第6回 スイス、ロカルノ国際映画祭の魅力に迫る!
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スイスのリゾート地で開催されるロカルノ国際映画祭は、今年で65回(2012年8月1日~11日開催)を迎えた歴史ある映画祭で、8,000人を収容するピアッツァ・グランデでの野外上映が名物です。映画美学校出身の三宅唱監督は今年、初長編作『Playback』がいきなりインターナショナル・コンペティション部門に出品された日本映画界期待の注目株。「憧れだった」という同映画祭の1週間を三宅監督がレポートします。
青山真治、富田克也に続け
ロカルノ国際映画祭は、ベネチア、カンヌに続く欧州3番目の国際映画祭として1946年に誕生。スパイク・リーやジム・ジャームッシュらをいち早く紹介してきた。日本からも、実相寺昭雄監督『無常』(1970)と小林政広監督『愛の予感』(2007)が最高賞の金豹賞を受賞するなど、アート性の強い実験的な作品にスポットを当ててきた。
三宅監督も同映画祭の審美眼に引かれて、モノクロで撮った『Playback』を出品したという。「映画評論家・蓮實重彦先生の著書『映画巡礼』でも紹介されていた憧れの地で、歴史も格もある。それと前年、僕自身が刺激を受けた『東京公園』と『サウダーヂ』が選ばれたこともうれしかった。僕の作品も観てくれるかも……とダメもとでチャレンジしました」。
村上淳からスーツのプレゼント
映画『Playback』チームは主演の村上淳ら計12人でロカルノ入り。三宅監督は村上からプレゼントされた人気ブランドWACKO MARIAのスーツをまとっての参戦だ。3,000席のオーディトリアムFEVIで2回、180席のシネマ・リアルト1で計3回上映されたが、老若男女でほぼ満席だったという。
「茨城県水戸市で撮影し、劇中では東日本大震災後であることを説明していないけれど、観客はそこにも感動してくれたようだった。空気や会話の節々で感じ取ってくれ、こちらの意図が的確に伝わっていたようでした」。ただし初の国際映画祭に初の欧州という慣れない環境で興奮していたようで、熱を出すというハプニングもあった。
前乗りして他の上映作を観賞
他のメンバーは4泊の滞在だったが、三宅監督は前乗りして約1週間滞在。短編コンペ部門で参加していた『solo』の米澤美奈監督らと交流を深め、また故オットー・プレミンジャー監督の特集上映に足を運んだ。
中でも、同じコンペ部門に出品されていた『ザ・ラスト・タイム・アイ・ソウ・マカオ(英題) / The Last Time I Saw Macao』(フランス・ポルトガル・マカオ)に引かれたという。「僕の『Playback』とある部分が似ていて、監督自身のパーソナルな記憶と、映画史としての記憶が幸福に結び付いた作品でした。全体的にコンペ作は、個人の物語と社会が結び付いた、似たテーマが多かった」。
特殊な環境にシアワセ
ロカルノは、山々に囲まれたマッジョーレ湖を擁した空気のおいしい街だ。「映画祭期間中、その街を歩いている人がほぼ映画を観るためだけに存在しているという特殊な環境で、東京のような大都市で開催される映画祭には感じられない幸福感がありました。特に毎夜、ピアッツァ・グランデでは生涯功労賞が授与されたジョニー・トー監督らのセレモニーが行われており、8,000人が祝福する様子に感動しました」。
料理は、スイスでもイタリア語圏のためパスタやピザ、パニーノが中心。「おいしいけれど、正直、毎日だと粉モノばかりで飽きました。海外で頼みの中国レストランもなく、まさか自分が日本食が恋しくなるとは思わなかった(苦笑)」。
ミラノからロカルノ入り
日本からロカルノは直行便がないため、欧州国内で1度乗り換えてから列車やバスで入るのがベスト。三宅監督の場合はイタリア・ミラノの空港から、映画祭の送迎車で約2時間かけて現地入りした。札幌出身の三宅監督は、自然豊かなロカルノの景色にホッとしたそうで、マッジョーレ湖で水泳を楽しむ一幕も。映画祭からの招待は宿泊費のみで、作品チームに計12泊分が用意された。また字幕製作費は、文化庁の日本映画海外展開支援の助成を申請中。
観客との交流を目指す
現在、『Playback』は東京・オーディトリウム渋谷で公開中。映画祭に参加して実行したのは、通常のトークショーではなく、観客と直接対話をするティーチインの機会を増やしたことだという。「ロカルノで実感したのは、観客が作品や監督に対して向けてくれるリスペクトを、僕が監督として正しく受け止めることで、そこで初めて両者がフェアな関係になれるのだと思ったのがきっかけです。映画は公開されれば自分だけのものではなく、観客のものともなる。改めて映画監督という自分の責任を自覚できました」。
レポート:三宅唱
写真:pigdom
編集・文:中山治美