小説「復讐」刊行記念 タナダユキ インタビュー
タナダユキ監督が小説「復讐」を発表した。映画監督の文壇での活躍は目覚ましく、青山真治監督は小説「ユリイカ EUREKA」で第14回三島由紀夫賞を受賞し、西川美和監督も小説「きのうの神さま」で第141回直木賞候補となった。三人に共通しているのは、脚本家としての素養もあること。今回は「復讐」の編集担当者である新潮社・西麻沙子さんのコメントを交えながら、小説家タナダユキ誕生の軌跡と映画製作との違いに迫っていく。(取材・文:中山治美)
小説家タナダユキ誕生までの道のり
タナダユキ監督の小説家デビューは、自身が監督し蒼井優が主演した映画『百万円と苦虫女』のノベライズ本。2008年のことだった。
タナダ監督:「百万円と苦虫女」のときは、映画撮影後に執筆し、公開前に出版したんです。公開前にノベライズがあった方が良いだろうという製作陣の判断でした。読者の中には「なぜ原作にあるシーンが映画にないんだ?」と疑問に思った方もいたようです。当時は「だって後から書いたんだもん」とは言えませんでしたけど(笑)。
小説「ロマンスドール」も、実は映画製作の過程で生み出されたものだ。ラブコレクションシリーズとして製作された映画『月とチェリー』のとき、もう一つの案として提出したのが「ロマンスドール」だった。『月とチェリー』は大学の官能小説サークルを舞台にした“性春”ストーリーで、「ロマンスドール」はタイトル通りロマンスドール制作者とそのモデルとなった女性の究極の愛を描いたものだった。
タナダ監督:当時、わたしは20代。プロデューサーの「夫婦の話より学生の話を今やった方がいい」という声で『月とチェリー』が選ばれました。その後、脚本を手掛けた映画『さくらん』のノベライズ本「小説 さくらん」を出版した際、雑誌「ダ・ヴィンチ」の取材を受けたときに「ウチで何か書きませんか?」と声を掛けていただいて。ならばと「ロマンスドール」を提案しました。自分としては供養みたいな感じです(笑)。
しかし、映画製作の副産物としてコツコツ書き続けてきたことは無駄ではなかった。ノベライズ「百万円と苦虫女」を手に取った西さんは、タナダ監督の文才に目を付けたという。
西さん:よくある映画のノベライズというより、小説としての世界を形作っていることに着目しました。(それまでの映画で)ストーリーを作る力はあると確信していましたが、文芸書として出版しても全く遜色ない物が書けるのではないかと思ったんです。
タナダ監督:せっかくお話をいただいて、今までのモノから脱却しなきゃいけないかなと思いました。なので、今回は自分に書けなさそうなことに挑戦したかったという思いが強かったです。
人生の蓄積が集結された「復讐」
小説「復讐」は北九州を舞台に、幼少時代に殺人事件に巻き込まれ、そのときついたうそを抱えながら生きている少年の葛藤を描いたサスペンス劇だ。その少年の学校に、東京から赴任してきた女教師もまた、家族が殺人事件を起こしたことで人生を狂わされた一人。一つの事件が、どれだけの人に罪を背負わせることになるのかを考えさせられる問題作である。
タナダ監督:本当に最初は、自分が意図せずうそをついてしまったら、その後の人生はどうなるのだろう? と思ったところから物語の構想が生まれました。被害者遺族の視点から書こうというおこがましい気持ちはなかったです。ただ、その彼が犯罪に巻き込まれたらどうなるのだろう? もし、自分が事件に巻き込まれたらどう思うだろう? と考えたところから話が膨らんでいきました。中でも、自分の中で大きな疑問があって、被害者になったらきっと(犯人に)復讐(ふくしゅう)したいだろうと。でも、やり遂げたとして気分は晴れないのではないか? 小難しい話ではなく、自分の中で湧き上がる感情を話にしました。
舞台は、タナダ監督の故郷・北九州。東京から越してきた女教師の目線で描かれる北九州の風景は「何の感情も呼び起こされない灰色の風景」とつづられるなどシビアだ。
タナダ監督:当時、父親の具合が悪くなったことがきっかけで、母親を連れて人間ドックへ。そのとき出会った女医さんが、東京出身者で。なぜ北九州へ? と思ったんです。それが心に引っ掛かり、最初は少年だけが主人公だったけど、彼の話を書くのであれば(状況を)客観視できる、この町に縁もゆかりもない人を登場させようと、少年と女教師の話が交互に展開する構成にしました。別に北九州が嫌いというわけではなく(笑)、出身地だからこそ言えるんですけど、明るい話は似合わないでしょうね(笑)。でも離れてわかることもあり、温かい人が多いなと感じます。
その一方で鮮やかに再現されるのは、福岡夏の三大祭りと称される戸畑祇園大山笠(今年は7月26日~28日開催)。この祭りが、事件の記憶を呼び起こし、さらに新たなドラマが生まれるという重要な役割を担っている。
タナダ監督:祭りは昔から好きでした。わたしは女性なので(山笠の)担ぎ手にはなれないんですが、身近に見ていた祭りを使って何か書きたいという思いはありました。ただし取材に行った年がまさかの土砂降り(笑)。でもこれは良いと思い、クライマックスシーンは当初予定になかった雨の祭りに変更しました。本当にさまざまな偶然が重なって、物語が出来上がっていったんです。
映画と文壇の製作現場の違いは
小説「復讐」は、映画『ふがいない僕は空を見た』や『四十九日のレシピ』の撮影に専念するために、執筆を中断しながら書き上げた労作だ。しかし、両方を手掛けたことが「精神的に良かった」と振り返る。
タナダ監督:小説は編集担当者との二人三脚の作業。関わる人が少ない分、自分がやりたいことを純度高くできる。
西さん:タナダさんは直しのセンスが非常に良かった。いつも、こちらが提案したことの上をいくものを出してきてくれたのでありがたかったです。
タナダ監督:もちろん映画の良さもあります。限られた時間の中、現場で最善を尽くして撮るけど、どうしても「これを撮っておけば良かった」とか「ああすれば良かった」という部分が絶対出てくるんです。それを編集や効果音という仕上げ作業でカバーできる。いろんな人の手が加わってできる面白さがあります。
昨今の小説は、予算の都合もあって雑誌や新聞連載を書籍化する例が多い。しかし今回は、全くの書き下ろしだったのも異色だ。
西さん:連載小説だとどうしても締め切りに追われて書くことになる。「後で直しましょう」と言っても、結局元の形のままになることが多いんです。書き下ろしだからこそ、物語が膨らんでいくことができたのかなと思います。
タナダ監督:本当に、出版界はなんて辛抱強いんだろうと思いました(笑)。さらに、「映画の原作として自由に書いてください」と言われると、予算や製作日数がよぎるので(笑)、好き勝手書かせてもらえたのがありがたいです。
西さん:一応、締め切りはあったんですが(苦笑)。でも締め切りよりクオリティーを大事にしたかったんです。
気になるのは、書籍の帯に書かれている「映画では書けないことを書きました」というタナダ監督の言葉。本当に映画化の予定はないのだろうか?
タナダ監督:少年の細かい感情の変化をどう表現すればいいのか? また、祭りのシーンを撮るには、何万もの観衆が必要です。それに今回は自分に近いものがにじみ出ているので、かなり客観的にならないとできないでしょう。何より、万一映画化できたら、その次に何をやればいいのかわからなくなりそうで、それが一番怖いのかもしれません。最近は自分の監督作でも脚本を書いていないんです。自分の脚本は現場ですぐ直せるから気楽なんですけど、じゃあ気楽でいいのか? という葛藤もあるんです。その点脚本家は、そこでしか闘う場所がないから、いろんなことを練って一つのセリフに込めてきます。だから簡単に切ったりできないし、わたしもしたくない。どうしてもというときは、脚本家に現場に来てもらって相談します。
作家業は今後も続ける予定で、すでに新たな構想があるという。
タナダ監督:書くことは嫌いじゃないので、ほそぼそと続けていけたらいいなと思っています。次はまたドロドロした感じの、嫌な話になると思いますよ(笑)。