最終回 映画『遺体 明日への十日間』は被災地にどう受け入れられたのか?
映画『遺体 明日への十日間』短期集中連載
2011年3月11日、東日本大震災という未曾有の悲劇が起きた。震災から2年目を迎え、報道では伝えられなかった遺体安置所の真実を描いた映画『遺体 明日への十日間』。連載最終回は、君塚良一監督と主演の西田敏行による東北三県での舞台あいさつ密着レポート。本作は、どのように被災地の人々に受け入れられたのだろうか。
福島県・ワーナー・マイカル・シネマズ福島
早朝、東京駅を新幹線で出発した君塚監督と西田が最初に向かったのは、西田の生まれ故郷である福島県。舞台あいさつが行われたワーナー・マイカル・シネマズ福島は、ショッピングモールの中にある小さな映画館であり、震災で廊下や売店の一部施設が破損し営業停止を余儀なくされていたが、震災から約1か月後に営業を再開した。
上映後の舞台あいさつが始まる前には、「この映画が、どう被災地の方々に受け入れられるのか」という言い知れぬ緊張感が君塚監督と西田からひしひしと伝わってきた。だが、二人が登場するや客席からは大きな拍手が送られ、客席には映画の余韻からか、涙を拭う人も多く見られた。舞台あいさつ終了後、福島第一原子力発電所の放射能漏れを伴う被害により、震災のみならず、今だ風評被害に苦しんでいる故郷の人々に、西田はマイクを持つことなく「亡くなった方々の思いを胸にめげることなく、一歩一歩力強く、復興の日を信じて生きていきましょう!」と力強く呼び掛けていた。
宮城県・MOVIX利府
福島での舞台あいさつを終えた二人はその後、宮城県にあるMOVIX利府での舞台あいさつに登壇。震災の影響で営業を停止していたMOVIX利府もまた、「全員、映画が大好き」というスタッフたちの尽力により、スクリーンに光を取り戻した映画館だ。
君塚監督と西田の控室には、アルバイトの学生をはじめ、従業員全員からの映画へのメッセージが壁一面に……。「『遺体』というタイトルのチラシやポスターを初めて見たときはとてもびっくりしました。東日本大震災ではたくさんつらいことがありましたが、このような作品を作っていただいてとてもうれしいです」など、正直な思いが伝わるカード一枚一枚を二人は食い入るように読んでいた。舞台あいさつ終了後、津波で親族を失ったという観客は、「大切な人を失った人間の悲しみをきちんと伝えてくれる映画。監督の誠意、役者の皆さんの思いが伝わりました」と語り、出口で一人一人にあいさつをしていた君塚監督と固い握手を交わしていた。
岩手県・フォーラム盛岡
舞台あいさつ最後の場所は、本作の舞台となった 岩手県にある映画館・フォーラム盛岡。ここでは、ある人物が二人を待っていた。その人物とは、本作で西田が演じた相葉常夫のモデルとなった釜石市の民生委員・千葉淳さん、72歳。「震災後、運び込まれてきたご遺体に優しく言葉をかけ続けた千葉さんの行為は、とても尊く、素晴らしいことです」と西田が客席に妻と座っていた千葉さんを紹介すると、劇場から温かな拍手が送られた。また、この日は妻と共に本作を鑑賞していたという千葉さんは、舞台あいさつ終了後に西田のもとへ駆け寄ると涙を流しながら抱き締めた。「西田さん、ありがとう。本当にありがとうございます」と泣き続ける千葉さんに、西田も大粒の涙を流しながら「ありがとう!」と固く抱擁。二人の姿に、会場からは自然と拍手が湧き起こっていた。
「遺体」という言葉に嫌悪感を抱いた人、「時期尚早」と言う人など、本作の公開時にはさまざまな意見が飛び交った。だが、被災地での人々の反応はただ一つ。「真実を忘れてほしくない。津波で亡くなった人たち、そして遺(のこ)された人たちの悲しみを忘れないでほしい」ということだった。作中にはあの恐ろしい津波の映像は出てこない。だが、特別な人を突然失った人たちの悲しみを役者たちは魂を込めて表現している。本作は、日本中、世界中が悲しんだあの日のことを、観る人の胸に刻むだろう。(編集部・森田真帆)
なお、本作の配給によると本作の収益金は被災地に寄付されるとのことです。