これは失恋のショックで恋人に関する記憶消去を依頼してしまった「特別な」男の話ではありません。
誰もがこれだけは忘れたくないと思う大事な記憶を現在進行形で忘却しています。
大事な人の顔、一緒にいた場所、日を追うごとにどんどん輪郭がぼやけていくものです。
そんな脳内の様子がこの映画では巧妙に映像化されています。
ジョエルが少しずつ彼女の姿を無くしていき、良い記憶を消さないでと神に祈るように頼む姿は誰しもに起きている葛藤のよう。
SF仕立てですがストーリーはシンプル。
映画では男女が結ばれたらめでたしめでたし、その後のことに触れるのは野暮となってますがそんな触れちゃいけない部分を描いていて、そのブラックな視点はさすがミシェル・ゴンドリー監督とチャリー・カウフマン(アカデミー脚本賞受賞)のコンビネーション。
異性と暮らした経験がある人、恋愛の成れの果てを知ってる人ならばジョエル(ジム・キャリー)とクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)が風呂場の毛のことでもめたり、レストランでつまらなさそうに食事する姿に共感することも多いはず。
ただこれは恋愛映画ではなく、孤独と向き合い自分の心を探すお話だと思いました。
何度も登場するのは本物のクレメンタインではなくジョエルの心の中の彼女。
彼はずっと自分と会話しているのです。
ゴンドリー監督は、記憶は事実の記録ではなく事実に対する個人の解釈であると言っています。
メアリーがたびたび引用する言葉が印象的でした。
「Blessed are the forgetful, for they get the better even of their
blunders」
監督は出演者たちに素の自分でいることを要求したため皆リラックスしてのびのび演技しています。
いつもは美少年なイライジャが不気味な笑いをするパンティ泥棒で特殊メイクのイメージが強いジムが女性の扱いに慣れてないシャイな男の役。
パトリックがジョエルのマネをしてクレメンタインにせまる姿は背丈の違いもあって情けなさ全開です。
そんなわけで今回のジム・キャリーは顔筋使ってないオフの日のジム。
台詞に取り入れるために過去の恋愛を語らせられたそうです。
クレメンタインとの会話やうんざりした表情、過去の思いを告白するシーンに演技以上のせつないものを感じたのはそのせいでしょうか?
彼はこの映画を「これは僕が愛した人たちへのラブレター」と言ってますがこんなラブレターがもらえるなら恋が終わるのも悪くないですね。
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