第17回 釜山国際映画祭の魅力に迫る!
ぐるっと!世界の映画祭
アジア最大級を誇る釜山国際映画祭。毎年日本からも多くの作品が参加し、第18回大会(現地時間2013年10月3日~12日)では、日本の長短編作品24本が上映されました。そのうちの1本、さまざまなジャンルの話題作を集めた「Wide Angle」部門で『PANCRASE/MMA ドキュメンタリー HYBRID』が選出された松永大司監督がレポートします。(レポート:松永大司、写真:松永大司 / 汐巻裕子 / 釜山国際映画祭、編集・文:中山治美)
目指せ! アジアのカンヌ
韓国の映画産業の振興と、アジア映画界のハブ都市になることを目指して1996年にスタート。東京国際映画祭より後発ながら、瞬く間にアジア最大級へと成長し、今年は世界70か国から長短編299本(うちワールドプレミアが94本)が上映され、21万7,865人が参加した。2011年にビーチリゾート地、海雲台(へウンデ)地区に釜山シネマセンターが開館したのに合わせて、第16回からメイン会場を同所に移動した。
同時期に開催される企画マーケットやフィルムマーケットも盛況。「僕はカンヌに行ったことがないのでわかりませんが、リゾート地での開催といい、カンヌをイメージしているそうです。街の至るところにフラッグやポスターが貼られ、街全体が映画祭を盛り上げている印象を持ちました」(松永監督)
“おもてなし”が大切
松永監督は『PANCRASE/MMA ドキュメンタリー HYBRID』の上映に合わせて3日間の滞在。3回上映するうちの1回は、Q&Aを行う予定だったのがハプニング発生。ボランティアスタッフに上映会場を確認したものの別の場所を指示され、慌てて駆け付けたものの10分ほど遅刻。その間、司会者が場をつないでいてくれたが、多くの観客が劇場を立ち去ってしまったという。
今回の釜山では同様の混乱が多発したそうで、巨大化した映画祭の問題点もあるようだ。「僕のミスでもあるが、前作『ピュ~ぴる』で参加したロッテルダム国際映画祭や、短編『おとこのこ』と『かぞく』で参加した韓国、全州国際映画祭のホスピタリティーが充実していたこともあり、安心しきっていた。次回からは自分のことは自分で……を心掛けなければ」(松永監督)。
“心”は国境を超えて伝わる
総合格闘技パンクラスの出場選手を追った『PANCRASE/MMA ドキュメンタリー HYBRID』の上映には、韓国のイ・ドンギ選手が駆け付けてくれた。リングでの激闘ももちろんのこと、個々の選手の日常に肉薄した内容に、イ選手は「正直、期待していなかったのですが(苦笑)、泣けました。選手としてではなく、一人の人間として格闘家を描いてくれた映画は他にない」と、松永監督の手腕に賛辞を贈ったという。
実は同作品の製作発表会見時、格闘技をあまり知らないという松永監督に対して、専門誌の記者から厳しい質問が出た。「そのとき僕は、『格闘技は知らなくても“人を撮る”ということは一緒です』と答えた。イ選手の言葉を聞いて、こちらの意図が伝わったんだなと思い、うれしかったですね」(松永監督)。
韓国の結束力を実感
松永監督の映画祭の楽しみ方は「人との出会い」。会期中は『夏の終り』の熊切和嘉監督や全州国際映画祭で出会った『息もできない』のヤン・イクチュン監督らと街に繰り出し、しこたま飲みながら交流を深めたという。
「ヤン監督に、『ムサン日記~白い犬』のパク・ジョンボム監督ら多くの韓国人監督を紹介してもらいました。毎夜、どこかで行われるパーティーに参加すると著名な監督たちが皆来ているんです。韓国映画界の隆盛は、この結束力とパワーにあるのでは? と思いました。ただ釜山は会場が街全体に広がっている分、“ここに行けば必ず誰かに会える”という場所がないので、同じく日本から参加していながらお目に掛かれなかった人も多数。それが残念でした」(松永監督)
渡航費も映画祭からの招待!
日本から釜山へは羽田空港から直行便で約2時間。松永監督には映画祭側から、渡航費と宿泊費3泊分が提供された。「ホテルからメイン会場までは無料シャトルバスが出ていて、約10分の距離。そのシャトルもよく満席になっていて、バスを諦めて歩こうと思いましたが歩くにはちょっと遠いですね」(松永監督)。
食事は自費だが、連夜パーティーが行われるので「夕食はそこで事足りました(笑)。ロッテルダム国際映画祭のときもそうでしたがクラブパーティーも多々あって、監督たちが盛り上がっているのがいいですね」(松永監督)。
韓国若手は釜山を目指す
「ヤン監督によると、韓国の若手監督はまず釜山国際映画祭への出品を目指して映画を作っているそうです。そこは、東京国際映画祭とは違うところかな? と痛感しました。またロッテルダム国際映画祭や全州国際映画祭だと、日本作品のプログラマーや映画祭側が日本人監督らの会食の席を設けてくれ、そこで小林政広監督などの先輩たちと出会うことができました。僕自身、映画学校出身者でもないし、助監督経験もないので、そういう出会いの場が釜山でもあればうれしいですね」(松永監督)