~第13回 2009年11月~
INTERVIEW@big apple
今月は、若くして亡くなった詩人のジョン・キーツを扱った映画『ブライド・スター』(原題)、シャネルのデザイナー、ガブリエル・“ココ”・シャネルを描いた映画『ココ・アヴァン・シャネル』、NBAのスター、レブロン・ジェームズ選手のドキュメンタリー映画『モア・ザン・ア・ゲーム』(原題)での取材模様をご紹介!
映画『Bright Star』(原題)
25歳の若さで病に倒れた詩人ジョン・キーツの半生を、恋人ファニー・ブラウンとの悲劇的なロマンスと共に描いた作品。監督と脚本は映画『ピアノレッスン』のジェーン・カンピオン監督。
ベン・ウィショー、アビー・コーニッシュ、ジェーン・チャップマン、ジェーン・カンピオン監督
大体の取材はホテルの一室で行われることが多いのだが、今回は何とナショナル・アーツ・クラブという美術館で行われることに。なぜか嫌な予感を覚えながら現場に到着した僕が目にしたものは、絵画の飾られた大部屋に大きなテーブル4つ。それは4つの席で同時にそれぞれの取材が行われるということ。ほかのテーブルの取材の声が入り混じる中で取材をしなければいけないわけで、ボイスレコーダーに録音される音源は雑音だらけになってしまう!
早速ジェーン・カンピオン監督とプロデューサーのジェーン・チャップマンに話を聞こうとしたら、個別インタビューを午前中に終えて、僕らのテーブルに遅れて席に着いたとある記者が、着席の瞬間に荷物を落とした。そしてその落下先は最悪なことにおばあちゃん記者の足元。落としたといってもせいぜい20センチほどだが、そのおばあちゃん記者は「オー! マイ・ゴーット!」と部屋中に響き渡る絶叫を上げた。さらにそのアクシデントに気分を害したのか、おばあちゃん記者は取材中一つも質問をせずに、帰ってしまった。
「大げさだな」と思いつつも、僕はカンピオン監督の写真を撮ることに。しかしカンピオン監督は写真を嫌がり、顔を隠したり、顔を背ける始末。映画の宣伝のための取材にもかかわらず、そんな態度をとる監督に嫌気が差し、僕は彼らの記事は書かずにベン・ウィショーとアビー・コーニッシュの主演二人をメインに記事にしようと心に決めたのだった。
孤児院で育った少女時代を経て、酔った兵士を相手に歌うナイトクラブの歌手となったガブリエル(オドレイ・トトゥ)は将校のエティエンヌ・バルサン(ブノワ・ポールヴールド)の愛人となり、退屈な暮らしを送るのだが……。
オドレイ・トトゥ、アレッサンドロ・ニヴォラ、アンヌ・フォンテーヌ監督
取材現場のホテルに到着して、部屋に入ると、3部屋用意されているにもかかわらず、僕が選んだ部屋に次から次へと記者たちが入ってきた。どうやらほかの2部屋にはクセモノ記者がそろっているらしく、ほかの記者たちがゾロゾロと移動してきたようだった。あれよあれよという間に15人以上の記者たちが、金魚のフン状態で部屋に入ってきた。
これでは1問ほどしか質問できないのではないかと思ったら、この取材の前にオドレイはすでに日本を訪れており、ニューヨークの記者たちは記事として目新しくないと、やる気をなくしていた。そんな中アンヌ・フォンテーヌ監督が通訳を連れて登場。初めは通訳を通して取材に答えていたアンヌ監督だったが、徐々に英語で話し始めた。その気持ちはありがたいのだが、文法があいまいで難あり。これを英語らしい文章に書き換える作業を考えると気持ちが落ち込んでしまった。
次に登場したアレッサンドロ・ニヴォラはきちんとした英語であったが、上機嫌な彼の返答は質問から脱線するものばかり。フレンドリーな雰囲気はとてもありがたかったのだが……。そして最後にオドレイ・トトゥが登場。顔がとても小さく、写真を撮るのが楽しみだったが、彼女のマネジャーが写真NGの指示を出した。あきらめようとした矢先、ある女性記者が、小型ビデオカメラをオドレイに向けていた。「ビデオカメラはいいのかよ!」と思っていたら、その女性記者はボイスレコーダーが故障したとのことで、音声だけ録音していると話し始めた。その記者のみカメラを許されていたのがうらやましかった。
NBAのスター、レブロン・ジェームズ選手の幼少期から、バスケットの世界で名声を得るまでを追った感動のドキュメンタリー作品。
レブロン・ジェームズ選手、ウィリー・マクギー、ドリュー・ジョイスII、クリストファー・ベルマン
今回の取材はNBAの大スター選手! しかも会場はフォー・シーズン・ホテル! 記者用に食べ物や飲み物がたくさん用意されているのだろうと思いきや、昨今の不景気が原因か、何も出てこなかった。しぶしぶ記者たちは取材席に着いたのだが、何とこの日はオバマ大統領がニューヨークを訪問するとのことで、あちらこちらで交通制限が敷かれ、ニューヨークは大渋滞に!
その影響は今回の取材にも響き、開始時間15分過ぎでようやくパブリシストから「取材開始まで、あと30分くらいかかります!」と正式に遅延報告が。コーヒーも水も出てこず、さらには時間も押しているとの状況に、記者たちはコーヒーを求めて一斉に外へ。結局、会見が始まったのはそれから1時間後のことだった。
レブロン選手はもとより、コーチのドリュー・ジョイスII、そして少年時代に選手仲間だったウィリー・マクギーの体の大きさには驚いた。そして次に目に入ったのは、レブロン選手の腕を埋め尽くすかのようなタトゥーの数々。一見こわもてだが、質問には丁寧に答えるレブロン選手のギャップにもまたまた驚かされてしまった。今回の会見の場には、記者のほか、選抜された子どもたちの姿があった。レブロンは子ども記者にも質問ができるよう司会者に指示するなど、気配りも忘れていなかった。高校時代から記者に囲まれ常に取材を受けていた彼に、純粋な子どもたちの姿は安らぎを与えているようで、どんな質問にも丁寧にコメントする姿に好感度は上がる一方だった。