学校を開いた理由は「金もうけよりも人の役に立ちたかったから」と説明するロビン。30代でビジネスに成功したとき、若手黒人実業家としてマスコミに注目され、地元の小学校でスピーチをする機会が増えたそう。
「学校の校庭にヘリで到着すると子どもたちは目を輝かせて喜んでくれる。でも、どんなに夢のある話をしても、結局あの子たちは恵まれない家庭に戻り、僕はランボルギーニで豪邸に帰るんだ。そんな生活に矛盾を感じた」と説明する。
ちょうどそのころ、第2次世界大戦で活躍した黒人飛行部隊のパイロットたちと知り合い、彼らが若い世代に操縦技術やチャレンジ精神を伝えたいと思っていたこともきっかけになったそう。
ロビン自身もジャマイカの犯罪が多い地域で子ども時代を過ごし、いわゆる不良といわれる子どもの気持ちが何となくわかるそうで、「そういう子たちは、負けず嫌いなんだ。だからあえて『ギャングなんて誰だってなれる。まじめに生きる方がずっと難しいんだ』と言うとよく聞いてくれる」と話す。放課後、この飛行学校に通っていたため、犯罪に手を染めずに命拾いをした生徒も多いそう。また、この学校で勉強の仕方を覚え、成績が上がった子も。
気になる授業料は、生徒が掃除やペンキ塗りなどの地域のボランティア活動をすれば、それに費やした時間が授業料になるため、家が貧しくてもまったく大丈夫。学校の運営資金はボーイング社や市などからの寄付金と、ロビンの映画の仕事の収入でまかなわれている。
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