~第31回 2011年5月~
INTERVIEW@big apple
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今回は、モーガン・スパーロック監督の新作『ザ・グレーテスト・ムービー・エバー・ソールド(原題)』、トライベッカ映画祭に出品された2作品、オジー・オズボーンのドキュメンタリー『ゴッド・ブレス・オジー・オズボーン(原題) 』、マーク・ラファロの監督デビュー作『シンパシー・フォー・デリシャス』を紹介します。
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映画『ザ・グレーテスト・ムービー・エバー・ソールド(原題) / The Greatest Movie Ever Sold』
モーガン・スパーロックが映画の制作費を集めるため、ハリウッドの大作のように資金を提供してくれるタイアップ企業を探す過程を描いた作品で、宣伝に比重を置いているハリウッド映画界や広告業界の内幕が明かされる。
モーガン・スパーロック
この日の取材は、映画『スーパーサイズ・ミー』でマクドナルドの商品を1か月間食べ続けるという衝撃的な実体験をした、あのモーガン・スパーロック。あれから彼はいくつかのドキュメンタリー作品を手掛けているが、なぜか彼にインタビューをする機会がなかった。彼は、マイケル・ムーア並みに人気のあるドキュメンタリー監督なので、あえて一対一のインタビューをリクエストせずにラウンドテーブル(複数の記者による合同取材で、普段は5、6人程度で行われる)に入れてもらった。この取材は、トライベッカ映画祭も担当している宣伝会社ルーベンスタイン・オフィスで行われた。今回は10人以上の記者が集まるだろうし、1問でも質問できれば良い方かなと思っていたら、わずか5人だけの取材となった。ラッキー!
やがて、この映画のスポンサーとなったすべての会社名を入れたスーツを身に着けたモーガンが登場。マイケル・ムーアもカメラの前に立って自己主張するが、彼に負けないぐらい精力的に自分を売り込むモーガンに驚かされた。どれだけどん欲なんだと思ったが、この映画が完成したのは、そのどん欲さがあってこそ。そしてモーガンは、記者一人一人と握手してから席に着いた。まず彼は、この映画を成立させられるのか不安だったことを語った。それは、スポンサーになってくれる会社が見つからなければ、映画を制作することさえ難しかったからだ。それもそのはず、『スーパーサイズ・ミー』で、さんざんマクドナルドの商品を「食べ過ぎると体に良くない」と批判的に描いたせいもあって、最初のタイアップ会社が決まるまで9か月もかかったそうだ。途中、モーガンは座っていた席がグラグラしていたため、後ろにあったイスと取り替える早業を見せた。
ちなみに、サンダンス映画祭のプレミアが行われる1週間前まで、映画のサウンドトラックの編集作業が行われていたそうだ。また、映画にはモーガンと『ラッシュアワー』の監督ブレット・ラトナーとのインタビューが挿入されているが、ブレットが大作を作る上であらゆる会社とタイアップしていることについて、モーガンは否定的なコメントを残していた。だが今回のインタビューでは、「ブレットのような大作の監督は、タイアップも映画の重要なビジネスであることを十分認識している」と理解を示した。最後にモーガンは、撮影の際にPOM Wonderfulのドリンクを両手に持ってポーズを取ってくれた。あくまでサービス精神旺盛なモーガンであった!
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映画『ゴッド・ブレス・オジー・オズボーン(原題) / God Bless Ozzy Osbourne』
イギリスのへビメタ・バンド、ブラック・サバスのボーカルとして人気を博したオジー・オズボーンのキャリアを振り返るドキュメンタリー。近年行われたツアーや彼の家族のインタビューが含まれているほか、オジーが酒や薬物におぼれたスキャンダラスな過去に触れている点にも注目だ。オジーの息子ジャックが映画のプロデューサーを務めている。
オジー・オズボーン、ジャック・オズボーン、マイク・フレイス、マイク・ピサイテリ
この日は、この映画以外に二つも取材があった。まず午前11時10~30分まで『リベンジ・オブ・ザ・エレクトリック・カー(原題) / Revenge of the Electric Car』のクリス・ペイン監督を単独インタビューして、それから別の場所に移動して12時からオジー・オズボーンの新作の記者会見、そこからさらに移動して13時半から『シンパシー・フォー・デリシャス』の記者会見に参加する予定だった。ところが、最初のクリス・ペイン監督の取材場所は「トランプ・ソーホー・ニューヨーク」だったのだが、僕は前日にパブリシストから「ソーホー・グランド」という誤った取材場所を知らされていた。ところが、「ソーホー・グランド」に到着すると、インタビューを行うはずのペントハウスの部屋のナンバーが見当たらず、ようやくパブリシストが誤った取材場所を知らせていたことに気付いたのだ。それからすぐにパブリシストに連絡して事情を説明し、日を改めてクリスとの取材をセッティングしてもらうことに……。結局、一つ目のインタビューがなくなったことで移動時間に余裕ができ、混雑すると思われたオジーの記者会見では、前列の席を確保できたので、結果オーライとなった。
以前、ザ・ローリング・ストーンズを取材したことのある僕は、ロック・ミュージシャンの記者会見は必ずと言っていいほど、時間通りにスタートしないことを知っていた。だが、今回は意外にもオンタイムで記者会見を開始することができたのだ。これは超異例のこと! 早速、質問がオジーに向けられたが、僕には、あのMTVのリアリティー番組でもおなじみの彼の個性的な声が、非常に聞き取りにくかった。もちろん、コメントのすべてがわからないわけではなかったが、1センテンスにつき一つか二つの単語が聞き取れないという調子だった……。この後、彼のコメントを英語に起こすことさえも苦労しそうだなぁ~と先が思いやられて憂うつになっていたが、オジーが語る1970年代のコンサートに関するエピソードが面白くて、途中からそんな不安も消し飛んでしまった。中でも、観客がステージの上に動物の死体を投げ込んだエピソードはキョーレツだった!! 一方、息子のジャック・オズボーンは、リアリティー番組のころと比べて、かなり成長していた。最後に、ある記者がオジーに「自分の伝説を一言で語るとしたら?」と尋ねると、オジーが「それは、サバイバルだった……」と答えていたのが印象に残った。
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映画『シンパシー・フォー・デリシャス』
事故に遭い、車イスの生活を送るDJディーン(クリストファー・ソーントン)は、人間の病を治癒する能力を秘めていることに気付き、神父ジョー(マーク・ラファロ)の協力を得て、その力を体の不自由な人々のために発揮する。だが現況に満足し切れないディーンは、富や名声を得るためにカリスマ的リーダー、ステイン(オーランド・ブルーム)の所属するロックバンドに加わることを決意する。
マーク・ラファロ、オーランド・ブルーム、ローラ・リニー、クリストファー・ソーントン
オジーの記者会見を終えた僕は、会見が行われていたスクール・オブ・ビジュアル・アーツ・シアターの反対側、マンハッタンの東に位置するクロスビー・ストリート・ホテルに移動。オジーの記者会見がわずか20分程度の短い時間だったため、次の取材には余裕で間に合った。到着すると、ステージの上には3席しか用意されていなかった。確か4人のはずなのだがと思っていたが、どうやら主演のクリストファー・ソーントンは車イスであるため、車イスで登壇する手はずになっていたようだ。『シンパシー・フォー・デリシャス』は、マーク・ラファロの初監督作で、オーランド・ブルームも登壇するということもあって多くの記者が参加すると思っていたが、トライベッカ映画祭のほかの出展作品の取材に記者たちが集中しているのか、会場にいたのはわずか20人程度だった……。
会見が始まり、ある記者が質問しながらマークが表紙に載っている雑誌を見せていると、質問の途中でオーランドが「それは、『ハリウッドで最もセクシーな男特集』の表紙か?」とジョークを飛ばしたので、記者たちは大笑い。さらにオーランドは、「(監督としてだけでなく)俳優としてマークを尊敬している」とも語った。マークは、俳優としての地位を確立するまでCMやモデルなどもこなしつつ、あらゆる映画のオーディションに参加したそうだ。ちなみに、ニキビケア用品のCMに出演したこともあるらしい。途中、ボストン・ヘラルド紙のスティーブン・シェイファー記者が3問連続で質問した揚げ句、さらに続けようとしていたので、ほかの記者たちが「もういいだろ!」と遮っていたのがおかしかった。オーランドは、この映画に出演しているジュリエット・ルイスが、実際にバンド活動をしているため、バンドのボーカル役を演じる際に彼女からアドバイスをもらったと語っていた。
映画のエンディングにビージーズの曲が使われているが、この映画が低予算であることを考慮したのか、ビージーズはなんとわずか5,000ドル(約40万円=1ドル80円の換算)で曲の使用を許可してくれたそうだ。マークは、最初は監督のみに専念するつもりだったらしいが、あるプロデューサーから「初めてメガホンを取る監督は大抵ネガティブに捉えられるものだけれど、俳優としての君はポジティブに捉えられているんだから、俳優としても出演してそのぶんを補いなさい」と言われ、俳優もこなすことを決めたそうだ。ロックバンドのマネージャーにふんしたローラ・リニーは、「これまでマークと共演したこともあって信頼しているから、彼の作品ならいくらでも出演するわ」と語っていた。最後に、マークが「興行収入などをまったく考慮しない作品をつくることができて良かった」と述べていたのが印象深かった。