Q:ニック、この映画に携わる前に、映画製作にたずさわる道標とも言えるべき著書『Breaking in: How 20 film director got their start』(今アメリカ映画界の一線で活躍する監督達の処女作品に至るまでの経緯を語ってもらったインタビュ-)を書かれていますよね。どうやって監督達のインタビューを取ったんですか?
(ニック・ジァレキ)N.Y.U(ニューヨーク大学、世界有数の映画学部がある)を卒業した後、映画監督になりたかったのですが、とうぜんすぐには映画関係の会社に採用されなかったんです。しかしあるアイデアが思い浮かび、本を書こうと決意したんだけど、映画をビジネスにしている知人がいないうえ、僕の家族もそのころはまだ、映画産業に関わっていなかったんです。(ちなみに彼の兄弟の一人、アンドリュー・ジュレキは映画『Capturing the Friedmans』、もう一人のユージン・ジュレキは、映画『Why wefight』でその後、それぞれサンダンス映画祭で賞を受賞している類い稀な家族である)。
そこで彼の撮影している『When I will be loved』のセットを訪れ、それがきっかけで、DVDの特典で付いてくる5分位のメイキングを作る事になったんです。その制作時中に、この素晴らしい教養と少し精神錯乱状態で狂気じみたような性格の両極端な2面性を持つ彼に引かれていき、そんな彼の人生を交錯させた草稿みたいなものが頭の中で出来上がったんです。それが長編に至る経緯なんだけど、その制作に達するまでに15回くらい電話してようやく彼に繋がったんだけどね。
(ジェームズ・トバック)私自身、常に一般客の一人として他の芸術家から影響受けていて、美意識が確立している訳じゃないけど、本当の映画人になったと感じた瞬間は、映画『マッド・フィンガーズ』でハーヴェイ・カイテルがティサ・ファローの部屋を訪れたシーンを撮ったときです。7分間のダリー・ショット(レールを使った移動撮影)でコストがかかるのと時間の問題で撮影監督、脚本家、プロダクション・マネージャーに大反対されたんだ。始めは礼儀正しく彼らの意見も聞いたが、結局最後に私が、「このセット内でのネガティブな意見は今後一切聞き入れない」と主張し、「自分が何をやりたいか分かっている」と告げたんだ。その後、モニターのリプレイを見て、ハーヴェイ・カイテルの前で、『I'm a totalMotherfucker!』と高らかに吠えてやったよ!これからも製作する映画内で批判や反対する連中もいるだろうが、それはあんた達の思い違いだと意思表示していくつもりだ。