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今年、クリスチャン・ムンギウ監督の映画『4ヶ月、3週間と2日』が、見事に最高賞であるパルム・ドールの栄冠に輝いた。ちなみにルーマニア映画が最高賞を受賞したのは史上初のことである。わずか、長編2作目にして一躍世間に名をはせたムンギウ監督が扱った題材は、チャウシェスク政権末期のルーマニアにある小さな町で暮らす女学生が、違法である人工中絶手術を受けた友だちを、秘密警察から守り通そうとするストーリー。今回、ニューヨーク映画祭に訪れたムンギウ監督に、今作品の熱意を語ってもらった。
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Q:
制作費の資金調達にかなり苦労されたらしいのですが、その過程を教えて頂けますか? (クリスチャン・ムンギウ)正直わたしは幸運な方でした。この映画の製作を決断をしたのが去年10月、今年のカンヌ国際映画祭の公開を目標に取りかかりました。すぐに、これまで共に仕事をしてきたフランスとドイツに住んでいる製作パートナーに、電話で連絡を取ったのですが、その返答をもらえるのが半年後と言われました。そのうえ、わたし自身は、この映画を冬に撮影したかったため、早急に母国で資金繰りを始めました。そんな中、資金を集める手段として、自分の得意分野である脚本を利用し、毎年行われる脚本コンテストに参加して賞金を得ようと考えたのです。このコンテストで受賞をすれば、われわれに必要な製作費の半分を獲得できるからでした。ところが、このコンテストへのエントリーが、いつもだったら5月ぐらいに行える予定だったのですが延期され、結局12月になってからようやくエントリーできました。しかし、このコンテストの結果発表後では、撮影が遅れるため、この時点で冬の撮影を開始し、コンテストの結果を待ちながら、わたしの会社からの製作費だけで撮っていたのです。これは、わたしがプロデューサーでもあるということが幸いしました。そしてコンテストでは幸いにも賞金を得ることができました。もしコンテストの賞金が無ければ、映画の完成はありませんでした。そして、後に得たこの賞金がさらなる製作費の拡大へと導いてくれました。
Q:あなたの経歴の中にテレビCMの製作もありますが、その分野からの援助はあったのでしょうか?
(クリスチャン・ムンギウ)ルーマニア映画のほとんどの制作費は、CM業界から来る作品が多いのです。その理由に、例えばコカ・コーラ社が、テレビCMのスポットを1億円分買ったとしたら、その支払った金額にプラス4%のお金を広告会社を通して映画界に払わなければなりません。母国のCM業界で名前が知られていたわたしは、それを直接受け取ることができたのです。
Q:あなたは、今回の作品でこれからのルーマニア映画界の形成を担い、重要な役割を果たすことになると思いますが、そんなあなたにとって、何かルーマニアの映画製作は、ほかと違うユニークな手法を持っているのでしょうか?
(クリスチャン・ムンギウ)わたしがブカレストの映画学生だったころ、わたしは自分の周りにいた生徒より年上でした(彼は、それまで教師やジャーナリストをしていたため)。そのためか、割と融通が利き、ルーマニアで撮影していたフランス・アメリカ合作映画のアシスタント・ディレクターとして参加をしたことがあります。そのときの印象は、映画製作においてそれほど他国との大差はないと感じました。唯一異なる点があるとしたら、クルーの人数くらいです。 |
Q:2人の女優のキャスティングについて教えてください。
(クリスチャン・ムンギウ)そうですね。わたしが探していた女優は、自然体で演じられる女優であるだけでなく、それと同様に10分間の長いショットでも、しっかり信頼を委ねることができる女優でなければなりませんでした。これは、難しいことなのです。なぜなら、わたしは普段即興の撮影をやらず、すべて脚本に書かれたものを正確に撮っています。したがって、キャスティング・ディレクターに前もって、10ページ分のせりふをワン・ショットで撮影するシーンがあることを伝えて、それをテストとしてオーディションに入りました。そのほかに、わたしが宣伝会社(コマーシャル製作)で働いていたことが手助けになったのは、常に新しい人たちとの接点の機会があることでした。実際、映画内の中心人物3人のうち2人の、ベベ役をやったヴラド・イヴァノフとガブリエラ役をやったローラ・ヴァジリウは、宣伝会社と仕事をしていたときに見つけた人材です。最後に、主役であるアナマリア・マリンカの役は、わたしがそれまで頼っていたルーマニアの舞台俳優たちには向いていませんでした。それは、型にはまった舞台のものとは違うからでした。映画内で、自然体で演じられる女性を念頭に入れながら探していた際、アナマリアの処女作品に出会ったのです。それから、ロンドンにいた彼女を呼び寄せました。すぐに彼女が、自然体で演じられるだけでなく、感情豊かでもあり、非常にプロフェッショナルな部分を持ち合わせていたことが分かりました。撮影中には、わたしが書いた脚本の中で不必要な部分などを教えてくれることもありました。
Q:この映画は、中絶という普遍的な問題だけでなく、ルーマニアの一部の歴史を垣間見ることができますが、映画自体はルーマニアの歴史をまったく知らずとも理解できると思います。それはあなたの意図的な手法なのでしょうか?
(クリスチャン・ムンギウ)歴史的観点を描いた映画を製作するときの問題点は、大半の観客は、その国の歴史的背景をすべて知っているわけではないのです。それでも、わたしは映画は映画としてあるべきと思っていて、今回はあえて時代背景の説明をまったくしませんでした。それは、ある特有の国で、ある人に起きた話として映画を見てほしいからです。これは上手く説明できませんが、歴史的背景を説明することは、映画としてやるべきことではないのです。それでは歴史の勉強になってしまいます。わたしは、映画の登場人物についてだけの話をしたつもりなのです。それでも、たぶん観賞された方なら気付かれると思うのですが、映画の節々に、時代背景が伝わるような要素を入れて構成していてます。ただ、自分が覚えている過去の記憶をたどったものだけにしたくはなかったのです。
Q:ルーマニアでは1989年に、人工中絶が違法ではなくなりましたが、いまだにルーマニアでは、多くの人たちの間で、この問題の議論が交わされているのでしょうか? それと、アメリカでも、ここ10年間ずっと中絶問題の議論をし続けていますが、このことに関してはどう思われますか?
(クリスチャン・ムンギウ)それが、現在ルーマニアでは、それほど問題ではないのです。わたしは、これをどうにかして問題にしようとしてきました。ルーマニア自体がいまだ発展途上の段階で、この問題以外に多くの問題を抱えています。多くは、中絶を特に問題視していないのです。共産主義下にあったときは、映画のような決断を下さなければいけない人たちがいたのですが、一旦、合法になった1990年代は、誰も懸念をしなくなったのです。それと、ここアメリカで、この問題が重要なのは分かるのですが、わたしは、国際的な議論をするためにこの映画を製作したわけではなく、わたし自身、中絶問題の賛否のどちら側にも付いていません。映画そのものが人々に熟考させる自由を与えて、特に答えを出すべきものではないのです。 |
Q:チャウシェスク政権は、あなたにどんな影響を与えたのでしょうか?
(クリスチャン・ムンギウ)わたしは、われわれが持つ関心の欠乏こそが、多かれ少なかれ、政府に中絶違法などの悪政を行わせたと思っています。なぜなら、われわれは政府が打ち出した具体的な政策に抵抗することだけに没頭していたからです。本当なら、この政策に対しての結論は、システム上の問題でなく、個人的な道徳観や国のしきたりから答えるべきものなのです。ただ、そのような判断で見ることができなかったのは、この時代背景が原因だと思います。
Q:劇中では、あまり動きのない映像が多いですが、撮影監督のオレグ・ムトゥとの撮影はいかがだったのでしょうか?
(クリスチャン・ムンギウ)彼とは、映画学校のときから15年くらいの知り合いで、恐らく10本近く一緒に撮っていて、CMでも仕事をしてきています。すごく良い仲だと思いますね。彼が、素晴らしい点の一つは照明で、室内でも野外でも、ライトがどこからきているのか映像には見えないことです。それが撮影のスタイルにも現れていて、彼がカメラのオペレーターもやってくれました。われわれが始めに決めたのは、ステディカム(移動中ブレないカメラ)や三脚を使わないと決めたんです。それと、アクションの動機が無ければ、カメラを動かさないように指定しました。それが、われわれの基本的な撮影のスタイルでした。
Q:編集過程の説明をして頂けますか? (クリスチャン・ムンギウ)わたしは、編集が映画を正しいリズムにしてくれるのではなく、撮影しているときのシーンにそのリズムがあるべきだと思います。注意した点は、脚本に書かれたままの編集と、それが正しいリズムを持っているかです。 |
細木プロフィール 海外での映画製作を決意をする。渡米し、フィルム・スクールに通った後、テレビ東京ニューヨ-ク支社の番組モーニング・サテライトでアシスタントして働く。しかし夢を追い続ける今は、ニューヨークに住み続け、批評家をしながら映画製作をする。 |
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