜだか涙が止まらなくなった。確かに彼氏と一緒には過ごしてないけど、私は世界でいっちゃん大事なかむちゃんと一緒に、クリスマスを過ごしてんじゃん。 そんな簡単なことに、気づかなかったなんて私ったらなんてばかたれなんだあー。ううう。 …そんな新鮮だった気持ちも一年前。 先日、彼もようやく一歳の誕生日を迎えました。しかしながら、その夜自分が胃腸炎になっちまい再びカムイを産んだあの病院に救急車にて舞い戻ることになろうとは全く予測していなかったわ。 昨年も、何かとてんやわんやな一年でしたがこうして連載を続けていられるのは皆さんのおかげです。今年は、もっともっとハッピーな年になりますように。テロや戦争、悲しいことが起こりませんよう祈りつつ…。
次週に続く
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