『ありがとう』特集
阪神・淡路大震災から10年以上の時を経ても、今なお、本作の冒頭で描かれる悲痛な震災現場の映像には胸を締め付けられる。たくさんの尊い命が奪われた大災害を風化させてはならない。あの日、あの場所で、何が起きていたのか。改めて検証してみました。
1995年1月17日、午前5時46分。それは、前触れもなく襲ってきた。淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、深さ14kmを震源とするマグニチュード7.2、震度7の地震が阪神・淡路地域を直撃した。横転した高速道路、がれきと化した家屋、真っ黒な煙に包まれた空……。映画『ありがとう』は、戦後史上最大の惨事から幕を開ける。主人公・古市忠夫は消防団ボランティアとして救助活動に従事するが、親しかった友人を亡くし、被災者を見捨てなければならない状況にも遭遇する。
実際に、阪神・淡路大震災では6400人を越える尊い生命が奪われ、負傷者は43000人以上にのぼった。電気、ガス、水道などのライフラインが遮断され、あらゆる交通網は断絶した。住んでいた家が、働く場所が、今までの生活のすべてが瞬く間に消え去った。
おしゃれな港町・神戸の変わり果てた姿に日本中が、いや、世界中ががくぜんとした。建築物の倒壊や焼失を含む被災地の被害総額は、約9兆9268億円(1995年4月推計)と算出されている。
未曾有の大災害は、全国に衝撃を与えた。何か少しでも、自分にできることを……。突然の悲劇は人の心を動かし、支援の輪が広がった。映画『ありがとう』の中でも北海道から駆けつけたボランティアの青年が登場するが、阪神淡路大震災を語る上で国内外の支援と、ボランティア活動の成果は欠かせない。 |
映画『ありがとう』の中に、地域再開発を討議する住民集会の場面がある。先祖代々の土地を手放したくない反対派と、区画整理に賛成する人々が、激しい討論を重ねる。大切な土地を失いたくない。だが、古市忠夫の「災害に強い町を作らなあかんねん」という説得に、最後には反対派の住民も再開発を受け入れる。もう二度と、あのような惨事を起こさずに済むようにと……。
災害に強い町とは、どのような町なのでしょうか? 国土交通省によると、阪神淡路大震災では地震に伴い発生した火災により、古い木造家屋が密集した市街地を中心に約66ヘクタールを焼失した。地震発生が早朝で火気を多く使用する時間帯ではなかったこと、風速も通常の半分程度であったため、火災による被害は想定されるものとしては最小であったと考えられる。それにもかかわらず、人々の消火活動だけでは火災を防ぎ切れなかった。大規模火災の焼け止まり要因を整理すると、道路・鉄道等で焼け止まったのが4割、耐火建築物によるものが3割、空地等が2割であり、消防活動による焼け止まりは約1割であった。
つまり、密集する住宅を整備し、公園や広場を効果的に配置すれば、大規模火災が起きてしまっても、そこで火を食い止めることができる。消防車が容易に通れる幅広い道、耐火耐震構造の建築物を増やすことも大切だ。これらを整えることで、災害に負けない町が生まれる。「災害に強い町づくり」は、阪神・淡路大震災に遭遇した人々すべての悲願なのだ。
阪神・淡路大震災を「大変だったんだなぁ~」などと、他人事としてとらえてはならない。天災は、いつどこで起こるか、分からないのだから。今すぐに準備できることは、いくつでもある。たとえば、いざというときの連絡方法や避難場所を家族で相談しておくこと。交通が遮断されたときに備えて、学校や会社から徒歩で帰宅できるルートを頭に入れておくこと。非常持ち出し袋には、救援物資が届くまでのタイムラグも考えて3日分の水と食糧を用意しておくと良い。また、災害時には正確な情報の入手が命綱となる。携帯ラジオの準備(乾電池の予備も!)を忘れずに。懐中電灯、衣類、タオル、雨具、医薬品など、欲張って身動きできなくなっては元も子もないが、必要最小限の物資をコンパクトにまとめておくことが重要だ。また、家族の写真も持っておこう。もちろん、見て楽しむためではない。避難する途中ではぐれてしまった場合など、行方を尋ねるときに大きな手がかりとなる。 |