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第8回:アニキ、芸能生活30年を語るの巻

寺島進の「月刊 てらじま便り」

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「寺島進の「月刊 てらじま便り」

昨年で芸能生活30周年を迎えたアニキ。新年明けて第1弾となる今回は、そんなアニキにこれまでの俳優人生を振り返っていただく特別企画! 北野武作品に本格的に参加することになった映画『あの夏、いちばん静かな海。』の撮影秘話をたっぷりと語っていただきました!

今月の現場
今月の現場
©1991 オフィス北野

北野監督作品に出演するのは『その男、凶暴につき』に続いて2作目だったんだけど、この作品の出演が決まったときはもう撮影が始まった後だったの。北野監督が「『その男、凶暴につき』に出ていたあの兄ちゃんいただろ。アイツ呼んでこいよ」って言ってくれていたらしくて、急きょ東宝に呼ばれたんだよね。その頃ウエスタン村でバイトをしていて、役者の仕事は年に数回しかなかったから飛んでいったね。それに、この作品で初めて自分の名前がポスターに載ったんだ。本当にうれしくて浅草東宝まで記念写真を撮りに行ったのを、今でも覚えているよ。

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役は軽トラの男!
役は軽トラの男!
現場にいれることがうれしくて仕方なかった

俺の役柄は「軽トラの男」。受け取った台本には、「軽トラ、走る」ってト書きしかない状態でセリフすらなかったの。でも現場で監督が「兄ちゃん、ここでちょっと待っててさ。三人で話して」ってどんどんアイデアを出してくださって、役がどんどん膨らんでいったんだ。緊張というより、俺は北野武という男にホレていたから、ウキウキしっぱなしだったよ(笑)。もうお人形さんみたいに監督の言いなりだったね!

役は軽トラの男!
©1991 オフィス北野

今も覚えているのは、田山涼成さんが演じる警官とケンカになるシーン。その場でセリフをもらって「チンピラ風にやってね」って言われて演じたんだ。実はその後、監督の家にお邪魔して完成前の映画を観せてもらう機会があったんだけど、監督がそのシーンを観ながら「チンピラを演じるやつって、みんな貧乏揺すりしながらセリフ言うんだよなー」ってぽつりと言うわけ! それで画面の中の俺の芝居を観たら、思いっきり体を揺すっていたんだよ(笑)。反省したなあ。あの言葉以降、チンピラを演じるときは体揺すんないように気を付けるようになったね!

北野監督の素顔
役は軽トラの男!
©1991 オフィス北野

撮影はロケだったから、みんな同じ宿泊所に泊まっていたんだ。夕食も大広間で全員一緒にご飯を食べて、カラオケに行ってはサザンオールスターズを歌ったりしていたんだ。監督も酔っ払ってご機嫌だったね。ひとしきり盛り上がった後、俺は監督から少し離れていたところでスタッフと一緒に飲んでいたんだよ。そしたら監督が「兄ちゃん、こっちに来て飲めよ! 一緒に飲もうぜ」って声を掛けてくれてさ。監督の目の前に座らせてもらったの。そのときに「兄ちゃんまだ売れてないかもしれないけど、役者って仕事は一生続けていきなよ。俺みたいに話す仕事は、反射神経がいるから引退がある。でも役者って仕事は死ぬまで現役でやれる仕事だからさ。今売れている役者がいるとしても、兄ちゃんがこの先20年後、30年後に売れて、死ぬ間際までに天下を取ったら、兄ちゃんの人生の勝ちなんだからな」って言ってくれたんだ。

役は軽トラの男!
監督に、あの日言ってもらった言葉は今でも忘れられない

実はその頃、役者の道に入って10年くらいでさ。仕事があったりなかったりで、おんぼろのアパートで酒飲むたびに「仕事ねえなあ。こんなんでやり続けていいのかな」なんて迷いもあったんだ。だからあの言葉で「ああ、ずっと続けていっていいんだな。売れていなくてもこの世界でずっとやっていこう」って覚悟が決まったんだ。

今月の一枚
今月の一枚
photo by Susumu Terajima

岩城滉一さん宅にお邪魔! ガレージで娘がマシーン(車)に乗って浮かれています!

寺島進PROFILE

1963年生まれ、東京都出身。三船芸術学院で殺陣を学び、殺陣師・宇仁貫三に師事。1986年松田優作監督作『ア・ホーマンス』で本格俳優デビュー。北野武に才能を見い出され、1989年『その男、凶暴につき』以降、北野映画の常連として注目を浴びる。

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