第12回 香港国際映画祭の魅力に迫る!
ぐるっと!世界の映画祭
香港国際映画祭では昨年から「美」をテーマにアジアの監督たちが短編オムニバスを製作するプロジェクト「ビューティフル」がスタート。今年は黒沢清監督が参加し、自身初のアクション映画『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』に挑戦。ワールドプレミア上映された第37回香港国際映画祭(3月17日~4月2日)の様子を原尭志プロデューサーがレポートします。
映画祭の理想型
アジアの映画人たちのプラットホームとなるべく1977年にスタート。香港映画界の衰退に伴い1990年代後半~2000年代は話題性も乏しかったが、2002年から企画マーケット、2007年からはアジアン・フィルム・アワードを設立して華やかさをプラス。今では約60万人が参加する一大イベントへと成長した。
「第34回にプロデュース作『イエローキッド』が出品されたが、参加は初めて。フィルム・アワードのような商業的なイベントが行われる一方、地元学生作品の特集上映まであり、どちらかに偏るわけでもなく、規模として対極にあるものをうまく両立させている印象を受けました。これはある程度の規模を持った映画祭における、一つの理想型かもしれません」と原プロデューサー(以下、原P)は言う。
映画祭発のオムニバス映画
香港国際映画祭が新たな試みとして昨年スタートさせたのが短編オムニバス・プロジェクト「ビューティフル」。昨年はアン・ホイ、ツァイ・ミンリャン監督ら、今年はメイベル・チャン、『レッドクリフ』シリーズの撮影監督リュイ・ユエ、ウー・ニェンツェン、そして黒沢清監督が参加。
東京藝術大学大学院映像研究科製作領域出身の原Pは、同科教員の恩師・黒沢監督の挑戦をサポートすることになった。「黒沢作品にプロデューサーとして関わるチャンスなど一生に一度あるかないか。何より黒沢監督がどのようなものを作り上げるのかゼロから見てみたかった」(原P)。原Pのほか、現役の院生を中心とした学生スタッフとプロの混成チームが集結した。
黒沢監督まさかのアクション
黒沢監督の『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』は港湾労働者(三田真央)と設計会社社長(柄本佑)の愛憎が巻き起こす痛快活劇。「中国の動画サイトYouku.comで配信されることもあり、過度の暴力・性描写はご法度という規定はありましたが、ジャンルは問わず。監督と内容を詰めていく中で『美しい海をめぐって相まみえる男女の物語をアクションで描こう』となりました。監督自身、本格的なアクション映画を撮ってみたいという興味があったようです」(原P)。
映画祭では好感触で「『黒沢監督のほぼ初となるアクションだが、どこをどう切り取ってもクロサワ作品』との声も。映画監督の作家性というものを図らずも再考させられました」(原P)。
4監督の「美」の競演にうなる
原Pが今回の滞在で最も印象に残ったのはやはり「ビューティフル」プロジェクト。「どの監督も『美』をテーマに置いているにもかかわらず、ある種の人生訓であったり、親子の親愛の情を扱っていたりとバラエティーに富んでいた。テーマへのアプローチの仕方、そして描き方というものは、監督が違えばこうも違うのだと、製作にゼロの段階から関わった者として非常に感慨深いものがありました」(原P)。
また期間中、公益財団法人ユニジャパン主催の交流パーティーにも参加した。「黒沢監督が来場した瞬間、会場の雰囲気が一転。そうした空気を目の当たりにし、改めて黒沢監督の日本映画界における重要性や存在の大きさを認識しました」(原P)。
街の中に映画祭がある
香港へは成田から直行便で約5時間。映画祭会場は尖沙咀(チムサーチョイ)に集中。「釜山国際映画祭のように期間中、映画祭一色になるという感じではないかもしれませんが、映画祭と街がしっかり共存しており『街の中に映画祭がある』という印象。巨大都市・東京では味わえない感覚で新鮮でした」(原P)。
黒沢監督以外のメンバーは自費参加。その分、映画『恋する惑星』の舞台となった重慶マンションに宿泊し、屋台や食堂で食事を取るなど普段着の香港を体感した。「毎朝のように食べていた点心の味はどれも忘れ難い。食の香港を得心しました」(原P)。
プロジェクトに課題も
原Pは映画祭と同時開催されたマーケットにも足を運び、欧米企業のブースが立ち並ぶなど、その充実ぶりに「この映画祭が大きな魅力として認知されている証拠」と語る。その一方、「ビューティフル」プロジェクトは「さまざまな局面でコンセンサスが取られていない印象を受けた。その結果、何を根拠に動けばいいか、時に戸惑いも覚えたのも確か。さらなる環境面での改善の必要があるように感じました。海外との仕事は、与えられた職務を完遂する精度を通常以上に上げなければならず、結果的に自分の成長につながったようにも感じています」(原P)。
レポート・写真:原尭志
編集・文:中山治美