悪魔系オカルト映画特集
型破りシネマ塾
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意外と知らない!? 3D映画を大特集
今春公開された、職業として悪魔払いを行うエクソシストをアンソニー・ホプキンスが熱演した『ザ・ライト -エクソシストの真実-』で、久々に登場した本格的なオカルト映画。何だか懐かしい!? と喜んだ往年のオカルト映画好きもいるはず。そこで夏恒例のホラー特集は、暑い夏を涼しくしてくれるかもしれない悪魔系オカルト映画にフォーカス。ハリウッドから幻の傑作・珍品まで、ホラー映画に精通するライターが徹底解説!(文 / なかざわひでゆき)
えげつなさが楽しい1970年代の傑作群
八百万(やおよろず)の神が存在する日本では、キリスト教世界でいうところの絶対悪の象徴である「悪魔」なるものが存在しない。強いていうならば、地獄のえんま大王とか鬼なんかがそれに類似するのかもしれないが、あくまでも彼らは人間世界や精神世界のダークサイドを擬人化した「もののけ」であり、唯一神や天使が体現する絶対的な「善」を真っ向から否定する対抗勢力としての悪魔とは根本的な役割においてまったく違う。そもそも日本人の価値観そのものが古くから「曖昧(あいまい)」を身上としてきたわけだし、日常生活において宗教とは無縁に近い現代の日本では、「悪魔は怖い!」と言われてもあまりピンと来なかったりする。個人的にも人間の怨念(おんねん)の方がよっぽど怖いよなんて思うのだが、その一方でやたらと強くて残酷無比な悪魔というヤツは、ホラー映画のモンスターとしては最高にクールで恐ろしい存在だ。何しろ天界の神と対峙(たいじ)する絶対悪なわけだから、そんじょそこらの怪物や殺人鬼とはパワーのスケールが違う。映画的には極めておいしい素材だ。
しかし、ちょっと意外に思われるかもしれないが、映画の総本山ハリウッドにおいて悪魔がスクリーンで幅を利かせるようになったのは『ローズマリーの赤ちゃん』以降のこと。その背景として当時のヒッピー・ムーブメントにおける神秘主義やオカルトの流行を見逃すことはできないが、同時に古くからカトリック教会がヘイズ・コードと呼ばれる検閲制度を取り仕切ってきたハリウッドにおいて、悪魔を真正面から取り扱うことはタブーだったのかもしれない。実際、『ローズマリーの赤ちゃん』が公開された1968年は、すでに実質的な影響力を失っていたヘイズ・コードが撤廃された年。やがて『エクソシスト』(1973)や『オーメン』(1976)の大ヒットでオカルト映画ブームが到来し、悪魔はハリウッド・ホラーにおける必要不可欠な存在となっていく。
◆このホラー作品は、絶対見逃すな!◆そのオカルト映画ブームにおいて悪魔を題材にした作品が数えきれないほど登場したわけだが、中でもホラー映画ファンなら絶対に見逃せないのは『魔鬼雨』(1975)と『センチネル』(1977)であろう。無名時代のジョン・トラヴォルタが出演していた『魔鬼雨』は、悪魔を崇拝する邪教集団に巻き込まれた若いカップルの話。教会の雨に打たれた悪魔崇拝者たちがドロドロと溶けていくクライマックスは相当にショッキングだった。一方の『センチネル』は、ニューヨークの一角に地獄の門を封印した古いアパートが存在し、そこへ引っ越した若い女性がカトリック教会によって「地獄の見張り番」に仕立て上げられてしまう話。実際に古いアパートがたくさんあるニューヨークならではのリアリティーに加え、どこか得体の知れないお隣さんが実はみんな地獄に落ちた亡者だったというのは、見ず知らずの人間がひしめき合う大都会の盲点を突いて怖い。顔面をナイフでそぎ落としたりといったスプラッター描写も強烈だし、何よりクライマックスに大勢出てくる地獄の亡者たちを実際の身体障害者に演じさせたというのが衝撃度満点。どちらも一度観たら忘れられない究極のトラウマ映画だ。やはり、うさんくささとえげつなさに一切躊躇(ちゅうちょ)することのない1970年代の悪魔系オカルト映画はいろんな意味でお腹いっぱいにさせてくれる。
ヨーロッパ映画界は悪魔の宝庫!?
さてさて、悪魔に関しては意外と歴史の浅いハリウッドに比べ、ヨーロッパ映画界ではサイレントの時代から悪魔は大切な常連さんだった。中でも、悪魔崇拝や魔女狩りの歴史を通して西欧文化に脈々と存在する男尊女卑の差別を糾弾したデンマークのサイレント映画『魔女』(1922)は、中世の宗教画にも通じる悪魔的なビジュアルイメージの洪水が圧巻。全身毛むくじゃらで角を生やした悪魔の特殊メイクなんぞ、今観てもビックリするくらいによくできている。また、イタリアのサイレント映画『マチステの地獄征伐』(1925)もユニーク。古代史劇の英雄マチステが地獄で悪魔退治をする話だが、ミニチュアやクレイアニメをフル活用した特撮が見応え十分で、しかも画家ギュスターブ・ドレがダンテの「神曲」のために描いた有名な挿絵のように、ひじをついて寝そべった巨大な魔王ルシファーが地獄へ落ちた人間を次々とつまんでムシャムシャ食べるシーンが実にシュールだ。
◆エログロ映画大国のイタリアン・ホラーとは?◆そうそう、イタリアといえばカトリックの総本山バチカンを擁する国ゆえに、ある意味で悪魔も身近な存在なのだろうか。1960年代のイタリアン・ホラー映画ブーム以降、悪魔を題材にしたオカルト映画も大量に作られている。特に1970年代のオカルト映画ブームの際には、『エクソシスト』や『オーメン』をパクったキワモノ映画がゾロゾロ登場。中でも、ハリウッドとヨーロッパの大御所名優を総動員した『レディ・イポリタの恋人/夢魔』(1974)は、エログロ映画大国イタリアの面目躍如たるいかがわしさをフル稼働させた迷作だ。また、そうしたイタリアならではの露骨で過激なバイオレンスを、独特のスタイリッシュなゴシック美によって芸術へと昇華させた、巨匠ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』(1977)や『インフェルノ』(1980)も外せない。そのアルジェントが脚本・製作を手掛けた『デモンズ3』(1989)も悪魔系オカルト映画の隠れた名作。ヤギのような姿をした悪魔が人間の女性と交尾するシーンなど、悪魔的で背徳的なビジュアルイメージが目白押しの怪作だ。
ほかにも、ホラー映画大国イギリスではゴジラに似た怪獣系の悪魔が強烈なインパクトを残す『Night of the Demon』(1957)や、悪魔崇拝者たちに支配された田舎町の恐怖をダークな幻想美で描く『死霊の町』(1960)など忘れられない名作が数多いし、サイレント時代にホラー映画制作が盛んだったドイツでも悪魔に魂を売った若者が自らのドッペルゲンガーと遭遇する『プラーグの大学生』(1926)や人間の心の隙間に忍び込んでいく悪魔の恐ろしさを幻想的なスペクタクルで描く『ファウスト』(1926)などの傑作が存在する。まさに、ヨーロッパは悪魔系オカルト映画の宝庫といえよう。
まだまだあります! 世界の悪魔映画たち
◆トルコやインド……珍品ホラー◆そして最後に、欧米圏以外のおススメ作品についても触れておこう。何といっても必見なのがトルコ映画の『Seytan』(1974)。これは『エクソシスト』を細部まで忠実に再現したコピー映画なのだ。ただし、製作費は恐らく本家の100万分の1以下。悪魔に憑かれた少女の首が180度回転する有名なシーンでは、見るからにハリボテのダミーボディーの中で女の子がクルッと一回転しているだけ。怖いというよりも全編にわたって大爆笑必至のポンコツ映画だ。偽スーパーマンや偽スターウォーズなど、本家を天文学的なレベルで下回る驚がくのコピー映画が多数存在するトルコならではの珍作といえよう。
また、世界最大の映画大国インドでも、土着的な悪魔崇拝などを題材にしたオカルト映画が少なからず作られている。もちろん、インド映画お得意の派手な歌とダンス、笑いとアクションなどの見せ場がてんこ盛り。あれ……この映画って確かホラーだったよね……? と思わずキョトンとさせられること請け合いだ。その中でも、ボリウッド・ホラーの帝王と呼ばれるラムゼイ兄弟の手掛けた『Purana Mandir』(1984)は、ごった煮的な荒唐無稽(むけい)の中にもしっかりとオリエンタル・ゴシックなムードを醸し出し、古代インドの悪魔サームリと人間の戦いを特殊メイクやSFX満載で描いていて見応えがある。
あらゆる文化圏に神や宗教が存在する限り、悪魔とて欧米文化の専売特許でないのは至極当然のこと。恐らく世界のどこかに、われわれがまだ観たことのないような、もっと個性的でもっと邪悪な悪魔たちを描いた映画が眠っていることだろう。
なかざわひでゆき プロフィール
映画&海外ドラマ専門のフリーライター。子どものころから「奥さまは魔女」や「陽気なルーシー」などのアメリカンドラマ、夏休みシーズンに洋画ロードショー番組で放送されていたB級ホラーやB級アクションを楽しみにして育った世代。中でも、ホラー映画にかんしては古今東西のあらゆる作品を見まくっており、特にイタリアン・ホラーをこよなく愛してやまない。