第39回 今だから語れる!? アカデミー賞取材のウラ話・こぼれ話
LA発! ハリウッド・コンフィデンシャル
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今だから語れる!? アカデミー賞取材のウラ話・こぼれ話
3月も後半、いよいよ春といったところですが、映画ファンの皆さんいかがお過ごしですか?
わたしはアカデミー賞が終わって一息ついたところです。というのも、アカデミー賞の数週間くらい前から授賞式当日まで、たくさん行われたアカデミー賞関連のイベント、そして授賞式当日の取材をし、怒濤(どとう)の日々でした。
実はその過程で、表立ってニュースにはならなかったけれども興味深いエピソードがいくつもありました。今回はその一部をハリコンで紹介させていただこうと思います!
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アカデミー賞授賞式の行われる1週間くらい前から、俳優部門以外での候補者たちを紹介するアカデミー主催のイベントがたくさん開かれます。
その中の一つで、ヘアメイク部門(特殊へアメイク含む)にノミネートされているアーティストたちを招いて行われるシンポジウムがあり、お邪魔してきました。
映画 『アルバート・ノッブス』で、女優グレン・クローズを男性に仕立て上げた特殊へアメイク・チームの展示を見ているときでした。このチームを率いるのは、マシュー・W・マングルさん。そのマシューさんのグループに、アジア系の男性を見掛けました。「日系の方かな?」と思っていると、後方から“Hey, Koji……”と呼ばれその男性が振り返ったのです。「もしや彼は日本の方!?」――そうとなればジャーナリスト魂が目を覚まします! 男性の手が空いたと同時に「失礼ですが……」と話し掛けてみました。
男性のお名前は、大村公二(おおむらこうじ)さん。マシュー・W・マングルさんのスタジオ、W.M.クリエイションズで働く特殊メイク・アーティストのお一人だったのです! とても気さくな方で、すぐお話を聞くことができました。
岩手県盛岡市の出身の30歳。高校卒業後、4年かかってアルバイトで留学資金を貯めて単身渡米。8年前に岩手を出るときは、公二さんは盛岡駅でご両親を前に「もう一生会えないかもしれないから……」と涙ながらに故郷をあとにしたそうです。
渡米後は、カリフォルニア州パームスプリングス近くにあるCollege of the Desertという大学に入学し、シアター・メイクアップの勉強を始めたとのこと。
でも、アメリカの学校を卒業しても、すぐに安定した収入に直結するような特殊メイクの仕事があるわけでもなく……。貯めてきたお金もやがて底を尽き、一時期は食べるのにも困るほどで、1日おにぎり1個という時期もあったと話してくださいました。
やがて大学教授の紹介でマイケル・モーシャーさんという『タイタニック』でメイクを手掛けたアーティストの元に弟子入りが決定。そのつながりでマシューさんと知り合うことになったそうです。マシューさんのスタジオでは6年ほど前から働くようになったということですが、今に至るまでには山あり谷あり、大変なご苦労もあったとのことです。
現在ではこうしてハリウッドで活躍し、日本に帰国して家族に会うこともでき、また今回は社長のマシューさんが栄えあるアカデミー賞候補にもなり、日本のご両親も非常に喜んでいらっしゃるそうです。去年の大震災で被害を受けた故郷の方々に、自分がハリウッドで頑張ることによって少しでも笑顔の源を提供できたらうれしい、と語ってくれた公二さん。
惜しくも受賞は逃してしまいましたが、アカデミー賞はノミネートされることだけでも意義があるのだから、『アルバート・ノッブス』のマシューさんチームも、そしてへアメイク賞のもう一つのノミネート作品だった『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2』も、両チームとも勝者!と言いたいです。
さらに、なんといっても日本から遠く離れたここハリウッドで頑張っていらっしゃる公二さんもWINNER! わたしも海外で頑張る映画業界の同志として、心よりおめでとうございますとお伝えしたいと思います。
日本に住んでいると、アメリカと中近東の緊張感を肌で感じることはなかなかないと思います。アメリカに住んでいても、身近で緊張を強いられる場面というのはそうそうないのですが、今回アカデミー賞の取材をしていて初めてその緊張感を目の当たりにすることがありました。
今年の外国語映画賞にはベルギー、カナダからの作品に加え、ポーランド、イスラエル、そしてイランからの作品がノミネートされていたのです。
ご存じのとおりイランは現在アメリカと緊迫した関係で、両国関係がこれからどうなるか非常に懸念されている状況です。イランのアフマディネジャド大統領は、「ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)は架空の出来事である」と公言して、イスラエルの人々の神経を逆なでしたばかりか、アメリカに住むユダヤ系の人々からも猛烈な批判を受けました。
ここで忘れてはいけないのが、ハリウッド映画界の大物たちにはユダヤ系の人たちが多いということ。今回イランからの映画がノミネートされたときは驚きの声が上がったと同時に、アカデミー内でイラン作品が公平な審査を受けられるのかといった声も上がりました。
わたしが出席した外国語映画賞のシンポジウムには、イラン作品『別離』のアスガー・ファルハディ監督も出席していました。イベント後、彼はほかの監督たちのようにロビーで談笑といったことはなく、報道陣が集まる表玄関ではなく裏口から出て行ったと聞きました。知り合いのロイター通信の記者が「ファルハディ監督は、イラン政府から言動を厳しく見張られているらしい。その話をぜひ聞きたい!」と目の色を変えて語っていて、映画の祭典に来ているのに政治のことで追い掛けられている監督が非常に気の毒でした。
外国語映画賞のシンポジウムで、また、めでたく『別離』がアカデミー賞を獲得したときと2度にわたって、ファルハディ監督のお話を聞く機会がありました。監督のスピーチは思慮深さや明晰(めいせき)さを感じさせる紳士的なもので、「政治は興味のないことで、わたしは映画を作っているだけ。作品の価値を国ではなく、映画の本質で判断してもらえ、アカデミーには非常に感謝している」と語っていたのが印象的でした。
ファルハディ監督一人を見ただけで、イランに対する考えが変わってしまうのもナイーブなことかもしれません。でも、メディアでは過激な国のリーダーを目にするばかりで、イランの「普通の人々」を知らないわたしにとって、ファルハディ監督はイランの「正常な部分」を体現したような、大切な窓のような存在に思えました。
アメリカでは、イランという国は悪の権化のように扱われがちです。でもきっと、監督のスピーチを聞いたり『別離』を観て、わたしと同じように感じた人も少なくないと思います。
アカデミー賞の取材を無事に終えて、「オリンピックを、人類を一つにするスポーツの祭典というなら、アカデミー賞は映画を通して人類を一つにする祭典だ」などと一人感慨にふけってしまいました。「ホント、映画っていいもんだなあ!」と感動が改めてわいています。
(取材・文 神津明美 / Addie・Akemi・Tosto)
高校留学以来ロサンゼルスに在住し、CMやハリウッド映画の製作助手を経て現在に至る。アカデミー賞のレポートや全米ボックスオフィス考など、Yahoo! Japan、シネマトゥデイなどの媒体で執筆中。全米映画協会(MPAA)公認のフォト・ジャーナリスト。
日本語ツイッター始めました!→@akemi_k_tosto
授賞式から帰ってきたその夜、気が緩んだのか一気にドーンと発熱。これぞアカデミー賞後遺症……。熱が出たのなんて何年ぶり!?