Q 初めての監督作品が上映された時の気分はいかがでしたか?
イーサン・ホーク(以下H) カンヌ国際映画祭での上映だったが、自分が俳優として出演している映画が上映される時との違いは、本当に微妙なものだよ。監督作品だと、自分がバカに思われるんじゃないかという恐怖がある。出演している時は、自分がハンサムじゃないと思われるんじゃないかと心配になるんだ(笑)。
Q この作品はもともとは戯曲だったそうですね。
H 脚本は、オリジナルの75%ぐらい変えてあるよ。そもそもの戯曲は、同じキャラクターが違う場面には出てこない。完結した小劇が、つながっているという感じなんだ。僕がこの戯曲にいちばん惹かれた点は、言葉の使い方、または詩の朗読が入ってることだ。通常の映画は日常会話だけで、詩が入っていたりすることはないだろう?ただ、基本的に僕は映画を作る場合は、あくまでもシネマティックなものを目指していて、シアトリカルな映画を作ろうという気は全くないよ。
Q 初監督に当たって、演出面で影響を受けた監督はいますか?
H やっぱり、これまで一緒に仕事をした監督全員の影響を受けていると思う。でも強いて言えば、『いまを生きる』のピーター・ウィアーにはとても強く影響を受けている。彼と一緒に仕事をした時、僕はとても若かったから印象が強かったのかもしれないね。あとは、『ウェイキング・ライフ』(今秋日本公開予定)のリチャード・リンクレイターや、誰もがそうであるようにフランスのニュー・ウェイブの監督にも影響を受けているよ。
Q 撮影で大変だったことは?
H 撮影は3週間だったが、編集には7ヵ月かけたんだ。編集の段階では、まず映画のリズムを的確に捉えることに集中した。その際に、沢山のキャラクターたちを作品に織り込んでいくという作業は、なかなか大変だったね。
Q チェルシー・ホテルについて教えてください。
H 建物自体は100年ぐらい前、当初はアーティストのためのアパートとして建てられた。新築時は、マンハッタンでいちばん高いビルだったんだ。マンハッタンの歴史がそこにあると言っても過言ではないと思う。映画や音楽、演劇、あらゆるアート・シーンの人々がこのホテルに出入りしていた。マーク・トゥウェインやトーマス・ウルフといった作家から女優のベティ・デイヴィスなど、本当にこの100年間、ニューヨークで活動をしたアーティストが、なんらかの形でチェルシー・ホテルと関係を結んでいるんだ。そういった人々を引き寄せる磁石のようなものが、このホテルにあると思う。
Q 本作の出演者は、プライベートでも親しい人が多いですね。
H 年を重ねて自分自身に家庭ができたりすると、昔よりも友達と一緒に過ごしにくくなる。そういった意味で、今の僕にとって友人と交流を深めるいい機会は、仕事を一緒にすることなんだ。
ロバート・ショーン・レナードとは、『いまを生きる』からの付き合いだから、今僕が付き合っている中でもいちばん古くて親しい友人だね。彼はミュージシャンとしても優れた才能を持っているので、今回は彼のそういった部分を出せたことを嬉しく思っているよ。
ヴィンセント・ドノフリオは以前に一度共演しているんだが、あまりいい映画ではなくて、僕たちも端役だったから世間にはあまり知られていないんだよ(笑)。それがきっかけで親しくなったんだけど、ヴィンセントっていうと、演じる役がタフガイだったりクレイジーな役だったりすることが多い。だけど、実際はテディ・ベアみたいなすごく優しい男なんだよ。だから今回は彼に近い役を演じてもらった。『メン・イン・ブラック』での彼の面白いシーンを覚えてるかい? あのシーンで彼は彼なりに、ジョン・ヒューストンの真似をしていたらしいよ(笑)。それから、スティーヴ・ザーンとも長年の付き合いだし、ウマ・サーマンは僕の妻だし、ナターシャ・リチャードソンは昔から好きな女優で、ウマとも大親友なんだ。そんな感じで僕がよく知る、そして心から愛している友人たちを起用したわけなんだけど、それと同時に友人の中でもチェルシー・ホテルに泊まりそうな人とそうでない人がいる。今回は、あえて泊まりそうな人を選んだんだ。
Q 登場人物はみんなとても孤独です。その姿は、あなた自身のアーティストとして
の孤独感と重なるものがあるんでしょうか?
H 僕は、この映画を「孤独感のポートレート」と考えているんだ。この孤独感はアーティストだけのものでは全くないが、僕は以前から思っていることがあって、それはアーティストを取り巻く皮肉、アイロニーについてだ。そもそもアーティストというのは、自己表現をしたがっている、自分の意見や言葉をみんなに聞いて欲しい、理解して欲しくて仕方がないのに、他人の意見を聞くのがとても苦手な人たちなんだ。そこに大いなる矛盾が存在すると思う。そういった彼らが、ホテルという場所、隣同士にいながら相手のことを全く知らないというシチュエーションが、すごく面白いんだ。自分の意見を聞いて欲しくて仕方がない人たちが隣同士にいながら、その隣人との接点が全くない、そこに孤独感がある。
この映画の中で、ロバート・ショーン・レナードが「ロンリー1」という歌を歌うんだけど、僕はその歌にとても象徴性があると考えている。これはひとりのファンの歌で、憧れのアーティストがいて、彼のようになりたくて仕方がないんだけど、そのアーティストが孤独感について歌を歌っている。そこでファンは自分とアーティストとのギャップを感じてしまって、とても寂しいというような内容なんだ。この映画に出てくるキャラクターはみんな、アーティストというよりは芸術の大いなるファンであり、そういう人たちになりたくて仕方がない人間たちだと僕は考えている。
Q 本作ではジャズが多く使用されていますが、映画自体も俳優たちのアンサンブルによって奏でられる1本のジャズのように感じられます。
H この映画を撮るに当たって、最初から主人公はいないと考えていた。主人公がいるとすれば、それはホテル自体であって、それぞれのキャラクターをまとめているのもこのホテルなんだ。そして、音楽はこのホテルの声であるとイメージした。撮影を始める数ヵ月前から、このスコアを書く作曲家ジェフ・トゥイーディーと入念に打ち合わせを重ねた。彼にはスコアだけでなく、キャラクターが劇中で歌っている挿入歌も全部書いてもらったし、ジミー・スコットが歌っているシーンでは、彼自身が後ろで演奏もしてくれているんだ。僕はスコアと実際の挿入歌が、全部ひとつの流れを持っているものにしたかった。
Q チェルシー・ホテルには、そこに住んでいたアーティストたちのゴーストが存在すると考えますか?
H 僕がチェルシー・ホテルに興味を抱くひとつの理由として、あのホテルに一歩足を踏み入れて時を過ごすと、どの時代に自分が生きているかわからなくなってしまうという点がある。あたかも50年代や、もっと昔に生きているような気がしてしまうんだ。最近の建物はみんな似たり寄ったりだけど、あのホテルは改装をほとんどしていないので、そこにはとても古い空気が流れているような気がする。本当に独特の時が流れているんだ。ゴーストがいるかどうかというのは別問題だけど、「場所」にはそこで生きた人たちのエネルギーとか思いが乗り移ると思う。そういった意味では、チェルシー・ホテルでずっと生きてきた人たちは成功した人もいればどん底を生きた人もいて、そういったさまざまな想いが、あの建物には込められていると思う。
Q あなた自身はとてもボヘミアン的だと思われますが、家庭とそういった志向を両立するのは難しくはないですか?
H ボヘミアン的な人生を歩みながら、いい父親になるというのはなかなか難しいことだ。以前にウマにチェルシー・ホテルに引っ越して、そこで子供たちを育てようって言ったこともあるんだけど、彼女は聞いてもくれなかったね(笑)。ただ、年を重ねるにつれて、自分がアーティスティックな人生を生きるために必要なものっていうのは、どんどん変わっていくものなんだ。僕がこの世界に入った当初は、自分が家庭を持つなんてことは考えてなかったし、実際はアーティスティックなコミュニティの中で、そこにいる人々を家族の代わりと考えて生きて行こうと思っていた。だがその考えは、ウマと出会って一変したんだ。そうやって、どんどん変わっていくものなんだと思うよ。
(今 祥枝)
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