第1回 監督・脚本 君塚良一
映画『遺体 明日への十日間』短期集中連載
2011年3月11日、東日本大震災という未曾有の悲劇が起きた。震災から2年目を迎え、報道では伝えられなかった遺体安置所の真実を描いた映画『遺体 明日への十日間』が公開される。本作に関わったスタッフ、キャストたちの思いとは? 連載第一回は、本作の脚本を書き、メガホンを取った君塚良一監督が思いを語る。
本作を作るにあたっての思い
この映画を作ろうと思った時、これは本当に起きたことなので、今まで自分がしてきた演出術や脚本術というのは通用しないと思いました。ですから、俳優の皆さんにも「僕がこうしろああしろとは言えません。だから自分が感じたままに動いてください」とお願いしました。悲しいと思ったら悲しんでもらっていいし、辛いと思った時はその感情をさらけ出してくださいと。それから、自分の感情に嘘をつくのはやめましょうと約束したんです。ですから、釜石市の若い職員を演じた志田未来さんは、子どもの遺体を前にしたときにカメラから逃げるようにして背を向けました。演出はしていなかったので、顔を撮ることができなくなってしまいましたが、彼女が自分の感情をさらけ出した結果だったので、そのまま映画の中でも使っています。
役者もスタッフも一番大切にしていたのは被災地の方々への思いです。被災地で、今も、そしてこれからも生きていく人たちのことを常に忘れないで作っていきましょうと言い続けました。
3.11以降考えていること
震災以降、多くの映画作家が「自分もなにかをしなければいけない」という使命感を持っていたと思います。僕もその中の一人でした。でもどのような作品を作るかというのは人それぞれで、僕の場合、震災をモチーフにしたドラマを作るとか、瓦礫の山を撮るという発想はありませんでした。そんな中で、この映画の原作であるルポルタージュに出会ったんです。僕が映画を作ることで、石井光太さんのルポルタージュをたくさんの人に読んでもらいたかった。 皆さんが知らないようなことを伝えることは、僕たちの使命だと思っています。あの原作を読んだとき、「この事実を知らないで、終わってはいけない」と強く感じたんです。
映画で描くことが難しかったこと
当時の遺体安置所の映像というのは残っていませんでしたし、写真も一枚ほどしかありませんでした。それでも僕らはどうしても、遺体安置所での様子を描きたかったし、たくさんの方々に震災の現実を伝えたいと思いました。当時の状態を再現することはできなくても、真実に向かって作っていくことはできるだろうと。震災が起きたあのとき、家族のようだった町の方々のご遺体に、生き残った町の方々が人間としての尊厳を与え、ご家族のもとに帰していた……。それはすべて実際に起きた出来事です。それを俳優さんやスタッフさんの手によって、当時の方々の「心」をもう一度作り上げていったんです。
被災地への思い
この映画が持つもう一つの意味に、「忘れてはいけない」「風化させてはいけない」ということがあります。でも、それだけではありません。これからずっと、生涯、被災地で暮らしていく方々が日本にはいらっしゃいます。そして被災した方々の心の傷が癒えることはないでしょう。だからこそ私たちもこれから先ずっと、皆さんのことを思い続けることがとても大切だと思っています。全ての人生をかけて何かする、というのは難しいかもしれないけれど、想い続けることならできるはず。震災から2年目を迎え、この作品を観ていただいた方々に少しでもそれを感じていただければ、うれしいです。