『ロッキー・ザ・ファイナル』シルヴェスター・スタローン 単独インタビュー
どんなにバカにされようが、“ロッキー”に挑戦したかった
取材・文・写真:シネマトゥデイ
31年の間“ロッキー”という名前とともに生きてきた男、シルヴェスター・スタローン。還暦を迎えた彼が、ついに“ロッキー”に別れを告げる。脚本、監督、主演の3役をこなし、自分の伝えたいことをすべて凝縮させたという『ロッキー・ザ・ファイナル』。“ロッキー・バルボア”とともに上がった最後のリングについてや、撮影の様子をスタローンが語った。
みんなに笑いものにされても、もう一度挑戦したかった
Q:“ロッキー”に、もう一度挑戦することへの不安はありませんでしたか?
怖かったよ。ひどいもんさ、ものすごく恐怖だったね。自分が「またロッキーをやりたい」と言ったら、バカみたいに聞こえるだろうってことも分かっていたし、みんなが笑いものにするだろうってことも分かっていた。批評家たちもみんな、「ああ、またか……」って頭を抱えることもね(笑)。でも、周りからどんなにバカにされようが、とにかく挑戦したかったんだ。
あの階段を駆け上がると、どんなことだってできるような最高の気持ちがやってくる
Q:“ロッキー・ステップ”と呼ばれている有名な階段を登りきったときは、どんな気持ちでしたか?
あの階段を登ったとき……最高だったよ。たくさんの人たちがあの階段を登って、拳を空に掲げるポーズをとった。あの階段を駆け上がると、どんなことだって、できるって気持ちになれるんだ。とても強い、パワフルな気持ちにね。だから最後に、階段を駆け上がったときは、これまでで最高の瞬間だった。実は、あのシーンが撮影のラストに撮られたショットだったんだよ。だからすごく悲しくなったんだけど、「あ~だめだ、泣いたらだめだ~! 幸せな気持ちになろうじゃないか、31年間だぞ! これは奇跡だ! 老いぼれになっても、お前はまだこれだけやれたんだ、最高だよ!」と考え直したんだ。だから寂しい気持ちから喜びの気持ちへと切り替えたよ。本当に素晴らしい最後の瞬間だったね。……奇跡を感じた瞬間だった。
映画の中の“息子”の存在は、現代社会での“若者層”の象徴だ
Q:ロッキーのセリフは、あなた自身の言葉でもあるのでしょうか?
うん。本当にそうだね。映画のほぼすべてが、真実なんだ。パート1のようにね。パート1は、自分自身の努力を描いた真実の物語さ。そして、この映画では、友人を失ったり、子どもを持ったり、自分自身の成功にともなって問題が生じたりした経験を描いているんだ。この映画の“息子”は社会を象徴した存在でもあると思っている。若者の社会が、われわれのような熟年層に「そろそろ引退しろよ」って言う。でも、われわれは「まだ、そんな準備はできていないんだ、ちょっと待ってくれ」という気持ちでいる。人生と社会という2つの側面を描いたんだ。
リアルすぎるほど、リアルなファイトになった最後の試合
Q:最後のファイトにはどんな気持ちで臨みましたか?
ああ、めちゃくちゃ緊張したよ……。着ていたローブを脱いだときに、観客に「あ~あ、年とりすぎだよ! 何やってんだ……」って言われるんじゃないかと思ってね。どんな試合になるかは、本当に予測不可能だった。それで試合が始まったと同時に、「これはキツイな」って。最初の2発ほどをくらって、これはいいぞ、これはリアルすぎるほど、リアルなファイトになるなって思ったんだ。ロッキーの敵役は、世界チャンピオンになったこともある本物のファイターだったからね。動物的なファイトになると思ったよ。若い人たちは、これほどの本物のファイトというものを見たことがないかもしれない。素晴らしい試合になったと思うよ。
Q:ロッキーを愛する人びとへ人生のメッセージをお願いします。
努力すること。自分の中にある炎を、消さないでくれ!
シルヴェスター・スタローン自身もロッキーと同じように、31年の間、栄光とともについてくる苦悩を味わってきた。どんなにバカにされても、挑戦したかった……。そう語るスタローンの瞳は、「もう一度、リングに上がりたい!」と語った“ロッキー・バルボア”の瞳そのものだった。アメリカでは“baby boomers”と呼ばれる団塊世代のスタローンが、もう一度人生への情熱を燃やした映画『ロッキー・ザ・ファイナル』。ロッキー・バルボアとシルヴェスター・スタローン、二人の男の人生を描いた本作は、ハリウッドの伝説として後世に残る映画となるだろう。
『ロッキー・ザ・ファイナル』は4月20日(金)よりTOHOシネマズ 六本木ヒルズほかにて公開。