“ディズニー・ルネッサンス”という一時代を築いたディズニーだったが、2000年代に入ってからは思わぬ苦戦を強いられることになる。1990年代前半の劇場アニメーション業界はディズニーの一人勝ちといえる状況だったが、1995年にピクサーがディズニーと共同製作した世界最初の長編フルCGアニメーション映画『トイ・ストーリー』が発表されると、時代の中心は手描きスタイルの2Dアニメーションから、フルCGの3Dアニメーションへと移行していく。
この時代を引っ張ったのは『トイ・ストーリー』シリーズのピクサーであり、1995年の『トイ・ストーリー』を皮切りに、『バグズ・ライフ』(1998年)、『トイ・ストーリー2』(1999年)、『モンスターズ・インク』(2001年)、『ファインディング・ニモ』(2003年)、『Mr.インクレディブル』(2004年)などのフルCGアニメーションでこの時代を席巻した。
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世界初の長編フルCGアニメーション映画『トイ・ストーリー』
Walt Disney Pictures / Photofest / Zeta Image
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一方、ディズニーも2000年の『ダイナソー』でCGアニメーションに挑戦するものの、同作はCGのキャラクターと実写背景を組み合わせた作品であり、単独製作のフルCGアニメーションは2005年の『チキン・リトル』まで待たなくてはならなかった。この分野においては、1994年にディズニーを退社したジェフリー・カッツェンバーグがスティーヴン・スピルバーグらと設立したドリームワークス(ドリームワークス・アニメーション)は2001年のフルCGアニメーション映画『シュレック』が大成功を収め、ピクサーに続くスタジオとして台頭している。
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ドリームワークスの『シュレック』も人気を博す
Dreamworks/Photofest/MediaVast Japan
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そんな中、ディズニーは2004年の『ホーム・オン・ザ・レンジ/にぎやか農場を救え!』をもって、手描きスタイルの長編アニメーション製作からの撤退を発表。今後はフルCGの3Dアニメーションのみでの長編映画製作を宣言する。後にこれは撤回されるものの、一つの時代の終わりを感じさせるには十分すぎる出来事だった。
上記の動きを主導したのは、1990年代の黄金時代を築いたディズニーCEOのマイケル・アイズナー。ただし、このころのアイズナーは、(もともとその傾向はあったものの)ディズニー・トゥーン・スタジオで『ライオン・キング』『アラジン』などの“ディズニー・ルネッサンス”時代の名作の続編を安易に製作するなどの迷走ぶりが批判の的になっており、評判は決してよくない。2005年には業績悪化を理由にCEOを辞任し、20余年にわたるアイズナー体制にピリオドを打った。
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1950年代のディズニー・アニメーション・スタジオ。この頃から続いていた手描きスタイルからついにディズニーは撤退する
William Vanderson / Hulton Archive
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○『ダイナソー』(2000年)
初のディズニー単独製作によるCGアニメーション映画。キャラクターはCGで描かれ、実写背景を組み合わせる形で制作された。『ロボコップ』(1987年)のポール・ヴァーホーヴェン監督とフィル・ティペット特撮監督が持ち込んだストップモーション・アニメーションの企画が基になっているが、製作に際しては大幅な改変が加えられている。興行的には大きな成功を収めたが、世間の評判は芳しくなかった。
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○『ラマになった王様』(2000年)
ミュージカルが主流になっていた中で発表された非ミュージカル作品のコメディー。基になっているのは1994年に製作がスタートした「キングダム・オブ・ザ・サン」というタイトルのミュージカル映画だったが、1998年にストーリーやキャラクターを大幅に変える形で製作が再始動し、この形に落ち着いた。この作品を機に、ディズニー・アニメーションでは再び、非ミュージカル作品が増えていくことになる。
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○『アトランティス/失われた帝国』(2001年)
ウォルト・ディズニーの生誕100周年記念作品であり、ディズニー・アニメーション史上初のSF長編作品。『美女と野獣』『ノートルダムの鐘』のカーク・ワイズ&ゲイリー・トルースデールが監督を務めているものの、いわゆる冒険物であり、印象はかなり異なる。また、大部分のシーンにCGが用いられるなど、手描きからCGへの移行が読み取れる。アニメーション業界の流れもCGに向かっており、同年に設けられたアカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞したのは、ディズニーのライバルであるドリームワークスのフルCGアニメーション映画『シュレック』だった。
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○『リロ&スティッチ』(2002年)
ディズニーのアニメーション映画が大作に傾倒しつつあった中、8,000万ドル(約80億円)という比較的、少ない予算で作られた作品。だが、後にテレビシリーズ化もされ、キャラクターグッズも制作されるなど、2000年代のディズニー・アニメーション最大の成功作となった。水彩を背景に用いるなど、絵作りの観点からも当時のディズニー・アニメーションの中では異彩を放っている。アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされた最初のディズニー・アニメーション・スタジオ作品。
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○『トレジャー・プラネット』(2002年)
ロバート・ルイス・スティーヴンソンの冒険小説「宝島」の舞台を宇宙に移し替えた作品。ジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督が『リトル・マーメイド/人魚姫』と同じタイミングで思い付いたアイデアが基になっており、制作には1,000人を超えるスタッフが参加。『ターザン』を上回る1億4,000万ドル(約140億円)の製作費が費やされた。CGでセットを作り出し、実写同様の自由なカメラワークを実現する一方で、キャラクターには伝統的な2Dアニメーションを用いるなど、意欲的な試みもなされたが、興行的には失敗した。
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○『ブラザー・ベア』(2003年)
熊に変えられてしまった先住民族の男と子グマの旅を描いた作品で、『ムーラン』『リロ&スティッチ』に続く、フロリダのスタジオで製作された長編アニメーション。映画はヒットしたものの、今後はCGアニメーションに力を入れていく方針を明らかにし、ディズニーは同作の製作を最後にフロリダのスタジオを閉鎖。2006年には続編の『ブラザー・ベア2』が発表されたが、同作の製作が行われたオーストラリア・シドニーのスタジオも完成後に閉鎖されるなど、ディズニーにおける2Dアニメーションの終焉(しゅうえん)を予感させるシリーズとなってしまった。
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○『ホーム・オン・ザ・レンジ/にぎやか農場を救え!』(2004年)
アメリカ西部を舞台に、動物たちが農場を救うために奮闘するさまを描いた作品。ディズニーによる最後の2Dアニメーション映画になるはずであり、その旨はアナウンスもされていた。だが、2006年にチーフ・クリエイティヴ・オフィサー(CCO)に就任したジョン・ラセターがその方針を撤回し、2009年に『プリンセスと魔法のキス』が公開されたため、微妙な位置付けの作品になってしまった。また、興行的には失敗し、残念ながら批評的にもさほど芳しくない。そのこともあって、日本では劇場公開すらされなかった不遇の作品といえる。
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○『チキン・リトル』(2005年)
ディズニーが初めて自社単独で製作したフルCGアニメーション。『トイ・ストーリー』をはじめとする、ディズニーがピクサーと共同製作していた作品ほどのヒットにはならなかったものの、『ダイナソー』以来の全米ナンバーワンヒットスタートを記録するなど、ディズニーにとっての久々のヒット作となった。また、「ディズニーデジタル3-D」で公開された最初の作品であり、後の3Dブームの先駆けとなった。
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【参考文献・資料】
「ディズニーアニメーション 生命を吹き込む魔法 - The Illusion of Life -」フランク・トーマス、オーリー・ジョンストン 翻訳:スタジオジブリ 日本語版監修:高畑勲、大塚康生、邦子・大久保・トーマス 徳間書店(2002年)
「創造の狂気 ウォルト・ディズニー」ニール・ゲイブラー 翻訳:中谷和男 ダイヤモンド社(2007年)
「DISNEY THE FIRST 100 YEARS - ディズニークロニクル1901-2001」デイヴ・スミス、スティーヴン・クラーク 翻訳:唐沢則幸 講談社(2001年)
「Disney A to Z/The Official Encyclopedia オフィシャル百科事典」デイヴ・スミス ぴあ(2008)
「ディズニーの芸術 - The Art of Walt Disney -」クリストファー・フィンチ 翻訳:前田三恵子 講談社(2001年)
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文・構成:編集部 福田麗 |