アマルリック 『ジャンヌと楽しい仲間たち』のことだと思う。彼女とミュージカルを演じたのは、その作品のためのパイロットフィルムだったんだけど、残念ながら実際はそれを撮影することができなかったんだ。今回の映画の冒頭部分は、ちょっとおふざけのようなものだよね。パロディ的でセリフもヘンだし(笑)。最初に観客に笑ってもらいたいという、監督のねらいだと思う。2度目は、愛の告白をするために歌うよね。あれは僕が演じるボリスにとっては、ある種のリスクを冒すシーンだ。中世の時代のスペインかイタリアに迷いこんだような、ギターを持っていきなり好きな人のバルコニーの下で愛を歌うような感じだからね。これは監督が言ってたんだけど、いわゆる声帯、歌うことのオルガズムを見せるという表現なんだ。
Q 歌うことにプレッシャーは?
アマルリック ストーリーの一部だったので、あまりそこだけを切り離して意識はしなかった。後半でピレネー山奥に生息するライチョウも、歌うのは愛を告白する時期だという説明があるよね。そういう状態になる時ほど、生き物として弱くもなるし魅力的にもなるしセクシーにもなる。ラストなんか、ふたりは裸になって歌っていてまさにセクシーなシーンだよね。まるで人間の弱さについて歌っているような……。だからこそ、我々の生の歌である必要があったんだ。俳優としての自分自身の歌の才能よりも、ボリス自身が歌うことによって、「ああ、ボリスは大丈夫だろうか?」と観客がひやひやしながら観ることが重要なのさ(笑)。
Q 確かにボリスの歌はどこかあぶなっかしくて、ひやひやしました(笑)。
アマルリック 特に最初なんかアカペラで歌うよね。アカペラって、初めて愛の告白をするような緊張感があるんだ(笑)。それから最後の歌だけど、あれはプレイバックじゃなくて実録だったんだよ! 実際にあの場で、しかも裸になった状態で歌うっていう(笑)。
Q 聞いているとやっぱりプレッシャーを感じそうですが。
アマルリック いいや、実は言ってるほどでもないんだ(笑)。すごくよかったのは、物語が展開していくのと同じ順番で撮影していったこと。だから全員が盛り上がって、いい状態であのシーンの撮影に入っていけたんだ。
Q この映画はいろいろな解釈ができるところが面白いのですが、あなたはこの作品で描かれているテーマは何だと思いますか?
アマルリック 結局、これは人を愛することが好きな人たちの話だと思う。もしあまり愛情がこだわりを持っていなかったら、最後にふたりが再会するっていう展開はしっくりこないはずだよ。最後に再会したふたりは、他人同士のふりをして、まるでネコとねずみのおっかけっこみたいな演技をするよね。あのシークエンスは、もしこのロープを投げてもらえなかったらどうなるか、というぐらいハラハラさせられるものだと思う。
Q あなたは俳優としてこの業界でキャリアを出発しましたが、その後はルイ・マル監督の『さよなら子供たち』にスタッフで参加するなど、製作する方に積極的に関わっています。最初から監督を目指していたのですか?
アマルリック その通り。最初から作る方に回りたかった。僕はいま、演技をすることがすごく楽しいんだ。それは演技をすることが不可欠だ、絶対にこの役を演じたいと思う時しか、仕事を引き受けなくていいからなんだ。そう思えるのは、自分は本当は監督だっていう、俳優とは別のきちんとした世界を持っているからだ。演じる役も好きになって、気に入った監督としか仕事をしないから、監督も僕のことを気に入ってくれてまた使ってくれるしね(笑)。専業俳優の場合、本人以外の他人の欲求にどうしても左右されてしまう。だけど、僕の場合は本当に自分が求めた時しか演技をしないから、専業俳優の人たちはほんとに大変だと思うよ!
Q 監督業はどういったスタンスでやっているのでしょう?
アマルリック そうだな。監督は自分にとって楽しみではなく、必要なこと、死活問題ぐらいな気持ちでやっている。そうなってくると、じゃあ、どうして映画を作るんだろうという問題になってくるね。文学みたいなもので、ほかのありとあらゆる芸術のスタイルと同じだと思うんだけど、『ワールド・イズ・ノット・イナフ』じゃないけれど「人生はそれだけでは足りない」ということなんじゃないかな。
Q カンヌ国際映画祭で上映された、最新の監督作について教えてください。
アマルリック テレビからの注文で製作した映画なんだ。僕は依頼を受けるというのは、とてもステキなことだと思っている。「男と女」という、いろんなこともできるんだけど、何も意味をなさないかもしれないっていう、非常に難しい、インポッシブルなテーマだった。だけど、僕は喜んでその映画の中に溺れて作ったよ!
Q あなたにとって監督をするというのは、何か描きたいテーマが内から湧き上がってくるからですか? そういった欲求を表現せずにはいられないのでしょうか?
アマルリック 映画を作るっていうのは何なんだろうなぁ。自分でもよくわからないんだけど、例えば時として、ただ単に好きな女性を撮影してみたいという欲求からでもあるし、ある時は確かに内部から湧き上がってくる欲求の場合もある。ものすごく生きていたいという、そういう欲求から描きたいイメージやテーマが湧いてくるんじゃないかな。映画って何だろうって考えていくと、そこにたどり着くような気がする。そういう状態の時って、感性がすべて敏感になっていくのを感じるんだ。
「映画は実際の人生よりも美しい」という、フランソワ・トリュフォーの言葉がある。『運命のつくり方』の中でもボリスの相手役のエレーヌが、ラストで涙を流しながらそう言うセリフがあるから、やっぱり映画は実際の人生よりも美しいんだろうな(笑)。だけど、僕はそうは思っていないんだ。僕の場合、映画に関わるようになってから実際の人生を強く、よりはっきりと意識して生きられるようになったと思うよ。
Q トリュフォーには影響を受けましたか?
アマルリック トリュフォーはみんな好きだよね! 僕の場合は、好きになって、次にイライラして、でもまた戻ってきて、自分の人生のいろいろな段階でもう一回観たくなるっていう感じ。それが映画のすごさじゃないのかな。20歳で観た時と、40歳でまたもう一回観直すと印象が全然違うんだよ。『隣の女』なんかまさにそうだね。僕が初めて観た時は16歳ぐらいだったけど、きっと若すぎたんだと思う。最近観た時は、全然違った印象を持ったよ。それまでにどんな人生を生きてきたかによって、同じ映画でも全然違って見える。それが映画の持つ真の美しさなんだ。
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